神との対話① 第一章 P85

神との対話① 第一章 P85

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先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう

P85
「でも、イエスだって病む人を癒やしました。そのひとたちの条件がそれほどに「完璧」なら、どうして、イエスは癒やしたのですか?」(ニール)
『イエスは、そのひとたちの条件が完璧でないと思ったから癒したのではない。そのひとたちの魂がプロセスの一環として癒されることを求めていると気づいたから、癒したのだ。かれはプロセスの完璧さを見抜いていた。魂の意図を見抜き、理解していた。精神的、肉体的な病人のすべてが完璧さに欠けると考えていたなら、イエスは地上のすべての病人を一度に癒したはずではないか?イエスにそれができたかどうか、疑うのか?』
「いいえ。疑いはしません。できたと思います。」(ニール)
『よろしい。それでは、なぜイエスはそうしなかったのか?どうしてキリストは、ある者を苦しませておいて、ある者を癒すことを選んだか?そもそも、神はなぜ苦しみを放置しておくのか?その疑問は昔からあるし、答えはいつも同じだ。完璧だというのはプロセスのことであり、すべての人生は選択されたものだ。その選択に介入したり、疑問を持ったりするべきではない。

では、どうするべきか。魂がより高い選択を求め、実行するように見まもり、助けてやることだ。』
イエス・キリストは、本当すべての人を一瞬で癒す力は持っていたのです。
ただ、イエスが癒したのはその人の魂のプロセスの中で「癒しが必要な人」だけでだった
ということです。
イエスはすべての人のプロセスを知り、必要な人のみに癒しを与えたのです。

だから、癒しを与えられなかった他人や魂の課題を理解していない他人から嫉妬され、妬まれ、迫害を受けたのです。(「なんで他の人を癒し、私を癒してくれないのですか?」)
そして、『迫害』を受ける真の理由も知っていたからこそ、処刑されたのでしょう。

イエスほどの力を持っていれば、いくらでも逃げることが出来たはずです。
自分が処刑されることで、より多くの人の魂の課題の解決に結びつくと考えあえてそうしたのでしょう
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