先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう
P82
『何千年ものあいだ、人びとはほんとうにしては素晴らしすぎる、というばかばかしい理由で神の約束を信じなかった。そして、もっと小さな約束、もっと小さな愛を選んだ。神の最も高い約束は最も高い愛から生じる。あなたがたは完璧な愛を考えられず、完璧な約束も考えられない。それに、完璧な人間も考えられない。だから、自分自身すら信じられない。
こうしたことを信じられないというのは、神を信じられないということだ。神を信じれば、神の最大の贈り物である無条件の愛と、神の最大の約束である無限の可能性が信じられる。』
神を信じられないということは自分を信じられない ということ。
自分を信じられないから、また神を信じられなくなる。そしてまた、自分を信じられない。
この悪循環なのです。
この悪循環を断つには、『思い出す』ことがとても大切なのです。
思い出したこと(ふと思ったこと)を勇気をだして実行してみる。
最初は確立が高くないかもしれませんが、予想外の展開でうまくいくことも多いのです。
(予想外=過去の固定観念では考えられないから)
そのような体験を積み重ねることで、神と自分を少しずつ信じられるようになります。
人生は自分(神)を信じる旅(ゲーム)なのです。
たくさんの出来事から、どれだけ自分を信じて行動を起こすか?
もちろんうまくいかない時もあるでしょう。それは『失敗』ではなく、次に活かす『機会』なのです。
そうして機会をたくさん経験して『自己信頼』を上げていくのです。
これも魂の進化なのですね。
「ちょっと、口をはさんでもいいですか?神様の話のじゃまはしたくないのですが…。でも、前にもその無限の可能性については聞いたことがあるのだけれど、人間の経験とは合致しないんです。平均的な人間がぶつかる困難はさておいても、知的、肉体的に制約をもって生まれてきた人たちに課されるチャレンジはどうなんでしょうか。ハンディのあるひとたちにも無限の可能性があるんですか?」(ニール)
『そのひとたちに、自分が選びもしない制約があると思うのか、人間の魂が人生のチャレンジに―どんなチャレンジであれ―いきあたりばったりに出会っていると思うのか?そう考えるのか?』
「それでは、魂は、どんな人生を経験するかを前もって選択しているというのですか?」(ニール)
『いや、ちがう。それでは出会いの目的が損なわれてしまう。現在という栄光ある時に、経験を創り出すこと、したがって自らを創り出すことが魂の目的なのだから。どんな人生を経験するのか、前もって選びはしない。だが、経験を創り出すためのひとや場所、出来事は選ばれ、条件や環境、そしてチャレンジや障害、機会と選択肢も選ばれている。パレットの色、道具箱のなかの道具、作業場の機械は選ばれているのだ。それで何を創るかは、あなたがたの仕事だ。それが人生というものだ。』
これは「宿命」と「運命」できる説明できると思います。
宿命⇒基本的に変えられないもの
(これは生まれる前に選んできている。ここではパレットの色、道具、作業機械ですね)
例えば、男女、国、家庭、身体的特徴など。これらは生まれてからは、大きくは変えることはできません。
運命⇒自由に選択でき、自分でいつでも変えられるもの
(何を創るか、描くか、体験するかは私達の仕事なのです。)
すべて自分で自由に選択をしながら変えることが出来る。生まれた後も、自分で決めて変えるができる領域。
ただ、「宿命」と「運命」の違い気づかず、『運命』を自分で選択できることと理解できずに嘆き悲しむだけになっている場合が多いようです。
例えば、
「親ガチャ」
これは親は選べなく、どうしようもないというあきらめが入った言葉です。
これはかなり深い「幻想」に惑わされています。
そして「何でこんな親なんだ。」と、幻想に呑み込まれてしまい、被害者意識を強く持つ。
しかし、「宿命」という観点から見ても、生まれる前に親を選んで来ています。
そして、「運命」という観点から見ても、そこでの経験は変えることができるのです。
「何でこんな親なのか?」
という視点から
「なぜ、この親を選んだのか?」
「この親から何を経験するために生まれたのか?」
視点を変えることで、問いを自分の中に探すようになります。
その時、自分の見える世界が少し変わってきます。
視座が上がり、魂が進化するのです。
いつも「内側」に問うことで、運命を変えることがましょう。
「私の体験」
私は父親をこの世の誰よりも憎んでいました。
勉強を強制的にやらされ、問題が解けないと
「こんな問題も解けないのか」と言われる。
(小3で中学受験の勉強をさせられていました。解けるはずがありません。)
それ以外にも多々自己否定されるようなことを経験しまし、いわゆるインナーチャイルドが傷ついた状態となっていました。
「なんで自分の父親はこんな父親なんだ」、と、原因を外に向け、いつしか一番憎むべき存在となっていました。
それは40歳を過ぎてもさほど変わらない状態でした。原因を外に向けていたからですね。
そしてこの神との対話③の中の「小さな魂」の話を読んだ時に「真実」を知りました。(思い出しましたと言う方が近い感覚です。)
私が「他人を赦す」という経験をしたいために、父は憎まれ役をかって出たのだと。
そしてあえて父親のもとに生まれてきたのだと。
そして私も父を憎むように自分で設定してきていた。
父を最も憎んでいたから、他の人を憎むことはなったという素晴らしい体験と、真実を知って、最も憎むべき人が最も感謝すべき人に変わったという凄い体験をしました。
お陰でこの先、私が人を憎むことはもうないのだろうと思います。最も憎んでいた人を赦せたのですから・・・
神との対話に出逢わなければ、もしかしたら今世は気づかなかったかもしれません。
一方で、神との対話の出逢いも、自分で設定していたとも感じています。