1991年の終わりごろ会社のシステムが
動き始めて、おじさんたち労働者が私に「辞表」をねじって
私に投げつけてそれを拾ってファイリングした。
祖父はなくなり、父が後を継いだがそこからバブルも合わさって
働かないおじさんばかりになって、15時からお中元でもらったビール飲みながら将棋や囲碁の時間となっていた。
会社の終業を15時過ぎるとなったら皆さん顔を真っ赤にして文句を言い、
ビール飲んで将棋を指しているので営業に行ったらどうですかというと
小言がやってきた。
そうしてこっそりシステム開発をして、朝10時に銀行公示のドルレートを入れたらものの2~3分で請求業務が終わりお昼にお弁当を買いに行くOLさんに
ポストに投函してきてもらう。
仕事は10時15分から11時45分までだ。
それまでは朝8時から15時過ぎまで集計表を作って請求明細を書き込んでいた。
で、俺たちの仕事がないというので、営業に行けばいいではないですかと
いったら「辞表」を丸めて文字通り私にたたきつけてやめた。
次の日、何食わぬ顔で来る人もいたが、肩をたたいて辞表を見せて
段ボールに机やロッカーの私物を詰めてもらって自宅に送らせて、
帰ってもらった。
会社が自動販売機のようになったのだ。
でもまだ1991~2年はFAXを見てデータを手打ちしていた。
1996年ごろ、FAX受信でそのデータをDBに流れこむようにできたし
電子メールからでも注文が登録できた。
両親と妹からは、「額にあせして働いていないので会社を辞めてくれ」と
言われた。
労働生産性って知っている?
会社は若いOLさん2人で動いたのだった。
1997年は2か月夏休みを取りつまり7月~8月は完全にハワイの別宅で過ごした。1~2月もハワイで過ごした。
ハワイでも基幹業務システムはモニターできていたし
今でいうリモートワークも問題なかった。
それで、設計思想は「1人の者が勝ってピザを全部一枚食べ、負けた何万人の人たちは貧乏でひもじい思いをするが仕方がない世界」
そういうのが下りてきたのでレポートにした。
第1版は1991年だが1997年ごろまで何回か拡張して書いた。
そうしてアジア通貨危機になったのだ。
娘も息子も日本の教育が疑問だったのでインターの高校までいかした。
1980年代前半は、偏差値45~55で平均点数40~70点取れれば
どこかしら工場労働者や自治体職員として就職できた。
ところが就職氷河期ではあらゆる学校の成績優秀者上位5人までしかとらなくなった。学校教育は遅れに遅れ偏差値60未満の大量育成をして
ゆとり教育とかやっていてどこの企業も新規採用は見送った。
さて、2000年代に入ってから偏差値60以上の難関校で更に上位3名しか
大企業に入れないことになった。
アベノミクスでだいぶ緩んだが難関大学の成績優秀者しかとらないのは
どこの会社も変わらない
だが、それだと42歳かたたき説と言ってリストラ候補だ。
何回かサラリーマン経験したが誰も持って居ない技術が
会社では必要だったのだ。
20歳のころの私はアルバイト先から中途採用組で大手SE会社に入った。
UNIXとC言語とPASCALができて入社した。
おじいさんの会社に入ってSPARCserver2というmacの最上位機種に毛の生えたハードウエアにINFORMIXというDBのSQLを載せて
使えるようになって、基幹業務はDBをいくつも連結統合したシステムになっている。
ここでは楽しい仕事ができたが、所詮銀行員に言われたのは「コンピュータ屋」だった。
さて、縁があって宅建も行書もうかってとある銀行子会社の不動産担保融資の会社に入って債券登録の仕事に携わって全部手入力だったので、dbから情報を貰えるようにしてプログラムを書いて膨大な作業を短期間で終わらせた。
データを作っている間、隣の席の若い美人OLさんとお菓子を食べながら談笑していた。私が手で入力するよりもDBから出てきた情報をプログラムで
表計算ファイルに吐き出した方が正確なのだ。
ある時、私の一挙手一投足を全部面白くない上司がいて
すべてざんぎょうしてでも手でやれという。
なんで?と。生産性はこっちでしょと。
それでも手でやれというので、斜め上の上司に相談して
役員会議でもめてもらって、その手でやれという上司の意見は
「何言ってんだ」ということになった。
人間、額に汗して働いたらいけない。
これだけITやAiやロボットがいるのだから
彼等を使って定時に上がり生産性を高めるべきなのだ。
いろいろ脱線したが、生まれ落ちた瞬間に「何の仕事をする」のか
決まっている。
天から定められた仕事をすると、結果は付いてきて
2番手と大きな差になる。
私は叔母に45歳までソフトウエアの仕事で占いは50歳からだと言われた。
それでもちょこちょこ仕事をしていた。
あと仮面をかぶって、忙しい有名な占い師の先生のバックを
仮面かぶってアシストしていた。
これから水がめ座 風の時代。
一人一人が特殊な技術や知識をもちそれがサッカーのパス回しのようにリンクして社会が成り立っていく。
学校歴も学校の上下関係もあんまり必要がなく本当に1つか2つの特殊技術が
その人を救うのだ。
学校教育でいまだに40点から70点までの子を育てようとしている文部省
この前、板書(黒板に書くこと)をノートに写す大切さを力説していた。
そうかな~
放送大学で30年位授業を受けているけれどもノートなんて取ったことないし
別に自分でノート作って補足箇所だけ書き込むようにしている。
0→1を生み出すにはA3のコピー用紙に付箋紙で貼るのが良いと思う。
板書を鉛筆で手書きするって、だから
サルからバカしか生まれないのだと思う。
これでは、産業界は世界で戦えないし、誰もが憧れる製品は
彼等からは生まれない。
せいぜい、大企業でも役場の役人のような小物しか生まれないと思う。
日本という国はわざわざ、国民全員撃沈するように国の形態を作っているとしか思えない。
「一人が勝ってピザを1枚全部食い、負けた万人は貧乏と飢餓に苦しむ時代」はますます進みそうだ。
実はこの現象は今に始まったことではない。
昭和30年~60年までが異常な時代だった。
だから、学校でははみ出すことも辞さなかった。
なぜなら、1980年にはこうなることが分かっていたから
私の最高適職は「占星術師」と出て叔母のところにそのデータを持っていったら弟子入りを引き受けてくれた。
1勝万負けにならないためにもあなたが世界中で勝てる仕事は早めに分析した方が良い
===以下余白===