龍を観ていると、前に観えた姿と色が違うことがあります。
青みを帯びていた龍が、ある日は白く霞んで観える。金色に近い光をまとっていた龍が、次には深い墨色のように沈んでいる。同じ方を鑑定していても、いつも同じ色で現れるとは限りません。
「色が変わったのは、何かの知らせでしょうか」
そう聞かれることがあります。けれど私は、色だけを見て、良い知らせや悪い知らせだと決めることはできません。
【観えた色と、そこから浮かぶ意味】
白い龍、青い龍、金色の龍。
色には、それぞれ多くのイメージがあります。白なら清らかさ、青なら静けさ、金なら豊かさ。反対に、暗い色を見ると、重さや不安を連想する方もいると思います。
けれど、連想した意味と、実際に観えたものは同じではありません。
私が白い姿を観たとしても、それだけで何かが浄化されるとは言えません。金色に観えたからといって、金運が上がると約束することもできません。黒く観えた日を、悪い出来事の前触れとして扱うこともしません。
まず確かなのは、そのとき、その色に観えたということです。
意味が一緒に伝わってきたときは、その範囲をお伝えします。色だけが残り、理由が観えないときは、理由を作らずに置いておきます。
【光によって変わって観えること】
日常の景色も、光によって色が変わります。
朝の白い壁は、夕方には薄い橙色に染まります。雨の日の木々は深く沈み、晴れた日の水面は空の色を映します。物そのものが別のものになったわけではなくても、私たちが受け取る色は同じではありません。
龍を観るときにも、似たことがあります。
龍そのものの色が変わったように感じる日もあれば、周囲の光や霧の中で違って観えているように感じる日もあります。ただし、それが本当に光のためなのか、龍の変化なのか、私の受け取り方なのか、区別できないこともあります。
区別できないものを、わかったことにはしない。
色が鮮やかであるほど、意味も強いように感じてしまいます。だからこそ、私は急いで答えを足さないようにしています。
【暗い色を怖がらなくてよい】
暗い色の龍が観えたと伝えると、不安そうな表情になる方がいます。
その気持ちは自然なものだと思います。私たちは明るい色に安心し、暗い色に警戒しやすいからです。
けれど、暗さは必ずしも拒絶や危険を示すものではありません。夜の山が黒く見えるように、静かに身を置いている姿が暗く伝わることもあります。輪郭がはっきりしないまま、重い色だけが残ることもあります。
私は、その色を明るく言い換えて安心させることもしませんし、怖い意味を加えて不安を強めることもしません。
暗く観えたなら、暗く観えたと伝える。
そこに理由が伴っていなければ、「理由までは観えませんでした」と添える。それが、色を正直に扱うために必要なことだと思っています。
【今日の色を、そのまま受け取る】
私たち自身にも、明るい色を選びたい日と、落ち着いた色に包まれたい日があります。
それは毎日の価値が変わったからではありません。心や身体の調子、天気、過ごす場所によって、心地よい色が違うだけかもしれません。
龍の色が変わって観えたときも、すぐに結論を出さなくてよいと思います。
昨日と違うことに気づく。今の色を、良し悪しに分けずに眺める。わからない部分は、わからないまま残す。
色が変わったことは、変わったこととして大切に受け取ります。けれど、それを未来の保証や警告には変えません。
次に観えたとき、また同じ色かもしれません。まったく別の色かもしれません。あるいは、色までは観えないかもしれません。
そのときに観えた姿を、そのときの言葉でお伝えする。
龍観術で私が守りたいのは、色の意味を増やすことより、観えたものと観えなかったものの境目を曖昧にしないことです。