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「でも、イエスだって病む人を癒やしました。そのひとたちの条件がそれほどに「完璧」なら、どうして、イエスは癒やしたのですか?」(ニール)
『イエスは、そのひとたちの条件が完璧でないと思ったから癒したのではない。そのひとたちの魂がプロセスの一環として癒されることを求めていると気づいたから、癒したのだ。かれはプロセスの完璧さを見抜いていた。魂の意図を見抜き、理解していた。精神的、肉体的な病人のすべてが完璧さに欠けると考えていたなら、イエスは地上のすべての病人を一度に癒したはずではないか?イエスにそれができたかどうか、疑うのか?』
「いいえ。疑いはしません。できたと思います。」(ニール)
『よろしい。それでは、なぜイエスはそうしなかったのか?どうしてキリストは、ある者を苦しませておいて、ある者を癒すことを選んだか?そもそも、神はなぜ苦しみを放置しておくのか?その疑問は昔からあるし、答えはいつも同じだ。完璧だというのはプロセスのことであり、すべての人生は選択されたものだ。その選択に介入したり、疑問を持ったりするべきではない。
では、どうするべきか。魂がより高い選択を求め、実行するように見まもり、助けてやることだ。』