先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう
P69
『あなたがたの考え方からすれば、そうした結果をあなたがたが選んだわけではない。わたしが選んだのでもない。わたしと同じで、あなたがたはそれらを見ている。そして、それとの関係で自分は 何者であるかを決める。
世界には犠牲者もなければ、悪人もいない。誰も、他者の選択の犠牲者ではない。ところがあるレベルでは、あなたがたはみんなで唾棄するものを創り出している。』
あなたがすべてを創造したものではありませんが、
あなたを含めたたくさんの他人が創造したものが現実化されるのです。
あまり必要でないことも含めて・・・
『創り出したということは、それを選んだということだ。これは進んだレベルの思考だ。すべての<マスター>は遅かれ早かれ、このレベルに到達する。
すべての責任を引き受けたときにはじめて力を得て、ほんの一部でも「変える」ことができるようになる。「こんな目にあう」のは、何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできない。「わたしの責任だ」と言ったときはじめて、それを変えられる。
自分がしていることを変える方が、他者がしていることを変えるよりずっと容易だ。なにごとであれ、それを変える第一歩は、選んだのは自分だと認め、受け入れることだ。
個人として責任があると思えなければ、わたしたちはすべて一体であるという理解を通じて、認めなさい。それから、間違っているからではなく、ほんとうの自分にふさわしくないからという理由で、変化させる努力をしなさい。』
自分が意図しないものが創造された時に
「だれがこんなもの(世界・状況)を創ったのか」
と、他責にして切り捨てるのか?
「これは自分も含めた意識の想像によって創造されたものだ
この創造されたもの中から、自分は何をさらに創造するのか?」
と受け入れ、更なる創造につなげるのか?
とらえ方で大きく行動が変わってくるはずです。
自分の行動は自分のとらえ方で容易に変えられるのです。
他人の行動を変えるよりよっぽど簡単です。
どちらかが人類にとって有益なのかは、魂が知っているでしょう。
視点・視座を変えて自分を「変化」させて行きましょう。
『何かをする理由は、ひとつしかない。宇宙に向かって、自分が何者であるかを示すことである。』
責任を取るためには、自分は何者であるかを定義しない限りそれはできません。
定義しないことは責任を取る意志が無いということです。
もちろん神との対話では、神は「そうしろ」とは言いません。
定義をしない選択も、ひとつの選択となります。ただ、それだけ。
しかし、あなたの魂が求めている「自身の魂の進化・再創造」には、自分を定義しないという選択は有益ではないことは、魂がしっています、感じているはずです。
魂の意図に従って行動できますか?