【霊信】限りある人生、あなたはどう生きる?

【霊信】限りある人生、あなたはどう生きる?

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「まだ間に合う」と思っているうちに、
人生は過ぎてゆく。

「もう手遅れだ」と諦めていても、
人生は過ぎてゆく。

では、限りある人生を、

私たちは一体、

どう生きればよいのでしょうか?

本編では、10代から70代以降まで、各世代が抱える「人生の課題」について、私の守護霊団から賜った『霊信』をご紹介いたします。

ただし、これらの課題は、必ずしもその年代だけのものではありません。

今の自分自身はもちろん、ご両親やパートナー、お子さんなど、大切な人たちの人生にも重ね合わせながら、お読みいただければ幸いです。

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◯ 10代が抱える課題|「現代という“禍堝”は、悪想念を育む温床」


〝この “乱世” ともいうべき世に生まれ、たましいを研鑽せしめようとするその心根は実に勇ましいもの。

しかし、この乱世を生き抜くは容易ならざるものでもある。

みな “小さき箱” ばかりに目を落とし、己の及ばざるところばかりに気を取られ、

「あれが欲しい、これが欲しい」「許せぬ、解せぬ、なぜあいつだけが」

と、悪想念を肥やす温床が、あちらこちらに見受けられる。

いかにこの禍堝(まがつぼ)において、正気を保ち、健やかなるたましいの学びを積んでゆき、まことの道を歩んでゆけるか否か。

試されておるのだ。〟

・・・

現代の十代は、生まれた頃からスマートフォンやSNSが身近にあり、膨大な情報に囲まれて育っている世代。

画面を覗けば、誰かの華やかな暮らしぶりや、容姿、才能、成功体験などが、日常的に次から次へと飛び込んでくる。

すると次第に、

〝他者の人生ばかりを見つめているうちに、自分自身の人生を見失ってしまうことがある〟

スポンジのようになんでも吸収しやすい世代特有のリスクが、ここには多く潜んでいるわけです。

「あの人はいいな」「自分もあれが欲しい」「どうして自分だけが」

こういった思いに囚われ、嫉妬や怒り、不満ばかりを心の中で育ててしまえば、いつしか目の前にある大切なものさえ、見えなくなってしまう。

自分は何を望み、何に喜びを感じ、どのような人間になりたいのか?

誰かと比べて優れているか、劣っているかではなく、自分自身の目で見て、心で感じ、考えること。

現代という “乱世” を生き抜くことは決して、容易なことではありません(大人でさえ、容易ではないのですから)

しかしだからこそ、

わざわざこの時代に生まれ、さまざまな葛藤を経験しながら成長してゆくことにも、大きな “霊的な意義” があるとも言える。

何に心を向け、何を心の中で育ててゆくのか。

その一つひとつの選択が、これから先の長い人生を支える、たましいの〝土壌〟となってゆくのではないかと。

◯ 20代が抱える課題|「無自覚に『野性』を奪われる、“魅惑的”な世界」


〝小さき檻の中、右往左往する鼠たちはみな、えも言われぬ芳しき香りに導かれ、西へ東へ、南へ北へと奔走する。

もはや抗うことのできぬ “本能” とも言うべき何かに導かれるがまま、「あちらに行け、こちらに行け」と、唆されておるものばかり。

しかし、右と左、東と西、北と南、いずこに “正しき道” はあらんやと問うても、どこにも〝正しき道〟など、あるはずもなく。

己が信念を真っ直ぐと貫き、後悔のない道程を、その二本の足で踏みしだきながら突き進む。

この程度の心持ちがなければ、もはや歩むことすらままならぬ。難しき者たちだ。〟

・・・

現代の二十代を取り巻く世界には、実に多くの “魅惑的なもの” があふれています。

スマートフォンを覗けば、誰かの華やかな暮らしぶりや成功体験、流行の品々、さらには「こうすれば幸せになれる」といった、さまざまな情報が次から次へと飛び込んでくる。

一見すると、かつてないほど多くの選択肢に恵まれた、自由な時代を生きているようにも見えるでしょう。

しかし、ここにこそ、大きな〝罠〟が潜んでいる。

それは、

〝自分自身の意志で選んでいるつもりでも、実際には、誰かに “レコメンドされた選択肢” の中を、右往左往しているだけなのかもしれない〟

ここなのです。

「これが普通でしょ?」

「これが当たり前でしょ?」

「だって、みんなはこうしてる」

こうした世間の常識や、誰かが示した “模範解答” を、知らず知らずのうちに自分自身の価値観として受け入れてしまう。

そしていつしか、自分が本当は何を望んでいるのかさえ、分からなくなってしまうことがあるのです。

なんなら、自分自身が “檻” の中にいることさえ、気づいていないのかもしれない。

だからこそ、二十代という季節では、今一度、自分の中にある “野性” を取り戻すことを意識してみる。

といっても、ここでいう「野性」とは決して、周囲の人々や社会の常識に反発して、好き勝手に振る舞うことではありません。

自分自身の目で見て、頭で考え、心で感じ、そして、自らの意志で人生の進むべき道を選び取る源泉のこと。

もちろん、必ずしも、誰かが敷いてくれたレールの上を走ることが、悪いわけではありません。

その道が、自分自身の信念にかなうものであれば、胸を張って歩んでゆけばよいのです。

しかし、もしも自分の「本当に行きたい場所」が、レールの外側にあるのだとしたら?

誰かが示した〝正しき道〟に囚われることなく、自らの二本の足で、新たな道を切り拓いてゆく勇気も必要になってくる。

大切なのは、どの道を選ぶかということ以上に、その道を「誰の意志で選んだのか」ということ。

こうした主体性を少しずつ育んでゆくことができれば、

これから迎える三十代、さらにはその先の人生においても、自分自身の信念を見失わずに歩んでゆくための、大きな支えとなるのではないかと。

◯ 30代が抱える課題|「進むべき道に迷い、己の『信念』が試される世代」


〝『これぞ、我が道のはず』そう思うて、道を歩んできたものたちもまた、己が意志に迷いが生ずることがある。

道なき道を進めばこそ、そこにあるのは傷だらけの二本の足だけ。後ろを振り向けば、そこには果てしなき、もはや遠くの方は暗くて何も見えぬ一本道のみが広がるばかり。

その孤高なる道程において、惑うことは避けられぬことであろう。ゆえにここで多くのものが、気の迷いから “あらぬ方角” へと、その航路を変えてしまう。

しかし此方、己が信念を貫き通すものもあり、ここで人生における旅路は大きく、その様相を変えてゆくのだ。〟

・・・

働き盛りであると同時に、これまでの人生を振り返り、自らの歩んできた道に迷いが生じやすいのも、三十代という時期なのかもしれません。

仕事・暮らし・人間関係 etc…

二十代の頃には「これが自分の進むべき道だ」と信じていたことも、年齢を重ね、さまざまな経験を積んでゆく中で、少しずつ揺らぎ始めることがある。

ましてや、社会の常識や価値観さえも目まぐるしく移り変わる現代において、かつてのように「このレールに沿って走っていれば、将来は安泰」とは、なかなか言い切れない。

「本当に、このレールの先に道は続いているのだろうか?」

「もしかすると、このまま進んだ先には、崖が待ち構えているのではないだろうか?」

そんな疑念から、これまで歩んできた道を見失い、人生の「路線変更」を考え始める方もいらっしゃるのではないでしょうか。

もちろん、路線変更そのものが悪いわけではありません。

時代の変化に応じて、これまでの考え方や生き方を改め、進む方向を変えてゆくことも、時には必要です。

しかし、ここには一つ、大きな〝落とし穴〟があります。

それは、自分自身の信念に基づいて新たな道を選び取ることと、不安や焦りに駆られ、ただ闇雲に進む方向を変えてしまうことは、まったくの別物である、ということ。

せっかく長い年月をかけて歩んできた道であっても、気の迷いから、それまで積み重ねてきたものを自ら手放してしまうことがあります。

だからこそ、三十代では、目まぐるしく変わりゆく「世界/社会」に関心を持ちながらも、ただ周囲の変化に翻弄されるのではなく、

「自分は何のために、この道を歩んできたのか?」

「これから先、本当はどこへ向かいたいのか?」

ということを、今一度、自らに問いかけてみる。

守るべき信念は守り、改めるべき考えは改める。そして、必要とあらば、進み方そのものを変えてゆく。

一つの道に固執することと、信念を貫くことは、必ずしもイコールではありません。

こうした人生の岐路において、いかに自分自身の意志で「舵」を取り、後悔のない選択を積み重ねてゆけるか。

この部分にこそ、後に控える四十代、さらには人生そのものの歩みを大きく分かつ、重要な鍵が隠されているのではないかと。

◯ 40代が抱える課題|「何も実っていない『畑』を目の前に、絶望している暇はない」


〝此方、荒れ果てた畑を前に、呆然と立ち尽くすもの。

此方、実り豊かな果樹園を前に、より一層心をはずませるもの。両者の間には、いつしか “大きな溝” が生まれてくる頃合いであろう。

「どこで道を違うたのか、なぜこうなったのか」という、後悔の念で視界が曇るものも多く見受けられる。

しかし、健やかなる肉体と精神、そしてたましいさえあれば、何度でも畑を耕すことはできよう。

過ぎたことを嘆いたところで、実がなるわけもなく。

嘆く余力が残されておるならば、畑を耕し、豊かな実りを育むことにこそ、その心血を注ぐ方が、よほど生きている甲斐があるというもの。

みすみす現世の限られた時間を、無駄にせぬことだ。〟

・・・

四十代という “季節” は、これまでの人生を振り返り、眼前に広がる “畑” の状態を、否が応でも意識することが増えてくる頃合いなのかもしれません。

かつて思い描いていたような豊かな実り(社会的な成功など)を手にしている方もいれば、一方で、荒れ果てた畑を前に、途方に暮れてしまう方もいらっしゃる。

「自分はこれまで、何をしてきたのだろうか?」

「一体どこで、道を間違えてしまったのだろう?」

仕事・暮らし・人間関係 etc…

二十代、三十代と、それぞれの人生を歩んできた結果が、少しずつ目に見える形となって現れ始める。

それが、四十代という季節の一つの特徴なのでしょう。

しかし、ここでも一つ、忘れてはならない大事なことがあります。

それは、

たとえ今、目の前に広がっているのが〝何も実っていない畑〟だったとしても、これから先、何も実らないと決まったわけではない、ということ。

もちろん、過ぎ去った時間を取り戻すことはできません。

また、これまで自分なりに懸命に生きてきたにもかかわらず、思うような結果に恵まれなかった方もいらっしゃるでしょう。

中には、どうしてもそうならざるを得なかった。

そんな境遇の方もいるはずです。

とはいえ、いかなる事情であれ、過去にばかり目を向けつづけても、目の前の畑に “新たな実り” が生まれるわけもない。

「あのとき、こうしていれば」

という後悔の念に囚われ続けるのか?

それとも、今ある畑の状態を見つめ直し、もう一度、土を耕すところから始めてみるのか?

ここに、その後の人生を大きく分かつ、一つの岐路があるわけです。

何も、かつて思い描いていた理想の人生を、そっくりそのまま取り戻す必要はありません。

今の自分だからこそ蒔ける種もあれば、これまでの経験があるからこそ、育てられる実りもあるはずだから。

そして、畑を耕すということは、必ずしも大きな成果を求めて、がむしゃらに働き続けることばかりを意味しません。

自分自身の心身をいたわることも、暮らしを整えることも、人との関わりを見つめ直すことも、これからの人生を育むための大切な〝土づくり〟と言えるでしょう。

ゆえに四十代には、これまでの人生で得られなかったものばかりを数えるのではなく、

「残された人生の中で、自分は何を育ててゆきたいのか?」

ということに、今一度、目を向けてみる。

たとえ小さな一歩であっても、今日から新たな種を蒔き、少しずつ畑を耕してゆく。

その積み重ねが、これから迎える五十代、六十代、さらには人生の最期を迎えるその日まで、自分自身を支える豊かな実りにつながってゆくのではないかと。

過ぎた時間を嘆くためではなく、これから訪れる時間を、より豊かに生きるために。

今一度、自らの〝畑〟に向き合ってみることが肝要なのです。

◯ 50代が抱える課題|「『いつか報われる』という期待を手放し、すでにある“実り”を見つめ直す」


〝『神はきっと、救ってくださる』

そう信じて疑わぬ、純真無垢な信心をもつのは構わぬが、そなたらの言う『神』なる存在は、そなたらが思うておるほど、“慈悲” 深きものにあらず。

人は “苦難” に見舞われたとき、目には見えぬ畏きものたちに対して、救いを求めるであろう。

しかし、そなたらのいう『苦しみ』の多くには、大霊(=神霊)のまなざしからすれば、実に “実り多きこと” として映っていることがある。

つまり、“苦難” を取り除くということはすなわち、そなたら人から “実り” を奪う行為にもなりかねぬのだ。

到底、理解の及ばぬことであろうが、それこそが “御教え(みおしえ)” というもの。

手を擦り合わせて祈っている暇などない、どこにもありはしないのだ。

限りある余生の旅路、そして、すでにある幾許かの実りをつぶさに眺め、今一度、『己はどう生くるべきなのか』と、己に問うてみることだ。〟

・・・

半世紀という長い年月を生きていれば、これまでの人生を振り返り、さまざまな思いが胸に込み上げることもあるでしょう。

懸命に努力を重ね、それなりの実りを手にしてきた方もいれば、一方で、思うような結果に恵まれず、あまたの苦難を乗り越えてこられた方もいらっしゃるはずです。

「これだけ頑張ってきたのだから、いつかはきっと報われるはず…!!!」

「神さまも、いつかは自分を救ってくださるはず…!!!」

こういった〝淡い期待〟を胸に、今日まで歩んできた方も、決して少なくない。

しかしここで、大事なことを一つ。

これは全世代に共通することではあるのですが、

人間にとっての「救い」と、たましいにとっての「実り」は、必ずしも同じものではない。

ここなのです。

たとえば、私たちは苦難に見舞われると、どうしても「この苦しみから解放されたい」「一刻も早く、元の暮らしに戻りたい」と願うものです。

もちろん、それ自体は何ら不自然なことではありません。

しかし、人生を振り返ってみれば、

当時は苦しくて仕方がなかった経験が、後になって思いもよらぬ形で、自分自身を支える糧となっていた。

そのような経験も、少なからずあったと思うんですね。

無論、すべての苦難を美化する必要はありませんし、苦しみを耐え忍ぶこと自体が尊いわけでもありません。

必要なときには誰かの助けを借り、避けられる苦難からは離れることも大切です。

ただ、私たちが「報われる」と考えていることだけが、人生における唯一の〝実り〟であるとは限らない。

そして、もう一つ。

「いつか報われる日が来るはずだ」と、ただ待ち続けているだけでは、限りある人生の時間は過ぎ去ってしまうのだということ。

だからこそ、五十代という季節においてはまず、

これまでの人生で、自分が何を得てきたのか?

その経験や学びを、これからの人生にどう生かしてゆくことができるのか?

これからの人生を、三十代や四十代の頃と同じように、がむしゃらに駆け抜ける必要はありません。

だからといって、自らの人生を誰かに委ねてしまってよいわけでもない。

「いつか誰かが救ってくれるはずだ」

という期待に、ただ身を預けるのではなく、

「自分はこれから、残された余生をどう生きてゆきたいのか?」

という問いを、今一度、自らに投げかけてみる。

そして、すでに手にしている〝実り〟を見つめ直し、今の自分だからこそできることに、少しずつでも力を注いでゆく。

そのような心持ちで日々を丁寧に積み重ねてゆくことが、

これから迎える六十代、さらには人生の最期までをも、より豊かに生き抜くためには大切になってくるのではないかと。

◯ 60代が抱える課題|「他人の『秤』では測れない、己の『幸福』を測る尺度」


〝広大な土地を有しておるもの、小さな鉢をその手に抱えておるもの。

この季節ともなれば、両者の現世における暮らしぶりにもまた、大きな “違い” が出てこよう。

無論、どちらが優れておる、劣っておると申しておるのではなく、ただそこにあるのは、これまでの旅路を “いかに生きてきたのか” という一点のみ。

しかし、この「違い」を埋めようと思うた場合、それは決して、容易ならざること。

だからこそ、いかなる尺度、秤(はかり)をもって、己が幸福を見つめるのか?

この「まなざし」によって、そなたらの「生きざま」は、変幻自在に姿形を変えるものなのだ。〟

・・・

六十代という季節は、これまでの人生で積み重ねてきたものが、暮らしぶりの違いとなって、より鮮明に見えてくる頃合いなのかもしれません。

広大な “土地” を手にしている方もいれば、その手にあるのは “小さな鉢が一つ” だけ、という方もいらっしゃるでしょう。

もちろん、ここでいう “土地” や “鉢” は、必ずしも経済的な豊かさだけを意味しているわけではありません。

仕事・暮らし・人間関係 etc…

これまでの人生で育んできた、ありとあらゆるもの全て。

半世紀を超える旅路を経て、それぞれが手にしているものには、さまざまな “違い” があるはずなのです。

そして、その違いを今から埋めようと思っても、決して容易ではない。

だからこそ、ここで一つ、考えてみていただきたいことがあります。

「そもそも、誰かと同じだけの “豊かさ” を手にすることが、あなたにとっての『幸福』なのだろうか?」

と。

目の前に広がるのが、見渡す限りの広大な土地であれば、たしかに育てられるものも多いでしょう。

一方、小さな鉢しか持たないのであれば、できることには限りがあるのかもしれない。

しかし、だからといって、

その小さな鉢では、何一つ育てられないというわけではありません。

むしろ、小さな鉢だからこそ、愛おしく、大切に育てられるものもあるかもしれない。

大切なのは、誰かの畑と自分の鉢を比べて、どちらが豊かであるかを決めることではありません。

自分自身が、何を育て、何に喜びを見出し、どのような人生を生きてゆきたいのか。

そのことを、今一度、問い直してみることです。

もちろん、現実的に暮らしに困難さがあるのであれば、ただ考え方を変えればよいというものでもありません。

時には、行政を頼る必要もあるでしょう。

必要なものは必要ですし、暮らしを立て直すために、できる限りのことをするのは、最低限の条件ですからね。

ただ、かつて思い描いていたような豊かさを手にできなかったからといって、これからの人生まで諦めてしまう必要はないのです。

「自分にとって、“豊かな人生” とは何なのか?」

たとえ小さな鉢であっても、そこに新たな種を蒔き、芽吹きを喜び、日々のささやかな変化に心を弾ませることはできる。

何より大切なのは、こうした喜びを生み出す、自分自身の “まなざし” を失わないこと。

命の炎を絶やすことなく、今あるものを大切に育みながら、これから先の人生にも、新たな実りを見出してゆく。

こういった心持ちで日々を生きることができれば、

たとえ人から見れば小さな鉢であっても、自分自身にとっては、かけがえのない “豊かな菜園” となるのではないかと。

◯ 70代以降が抱える課題|「心残りのない『幕引き』のために、今をどう生きるか」


〝そなたらにとって、かくも “短くも長き旅路” に、終わりの時が差し迫っておる。そう考えている頃合いであろう。

が、人は死して死なぬものゆえ、これはむしろ、“新たなる旅立ちの時” でもあるのだ。

そうは申せど、幾許かの心残りがあるものも、中にはおろう。

こちらでの “おつとめ” に勤しみ励むためにも、現世における旅路において、心残りのない “いさぎのよい幕引き” を、絶えず心がけることだ。

“狭き箱” に詰められたとき、箱を見下ろすものたちが、いかなる出で立ちや思いで、そなたを送り出さんとしているのか?

いずれ訪れるその時まで、“よき風景” を眺めながら旅立てるよう、備えて生きることこそが、この “季節のはじまり” を迎えるためには肝要なことなのだ。〟

・・・

少々、縁起でもない話から始まりましたが、決して悪い意味ではないのです。

要は「人生の最期」を迎えるそのとき、いかなる心持ちで、現世から「あの世」へと旅立ってゆくことができるのか?

七十代以降という季節は、こうした人生の “幕引き” についても、少しずつ考えてゆく頃合いなのかもしれません。

もちろん、何歳まで自分は生きられるのか?

そんなことは、誰にも分かりません。

また、七十代、八十代になってから、新しい何かに挑戦し、大きな実りを手にする方もいらっしゃるでしょう。

しかし、長い年月を生きていれば、

これまでの人生で手にしてきたものだけでなく、いつかは手放してゆかなければならないものについても、考える機会が増えてくるはず。

仕事・暮らし・人間関係 etc…

そして、これまで積み重ねてきた、数えきれないほどの経験や思い出。

そうしたものを振り返ったとき、

「自分は、これまでの人生をどのように生きてきただろうか?」

「残された時間を、どのように生きてゆきたいのだろうか?」

という問いに、今一度、向き合ってみる。

人間である以上、思いどおりにならなかったことも、やり残したことも、少なからずあるはずだと思うんですね。

しかし、過ぎ去った時間を悔やみ続けることと、残された時間を使って、できる限り、心残りを減らしてゆくことは、まったくもって別物。

たとえば、長い間、伝えられずにいた感謝の気持ちを言葉にしてみる。

疎遠になっていた大切な人との関係を、可能であれば見つめ直してみる。

あるいは、これまでの人生で培ってきた経験や知恵を、必要としている誰かに分かち合ってみる。

こうした、一見すると何気ない日々の積み重ねが、やがて人生の最期を迎えたとき、あなたの心眼には “よき風景” として、映し出されるかもしれない。

もちろん、

もっとも大切なのは、どれほど多くの人に見送られるかではなく、

これまでの人生で、何を大切にして、誰とどのように関わり、どのような思いを他者に、社会に、世界に残してゆくことができたのか?

別の表現をするならば、

どれほどの経験と感動を「あの世」に持ち帰ることができるのか?

やはりここにこそ、集約されると思うのです。

今のあなたは、胸を張って旅立てるような日々を生きていますか?

もし、そうではないと感じるのであれば、今日からでも、代わり映えのない日常に〝小さな一石を投じる〟ところから始めてみることです。

まだまだ人生に “新たな彩り” を添える時間が、私たちには残されているはずですから。

◯ まとめ|「人生の旅路で、私たちに問われていること」


ここまで、10代から70代以降まで、それぞれの世代が抱えやすい問題について、私の守護霊団による『霊信』を交えながら、お送りしてまいりました。

改めて整理すると、各世代には次のような “人生の課題” が浮かび上がってきます。

・・・

◯ 10代|欲望や比較に翻弄されず、正気を保つ

◯ 20代|無自覚な誘導や支配に気づき、主体性を取り戻す

◯ 30代|迷いの中でも、自らの信念を見失わない

◯ 40代|過去への後悔から離れ、再び人生を耕す

◯ 50代|救済を待つだけでなく、人生の実りを見つめ直す

◯ 60代|他者との比較を離れ、己の幸福を測る尺度を持つ

◯ 70代以降|心残りの少ない旅立ちに向け、残された日々を生きる

・・・

こうして俯瞰して眺めてみると、世代ごとに異なる課題がありながらも、その根底には一つの “共通したメッセージ” が流れているようにも思います。

それは、

〝自分自身の人生を、他の誰でもない、自分自身の意志で生きること〟

これです。

もちろん、これらの課題は、必ずしも特定の年代に限られたものではありません。

十代であっても人生の終わりについて考えることはありますし、七十代を迎えてから、新たな道を切り拓くこともあるでしょう。

こればっかりは、あなたの守護霊団にお話をうかがってみないことには、分かりません。

ただ、大切なのは、

自分の年齢に当てはまる項目だけを読むことではなく、今の自分が、どのような課題に向き合っているのか?

一連の流れの中で、見つめ直すこと。

そして、残された人生の旅路を、これからどのように歩んでゆきたいのか。

この “答えのない問い” と、絶えず真摯に、真剣に向き合って、考えて、考え抜いて、最後には行動に移していく。

これが本当の意味での『開運』なのです。

◯ 追伸

もし、個別でご相談をしたいことがある場合には、ぜひ一度、下記の『ご挨拶』をお読みください。

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