神との対話① 第一章 P64

神との対話① 第一章 P64

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先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう

P64
『世界がいまの状態なのは、ほかの在り方ができず、まだ物質的に素朴な領域にあるからだ。地震やハリケーン、洪水、竜巻など、あなたがたが天災と呼ぶものは、一方の極から対極への要素の移動にほかならない。
生死の循環はすべて、この移動の一部である。それが生命のリズムであり、素朴な領域にあるものはすべて、このリズムに従う。生命それ自体がリズムだからだ。
それは波であり振動であり、「存在のすべて」の鼓動だ。病や不調は健康と快調の対極であり、あなたがたの要請に応じて現実になる。どこかのレベルで自らが引き起こさなければ病気にはならないし、元気になろうと決意さえすれば快くなる。
個人的な深い失望も自分で選んだものだし、世界的な災厄は世界的な意識の結果である。
あなたの質問は、わたしがそういう出来事を選んだのではないか、災が起こるのは神の意志であり。望みなのではないかということだろう。だが、わたしがこうした出来事を起こさせるのではない。』
人類はまだ「素朴な関係」しか気づけないから、その結果として今の世界があるのです。
賛成か反対。成功か失敗か。善か悪か
極端な対応を求められることはまだまだ多い世界ですよね?
その関係が今の世界の出来事に反映しているのです。

先にも書ましたが、創造する力を持ったすべての人類が「集合意識」によって、現在を創っているのです。
たくさんの人の創造力が入った集合意識ゆえに、その力は強大なのです。
もし私達人類がその創造するエネルギーである「集合意識」を意識して使うようになれば、この地球も大きく変わるのではないでしょうか?
「素朴な関係」から「崇高な関係」への意識を変えれば、、、

それは誰かが変えるのではなく、ひとりひとりの意識が変わることが必要なのです。
誰がいつから意識を変えますか?
『わたしは見ているだけだ。止めようとはしない。止めれば、あなたがたの意志を損なうことになる。そんなことをすれば、あなたがたが神の体験をするのを妨げることになり、あなたがたとわたしがともに選んだ体験ができなくなる。』
神が手を加えてしまったら、意図のある体験しかできなくなり神が本当の自分の存在を体験できなくなります。
自分で創った自分しか体験できなくなるのです。
そんな限定的な体験を神は望んでいないのです。
だから、神は見守るだけなのです。
『だから、世界の悪と呼ぶものを避難してはいけない。それよりも、それのどこを悪と判断するのか、どこを変えたいのかと自問しなさい。
外に向かってではなく、うちに向かって、「この災厄を前に、いま自分は何を体験したいのだろう。自分のどの部分を引き出したいのか」と問いかけなさい。
人生のすべては、あなた自身の創造の道具なのだから。そして、出来事のすべては、自分は何者なのかを決定し、その自分になる機会を与えるために存在しているのだから。』
すべて自分たちで想像し創造をしているのです。
だとしたら、自分達が創造したものを「悪」と呼んだり
それは違うなど「批判する」ことは、自分達(自分)を悪とし、批判しているのとおなじなのです。
自分を含めた自分達が創造したこの世界を批判するのはちょっと無責任に感じます。

世界全体や起きた出来事を一気に変えるは難しいです。
ですが、自分を変えることは自分の意志しだいですから、簡単とは言いませんが、難しくはないと思います。

自分が変わり、自分の周りが変わる。そして、変わった他人の周りも変わっていく。
このようにしなければ全体を変えることはできないのです。

起こった出来事に対し「何で起こったのか?」ではなく
「なぜ人類はこの出来事を起こしたのか?そこから自分は何を感じ、今までと違う行動をとるのか?」
という視点、視座の上昇が必要なのです。
視点、視座の上昇には、自分を「定義」して、その「役割を演じる」ことが必要です。

村人Aを演じて起きた出来事に「何で起こったんだー」と嘆くのか?
勇者を演じて、起きて出来事に「何かの予兆かも知れない。どう対応をしようか」
と自分の役割を遂行するのか?
自分の定義で行動は全く違ってきます。

『あなたは何者ですか?』
『何を演じるために今世生まれてきたのでしょうか?』


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