いっかごん(げん) 「一家言」 あるひとばかりであれだが、
結局 宝塚とスターウオーズファンみたいなものだ。
ぼくら、海サソリの生態とか でドキドキして興奮するが
かけっことか 玉遊びとか全然興味がない
火星と木星がGOで 暗殺かテロかということになる。
私は、
5000年前、初めて人間として生を受けてザクロス山脈からニネベに来て
徒弟制度の天文学者のところに身を寄せてから実の天体と占星術の
分析をするようになった。
アッカド語を話し、天文をやり、占星術に落とし込む。
いまでいう 派遣のプログラマーみたいなものだ。
しかもそれがニネベというアッシリア帝国の首都の小高い丘の上の天文所
で仕事をしていた。
神社の宮司が区役所の特別な仕事を兼業している感じで 身分は高くない
どうせ手足。 替えはいくらでもいるからねえ。
で、現世では、専門学校2年の7月1日からその大企業で働いていた。
私は学校に売られ、パンフレットの私は、イケメンでさわやかな青年で
学校の先生の指導がよかったので資格も取れいい所に就職できました
ってあった。
昭和の時代はこんなこと平然とあった。
資格は組合や協会の養成課程で取り、こんな学校で資格なんて取れなかった
それで就職だって、バイト先の社長がねじ込んでくれて縁故採用だ。
昭和60年!ソフトウエアエンジニアが大幅に不足していたし
UNIXとc言語とSQLを扱えた。 ふふん! 更にpascal言語さえも
使役できたのさ。
で、中途採用扱いでその大企業に入って傭兵をしている感じだ。いつでも
クビと隣り合わせだ。
1月1日朝8時のモーニングコーヒー 12月25日朝7時の会社で食べる一人
フルーツサンド ちっとも寂しくなかった。
当然1月15日の成人式も楽しく会社でデバッグしたし 末広町のバイト先にも顔を出した。
とある大会社の仕事の切り分けが末広町の研究所に落ちて来て 両方やってたことになる。昭和の時代は、まあまあ普通。
UNIXマシンは昭和60年でも600万円くらいして普通のパソコン並みに
おいそれとは買えなかったが人を削減するに命を貼ったのだった。
だから若いころ、目の前の 部活なり仕事なりをもまれながら全力でやって
いれば 酒に溺れて餅を片手にメタボ腹を揺らして興奮する必要もない
この興奮と熱狂が、TV局と便痛さんの匙加減みたいなところだな
と冷静に分析してみたりする。
余りにも興奮してもちをのどに詰まらせて救急車で運ばれる。
わるいのはTVだ。つまらない落語でもかけっぱなしにしておけばよいものを
まあ、巨人好きの人にそういえば不倫がと言ってもそれとこれとは別
っていつも言われるので 宗教、政治、スポーツは 興味ないので
かかわらいことにしているがそれでも朝6時に運勢の鑑定の仕事をしているのにうるさくて邪魔である。 言いたいのはそこ。 ヘリを飛ばさないでくれ。