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「待ってください。その三つめにはびっくりしてしまう。不安や恐怖が似たエネルギーを引き寄せるなら、どうして存在するすべてが愛だということになるんですか?」(ニール)
『愛は究極の現実だ。それが唯一であり、すべてだ。愛を感じるということは、神を体験することだ。
至高の真実のかなでは、存在するすべては愛であり、存在したすべて、これから存在するであろうすべても愛である。絶対の領域に入るとき、あなたがたは愛のなかへ歩み入る。相対性の領域は、わたしが自らを体験するために創り出したものだ。
このことは、もう説明した。だからといって、相対性の領域が現実にあるわけではない。それはあなたがたとわたしが自分を体験的に知るために工夫した、そしていまも工夫しつづけている、創られた現実だ。』
『だが、この創られた現実はほんとうに現実的に見える。現実的に見せて、ほんとうに存在すると思わせるのが目的だからだ。この方法によって、神は自分以外の「べつの何か」を考案した(厳密な意味ではこれは不可能なのだが。なぜなら。神、すなわちわたしは「すべて」であるから)。
「べつの何か」、つまり相対性の領域を創造することで、わたしは、あなたがたが神であると言われるだけではなく、神であることを選択できる環境を創り出した。その領域で、あなたがたは概念ではなく創造行為として、神格を体験できる。』