復縁を願う気持ちは、往生際が悪いのでしょうか

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もう一度あの人と、と願う自分を、心のどこかで責めてしまう。

いつまでこだわっているんだろう。往生際が悪いのかもしれない。重い女だと思われるかもしれない。願う気持ちそのものに、罪悪感を持ってしまう方がいます。

もしあなたがそうなら、今日は少しだけ、その気持ちの側に立ってお話しします。

鑑定を重ねていると、願うことをためらう方に、たびたび出会います。相談の入り口では前を向いた言い方をしていても、心の奥を魂観心で視てみると、まだ確かに願っている。ただ、その願いを口にすることを、自分に許せなくなっているのです。

なぜ、願うことまで責めてしまうのか。背景はいくつかあります。

一つは、周りの言葉。もう忘れなよ、次に行きなよ。心配してくれる人ほど、そう言います。悪気はないその言葉を何度も聞くうちに、まだ願っている自分はおかしいのだ、と思い込んでしまう。

もう一つは、過去に願って、届かなかった痛み。強く願ったのに叶わなかった経験があると、また願うことが怖くなります。期待した分だけ、崩れたときがつらい。だから先に、願うのをやめておこうとする。

そしてもう一つは、願う気持ちを、執着と同じものだと感じてしまうこと。手放すことが正しくて、願い続けることは往生際が悪い。どこかでそんなふうに刷り込まれている方は、少なくありません。

ここで、大切なことをお伝えします。

願うことと、結果に執着することは、同じではありません。相手をどうにかしようと握りしめるのが執着なら、願いは、ご縁が良い方へ向かってほしいと、そっと手を合わせること。その願いそのものは、責められるものではありません。

魂響勾玉は、あなたのご縁が望ましい方向へ進むことを願い、祈願を行うものです。魂とご縁の側から、その流れをそっと後押しします。ただし、私はこれで復縁や成就を約束することはしません。結果を保証する祈願は、祈願ではなく取り引きになってしまうからです。

祈願には、もう一つの意味もあります。ずっと一人で抱えてきた願いを、一度きちんと預ける。握りしめ続けて疲れた手を、そこで少しゆるめる。願いを託したあとは、結果を追いかけ続けなくても、静かに前を向いていられるようになります。

私の祈願では、あなたのご縁が望ましい方へ進むことを、魂とご縁の側から心を込めて願います。あなたの願いを丁寧にお預かりし、祈願を通して感じ取ったことをお伝えしますので、どうぞ静かな気持ちでお待ちくださいね。
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