僕は小さい頃から、遠慮する性格でした。
自分がどうしたいかよりも、相手がどう思うかを先に考える。
嫌われたくない。
困らせたくない。
できれば、良い人だと思われたい。
そんな気持ちが、いつも心のどこかにありました。
保育園のお泊まり行事でも、それがよく表れていました。
僕には双子の兄弟がいます。
本当は僕も母と一緒に寝たかったのですが、「自分が我慢すればいい」と思い、その場所を兄弟に譲りました。
もちろん、誰かに頼まれたわけではありません。
幼い頃から、自然と自分の気持ちを後回しにしていたのだと思います。
大人になって会社員として働き始めても、その性格は変わりませんでした。
誰かに何かを頼まれると、ほとんど断れない。
できるかどうかを考える前に、「いいですよ」と答えてしまうのです。
あるとき、会社の先輩から、出勤前に迎えに来てほしいと頼まれました。
その先輩の家は、僕の家から会社へ向かう方向とは正反対。
一度反対方向へ走って先輩を迎えに行き、そこから引き返して会社へ向かっていました。
今考えれば、かなり無理をしています。
それでも当時の僕は、断るという選択ができませんでした。
「断ったら悪く思われるかもしれない」
「これくらい引き受けないといけない」
そんなふうに考え、何でも引き受けるイエスマンになっていました。
人の役に立つことは、決して悪いことではありません。
頼られるとうれしいし、相手が喜んでくれれば、自分もうれしくなります。
でも、無理をしてまで引き受け続けると、少しずつ苦しくなっていきます。
時間がなくなる。
気持ちに余裕がなくなる。
それでも、自分から引き受けたことなので不満も言えない。
心の中ではしんどいのに、表では笑って「大丈夫」と言っていました。
今思えば、相手に嫌われないことばかり考えて、自分の気持ちを大切にできていなかったのだと思います。
そんな僕に気づかせてくれたのは、妻でした。
何でも頼まれるまま引き受ける僕を見て、
「何でも引き受けなくていい」
と注意してくれたのです。
そのときは、僕にも僕なりの理由がありました。
相手が困っているから。
頼まれたから。
断るのは申し訳ないから。
でも妻から見れば、僕が無理をして、自分で自分を苦しめていることは明らかだったのでしょう。
言われて初めて、僕は気づきました。
断ることは、相手を嫌うことではない。
冷たい人になることでもない。
できないことを「できない」と伝えるのは、自分を守るために必要なことなのだと。
それから少しずつ、僕は断ることを覚えました。
もちろん、今でも頼まれると「何とかしてあげたい」と思います。
長年の性格は、急には変わりません。
それでも、すぐに「いいですよ」と答えるのではなく、
「本当に自分が引き受けられるのか」
「無理をしていないか」
と、一度考えられるようになりました。
断ることには、やはり勇気がいります。
でも、何でも引き受けることだけが優しさではありません。
無理なことは正直に伝える。
できるときには、できる範囲で力になる。
そのほうが、相手とも長く良い関係を続けられるのではないでしょうか。
僕は、断れる人になったというより、今も「断る練習をしている途中」なのだと思います。
人に良く思われたい気持ちも、頼られるとうれしい気持ちも、今でも変わりません。
ただ、自分を苦しめてまで良い人でいようとする必要はない。
妻の一言をきっかけに、ようやくそう思えるようになりました。
もし、頼まれたことを断れず、何でも抱え込んでしまう人がいたら、一度だけ立ち止まってみてください。
「これは、本当に自分が引き受けなければならないことなのか」
そう考えるだけでも、少し気持ちが楽になるかもしれません。
断ることは、わがままではありません。
自分の人生と時間を大切にするための、ひとつの勇気なのだと思います。