少子高齢化による労働力不足って…

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“少子高齢化による労働力不足”
この類の言葉を耳にするようになり久しい。
子供が少ないのはなぜだろうか。
子供には時間とお金がかかる。
そして生きにくい世の中。
毎日こなすだけの人生。
国の借金は膨らむ…。
私は、2004年出産した。
妊娠した時、そう思い、産むべきか迷った。
結婚はしていた。
が、
そもそも、結婚することにも気が乗らず
このまま結婚しないで居たら
親が叔父と結婚させたがっていたので
それを避けたかったことなどが起爆剤となり
結婚を考えたという
しょうもない動機だったから
なおさらかもしれない。
環境にもよるだろうが
あの頃、うちの家族は
“25歳過ぎの女は売れ残り
みっともない“という考えがあった。
親の感覚の“みっともない”に
私はどれだけ振り回されてきたのだろう。
“みっともない”は個人的見解。
形容詞だ。
私は形容詞は厄介だと思っている。
例えば、“かわいい”という形容詞。
そう言われ、実際目にして
「かわいいか?」と思ったことは何度あるだろう。
“面白い”もそう。
「どこが?」と苦笑したことは数知れず。
例外もあるが
主に形容詞は言い切りの形が「い」で終わる。
“楽しい”
“忙しい”
“怖い”
“寒い”など、上げればきりがない。
人によって、
場合によって、変わりやすい性質だ。
父亡き今
“みっともない”と言う記憶が残り
それが生んだ諸々を背負っている。
なかなか重い。
いや、“重い”も形容詞なのだから
そう思っているのは、今の自分だけなのかもしれない。
などと自分に言い聞かせている。
子育ては、年々軽くなるものと想像していたけど
重く感じる一方。
子供が大学出て
落ち着いたころに
恋人でも作りたいな、などと思い
仕事と家事と育児に専念してきたけど
重すぎる今、家族を捨てる勇気でも持たなければ、
もうそれは叶わない。
ここまで子育てをしてきた私の意見は
子供は産めばいいってものじゃない。
子供の情緒形成のため
育てる環境が大事。
労働力不足の今の時代、
子供を産んでも
働かなければいけない。
預けるところがない。
となると
預け先は選べない。
私は、平日日中の仕事の時は預け先があったが
土日や、帰りが遅くなる仕事や
早朝から出掛ける仕事の時は
どうしても親に頼るしかなかった。
安心して頼める親なら問題ないのだろうが
そうとは限らない。
今思えば、
子供が、
「ママ行かないで」と泣きべそをかいたあの時、
私は、生放送の番組に穴をあけるわけにはいかず
後ろ髪惹かれる思いで早朝家を出たが
思い切って、決断しておけばよかったと思う。
とはいえ、後の祭り。
後悔先に立たず。役立たずだ…。
いや、誰かの役には立って欲しい。
この経験を生かしたい。
確かに、子供は勝手に大きくなるが
愛情を感じていたかどうかは大きい。
私は、“一緒に居る時間を大事にすれば大丈夫”
“濃い時間を過ごす”とか
“会えなくても、手紙や手料理を欠かさなければ愛情は伝わるはず”
“パパみたいに働かないのは困る。働くことを教えたい”などと
自分の都合でできた解釈を、
子供にも理解してもらっているつもりだった。
でも、それは、
“みっともない”に操られた、私の都合だった。
子供はそんなの知ったこっちゃない。
子供は安心を求めていたのだ。
安心を覚えてもらうには、
信頼できる大人が傍にいる環境が必要だ。
帰ってきた時、時間がある時だけ
一緒に居るだけでは足りないのだ。
子供が不安に思った時、
その時に傍にいれるか、なのだ。
じゃあ、いつまで傍にいればいいの?
となる。
それはわからない。
なぜなら、子供によって成長のスピードは違うから。
愛情だって、感じやすい子とそうでない子がいる。
何歳までとは言えないが
子供が安心できるまで
信頼できる大人が傍にいる環境があればいい。
そうすれば
心は健康になり、
いじめ、自殺、不登校、
免疫低下による疾患などの問題も改善できると思う。
“少子高齢化による労働力不足”について
まず、少ない子供が将来しっかりと労働力になるようにすることが大事。
“みっともない”のように表面だけ見てはいけない。
小手先、目先に費やすのではなく
土台に費やすこと。
育つ、育てることを重視すれば、
希望を持つ子が増え
関わった人らにも希望が伝染するはず。
大人が生きやすい社会に
子供を産み育てていては歪が生じる。
若いほど希望を持てる世の中になれば
幸せや明るい空気感が循環還元できる、と私は思う。
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