神との対話① 第一章 P37

神との対話① 第一章 P37

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先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づき一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
つまりこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。

p.37
『この二分法―プロセスについてはあまり気にせず、結果について深く懸念するということーこれが、神の二分法に近い。
もっとも、ある意味では、神は結果についても気にしてはいない。究極の結果については懸念していない。究極の結果は決まっているからだ。』
究極結果とは?
『神は自分が何者であるかを知った』(自分は何者であるかを定義できた)
ではないでしょうか?

神がこの宇宙を創ったのは自分が何者なのかを知るため。
そして究極の結果はその目的は必ず達成できるということ。
自分で創ったゲーム(宇宙)なのだから、ゲームクリアできないようには創っていません。

もちろん、途中で何度かリセットしていることはあるかも知れませんが…
だから、いわゆる失敗も何度しても目的が達成されないことは無いです。

(そもそも失敗も体験の一側面であり、成功の反対の側面なだけなのです。)

『そこが、人間の第二の大いなる幻想だ。人生の結果が不確かだと思っている。』
でも私達はそれを知らずに、正確に言えばそのこと(神が自分を体験するための世界であり必ず目的が達成されるということ)をあえて忘れて生まれてきているのです。
覚えていたら、すべてが予定調和になってしまい「リアル体験」ができないですから。

リアルな体験をして気づきを得て、自分(魂=神)を進化させる。
これを繰り返すために、私達はすぐには創造できない物質的な世界に生まれてきているのです。

『究極の結果が不確実だと思うから、あなたの最大の敵が生まれる。不安だ。結果に確信がもてないから、創造者を疑う。神を疑う。神を疑えば、不安と罪悪感をいだいて生きることになる。
神の意図を疑い、究極の結果を生み出す神の力を疑っていたら、安らかでいられるはずがない。真の安らぎは感じられない。』
すべて忘れて生まれてきているから、目的を達成できないという「不安」に駆られてしまうのです。そしてそこから「神を疑う=自分を疑う=他人を疑う」とい悪循環に陥るのです

不安も、対局の愛を知るための体験でもあるというのを思い出すことが重要なのですね。

『神は意図する結果を生むだけの力をもっている。それがあなたがたには信じられない(たとえ、神は全能だと主張している者でも)。だから、あなたは神に匹敵する力を想像のなかで創り出し、神の意志が曲げられる方法を探し出そうとする。そうやって、神話のなかで「悪」と呼ばれるものを創り出した。神が(あなたと同じ方法で問題を解決すると考えて)いう存在と闘っていると想像した。そのうえ、あなたは神がこの闘いに負ける可能性があるとまで想像した。

すべて、あなたがたが知っているはずの神と矛盾するが、それはどうでもいい。

あなたは幻想のなかで生き、そのために不安を感じる。すべて、神を疑おうとしたことから生じているのだ。』
神を(自分を)信じることができないため、神を信じないという理由を正当化するために「悪」を人類は創り出したのです。
神が悪魔に負けることもあるとしていれば、神を信じない自分を正当化できるからです。

自分を正当化するために矛盾を創り出し(神の意志が曲げられる)その矛盾が矛盾を呼び、相当いびつな正当性が創り上げられています。
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