家族という存在は、私たちにとって最も身近でありながら、時として最も理解することが難しい存在でもあります。
親子、兄弟姉妹、夫婦。長い時間を共に過ごし、同じ家庭で生活してきたとしても、考え方や価値観が必ず一致するわけではありません。
血がつながっているから理解し合える。家族なのだから気持ちは伝わるはずだ。
私たちは、どこかでそうした期待を抱いているのかもしれません。しかし、実際には血がつながっていても、それぞれが異なる人格を持ち、異なる人生を歩んでいる一人の人間です。
家族であるということと、考え方が同じであるということは、決して同じ意味ではないのです。
そして、現代の家族関係を考えるうえで、もう一つ忘れてはならないことがあります。
それは、時代の変化です。
私たちが生きている社会は、この数十年間で大きく姿を変えてきました。かつて当たり前だと考えられていた価値観が見直され、反対に、昔であれば受け入れられなかった生き方が、一つの選択肢として認められるようになってきています。
その変化は、働き方を見てもよく分かります。
以前の日本社会には、長時間働くことや、上司の指示に従うことを美徳とする風潮がありました。理不尽な要求を受けても我慢することが社会人として当然だと考えられ、職場での問題を簡単には声に出せない人も少なくありませんでした。
しかし現在では、パワーハラスメントやモラルハラスメントといった問題への認識が広がり、働く人の尊厳や権利を守ることが、以前にも増して重視されるようになっています。
もちろん、職場の問題がすべて解決されたわけではありません。それでも、以前は黙認されていた行為が、現在では明確に問題として扱われる場面が増えていることは確かでしょう。
ここで考えたいのは、どちらの時代が正しかったのかということだけではありません。
その時代を生きてきた人たちが、それぞれ異なる常識を身につけているということです。
例えば、厳しい上下関係の中で働いてきた親世代が、子供に対して「多少のことは我慢するべきだ」と考えることがあります。
一方、現在の労働環境や価値観の中で育った子供は、「理不尽なことまで我慢する必要はない」と考えるかもしれません。
どちらも、自分が経験してきた社会を基準に判断しているのです。
しかし、その違いを理解しないまま、自分の常識だけを相手に押し付けてしまうと、そこに大きな溝が生まれます。
人生の歩み方についても、同じことが言えるでしょう。
かつては、学校を卒業し、企業に就職し、長く勤め上げることが、安定した人生の一つの理想とされていました。
しかし、バブル崩壊後の就職氷河期を経験した世代にとって、その道を歩むことは決して簡単ではありませんでした。
希望する仕事に就くことが難しく、非正規雇用や不安定な生活を経験した人もいます。努力すれば必ず安定した人生を手に入れられるという考え方が、現実には通用しない場面も数多くあったのです。
そして、その世代の多くは今も働き盛りの年齢にあります。若い頃の雇用環境が、その後の収入や生活設計に長く影響している人もいるでしょう。
つまり、ある世代にとって当たり前だった人生の道筋が、次の世代にも同じように用意されているとは限らないのです。
それにもかかわらず、「自分たちの頃はこうだった」「普通はこうするものだ」という言葉だけで相手を判断してしまうと、その人が置かれている現実を見失ってしまいます。
これは、親から子供への言葉だけではありません。
子供が親に対して、今の常識を理解できないことを責めてしまう場合もあるでしょう。
時代が変わるということは、社会の仕組みが変わるだけではなく、人々が信じてきた価値観そのものが変化していくということでもあります。
長い時間をかけて身につけた考え方を、簡単に変えられない人がいるのも自然なことです。
だからこそ、家族関係には柔軟さが必要なのではないでしょうか。
自分の考えが正しいと思っていても、相手には相手の人生があります。自分が経験していない苦労や、自分には理解しにくい不安を抱えていることもあるでしょう。
親だから正しいわけでも、若い世代だから新しい考え方がすべて正しいわけでもありません。
大切なのは、年齢や立場だけで相手を判断しないことです。
家族という関係は、長く続くからこそ、過去の印象が残りやすいものでもあります。
親にとって子供は、何歳になっても子供なのかもしれません。反対に、子供にとって親は、いつまでも自分を育ててくれた頃の親のままであることもあります。
しかし、人は年齢とともに変化します。
考え方も、生活環境も、大切にしたいものも変わっていきます。
昔は理解できなかった親の気持ちが、自分も年齢を重ねることで分かるようになることがあります。反対に、かつては当然だと思っていた親の考え方に、大人になってから疑問を持つこともあるでしょう。
その変化を認められるかどうかが、家族との関係を考えるうえで大切なのだと思います。
そして、もう一つ重要なのは、家族だからといって何でも許さなければならないわけではないということです。
身近な存在だからこそ、遠慮のない言葉をぶつけてしまうことがあります。心配しているつもりでも、相手にとっては干渉や否定に感じられることもあるでしょう。
愛情があることと、その伝え方が適切であることは別の問題です。
時には距離を置くことが必要な関係もあります。無理に分かり合おうとすることで、かえって心が疲れてしまうこともあるでしょう。
家族なのだから必ず仲良くしなければならない。その考え方自体が、誰かを苦しめてしまうこともあるのです。
では、家族との関係をより良くしていくためには、何が必要なのでしょうか。
私は、やはり最後は言葉にすることなのではないかと思っています。
相手が何を考えているのかを聞いてみる。そして、自分が何を感じ、何を望んでいるのかを伝える。
当たり前のことのようですが、身近な関係ほど、こうした会話を省略してしまうことがあります。
言わなくても分かるだろう。家族なのだから察してくれるだろう。
しかし、人の心は、どれだけ長く一緒に暮らしていても、言葉にしなければ伝わらないことがあります。
そして、話し合うということは、相手を自分の考えに従わせることではありません。
相手の言葉を聞き、自分の考えを伝え、どこに違いがあるのかを理解する。そのうえで、お互いが納得できる距離感や関わり方を探していくことです。
もちろん、すべての問題が話し合いだけで解決するわけではありません。価値観が最後まで一致しないこともあるでしょう。
それでも、相手を理解しようとする姿勢と、相手を自分の思い通りに変えようとする姿勢には、大きな違いがあります。
血のつながりは、生まれたときから存在するものです。
しかし、信頼や理解は、その後の関わり方によって少しずつ育まれていくものなのではないでしょうか。
時代はこれからも変わり続けます。今の常識が、十年後、二十年後にも同じように通用するとは限りません。
だからこそ、自分の価値観だけを絶対的なものとせず、相手の生きてきた時代や環境にも目を向けてみる。
分かり合えないことがあっても、すぐに否定せず、まずはその違いがどこから生まれたのかを考えてみる。
家族だからこそ、近すぎて見えなくなっているものがあるのかもしれません。
そして、家族だからこそ、時には一人の人間として向き合うことが必要なのだと思います。
大切なのは、同じ考え方になることではありません。
違う考え方を持ちながらも、お互いの人生を尊重できること。
家族という関係の本当の豊かさは、血のつながりそのものよりも、そうした日々の理解と歩み寄りの中にあるのではないでしょうか。
良天星