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今日は童門冬二著「上杉鷹山の経営学 危機を乗りきるリーダーの条件」(PHP文庫)という本をベースに、いま危機的状況にある組織を立て直すリーダーに求められる心構えなどについて書いていきます。
上杉鷹山は、1751年に高鍋藩の藩主秋月種美の次男として生まれ、9歳で米沢藩主上杉重定の養子となり、16歳で家督を継ぎました。上杉家は関ヶ原の決戦後、会津120万石から米沢30万石に転封、その後さらに16万石まで減らされます。120万石時代からの家臣を抱え、借財も増え藩の財政は大赤字、重定は藩領を幕府に返上することまで考えたと言われています。このような絶望的な状況で藩主の座に就いたのが上杉鷹山です。
鷹山の藩政改革は2期に分かれます。
第1期の藩政改革は1767年から1785年までの18年で、①適材適所の人材登用 ②藩主を含めた大倹約に基づく財政緊縮 ③漆・桑・楮の各100万本の植樹計画に代表される地場産業の基盤づくり ④人口減少の防止策等の4つの政策を打ち出します。しかし、改革を理解しない反対勢力の存在や領民の理解が得られず、さらに人材登用した竹俣当綱の慢心や横柄による失脚、鷹山の隠居により道半ばで終わりました。
隠居した鷹山は、当時の将軍徳川家斉から直々に藩政改革を任され、藩主上杉治広とともに、再び藩政改革に乗り出します。これが1787年から亡くなる1822年までの第2期の藩政改革です。第2期の藩政改革では、支出のさらなる削減を家臣に理解させ、領民にも理解してもらうために、財政状況を記録した会計帳簿を藩士・全領民に公開しました。また地元の豪商から2500万両を借り入れ、財政復興の進捗状況を示すチェックリストを作成し、計画の進捗状況、修正点を掲げ、厳しい監視と統制の下で、改革を推進していきます。鷹山の死の翌年には、破たん寸前であった藩財政は立ち直り、借財を全額完済します。
鷹山の藩政改革が領民に根付いたのは、①領民が豊かになる社会 ②領民が参画して共に創る社会と目的を明確にして、「あるべき姿」から逆算して「今何をなすべきか」を考えるという思考方法を取り入れ、鷹山自身も自ら実践し、多くの領民の共感を得たことによるものです。
徳川幕府では、同時期に松平定信の寛政の改革、少し後に水野忠邦の天保の改革が行われましたが、いずれも成功を収めることはできませんでした。その違いは、鷹山は藩士や領民に改革の必要性と改善策を理解させることに主眼を置いたのに対し、幕府の改革は、必要性や改善策の内容を旗本をはじめとする武士や庶民に理解させることを怠ったのです。
企業や組織、あるいは政治にしても、改革を行うためには明確なビジョンを提示し、社員やメンバー・その他ステークホルダー、国民に理解させると共にトップが自ら率先して実践し、社員やメンバー、国民らの共感を得ることが何にもまして重要なのです。
ジョン・F・ケネディをはじめ多くのリーダーや経営者が、尊敬するリーダーとして上杉鷹山の名を挙げるのは当然です。
上杉鷹山の藩政改革における考え方を、今風に企業経営に置き換えていえば、次のようになります。
1.経営改革というのは、単にバランスシートに生じた赤字をゼロにすることではない。改革を進めるには、人づくりが大切だ。人づくりを無視した改革は決して成功しない。
2.お客様に対するサービス精神を何よりも経営の根幹に置くべきだ。
3.絶望的な職場は譬えてみれば冷えた灰だ。しかし、よく探してみれば、必ず消えていない火種があるはずだ。その火種を他に移そう。灰のような職場でも、火種運動を起こせば、必ずその職場は生き返る。
4.お客様のために我々は存在する。
5.「品物を使う側、サービスを受ける側の身になった時、われわれが差し出すものは果たして満足を得ているのだろうか」という疑問を持ち続けよう。
6.改革を行うには人が問題だ。人が育たなければ改革はできない。
7.上杉鷹山の行った経営改革は、赤字を消しただけではない。人間の心の赤字を消したのだ。人々の胸に、もう一度他人への愛、信頼という黒字が戻ったのだ。
当時の封建体制では、藩主は藩民を私し、単なる税源としか考えず搾取し、領民の人格は無視されていました。鷹山は、藩は藩主の私物ではないし、領民も藩主の私物ではないと明言しています。藩主は藩と領民のために仕事をする存在で、藩や領民は藩主のために存在しているのではないということです。現在の民主主義国家においても、私利私欲にばかり走り、鷹山のように「政治家は国民のために存在する」と明言しそれを実践する政治家がいないことを考えると、封建幕藩体制下でそれを実践した鷹山はすごいとしか言えません。
これは、政治の場だけでなく、企業や組織でも同様です。企業や組織は経営者やリーダーのためにあるわけではありませんし、社員やメンバーも経営者やリーダーのためにあるわけではありません。社員のため、ひいてはお客様のために経営者やリーダー、企業や組織は存在しているのです。
米沢藩は、現在で言えば中小企業に比肩します。米沢藩の藩政改革は、中小企業の経営改革と言っても間違いありません。
前述したように、鷹山は、「冷たくなっているようでも、灰皿の底には火種は残っている。これは米沢藩でも同じだ。残っていた火種が新しい灰に火をつける。その新しい灰がさらに新しい火を起こす。そういう繰り返しで、藩政改革の火が燃え上がらないだろうか」と考え、家臣に「お前たちが火種だ。心の中にある改革の火種を、それぞれ新しい灰、つまり他の藩士や領民に移してほしい」と言っています。
中小企業の経営改革も同じです。社員に「うちの会社はなぜ成長しないのか」「どこを直せばよくなるのだろうか」と問いかけ、社員一人ひとりが「会社をよくしよう」という火種を起こし、さらに次から次へと移していくことが大切です。
ハーバードビズネススクール・ジョンP・コッター教授がハーバードビズネスレビューに掲載した「企業変革の落とし穴」という論文があります。その論文では「企業変革の8段階」が示されています。
ステップ1.緊急課題であるという認識の徹底
ステップ2.強力な推進チームの結成
ステップ3.ビジョンの策定
ステップ4.ビジョンの伝達
ステップ5.社員のビジョン実現へのサポート
ステップ6.短期的成果を上げるための計画策定・実行
ステップ7.改善成果の定着と更なる変革の実現
ステップ8.新しいアプローチを根付かせる
鷹山の藩政改革は、この8段階のステップを段階的に踏んでいるように見えます。あの江戸時代にきちんとした経営戦略を持っていたというのは、やはりすごいとしか言いようがありません。