「人間は、集団(コミュニティ)を作らなければ生きていけない生き物である」――私たちはそう本能的に信じ、安心や所属を求めて、会社、学校、あるいは気の合う友人グループといったムラを形成します。
「気の置けない仲間たちと、アットホームな職場でずっと平和に暮らしたい」
「地元のメンバーや、固定された人間関係の中で穏やかに過ごすのが一番の幸せだ」
誰もがそう願い、どこか閉じたコミュニティに居場所を見出そうとします。
私たちが安心を求めて作ったはずの「小さなコミュニティ」は、しばらく経つとなぜか「あんなに信頼していたのに、ちょっとしたことで裏切られたように感じてしまう」「恋人の小さな粗や悪い部分ばかりが気になるようになって、息が詰まる」――そんな経験はないでしょうか?
今回は、古代ギリシアのポリス(都市国家)の黎明期から、閉ざされた小さな市場が持つ冷徹なメカニズムを解剖していきます。
①古代ギリシア・ポリスの黎明期:「自由な市民の楽園」という幻想
前回のオリエント世界(アッシリアやヒッタイト)の圧倒的な王権支配から舞台は移り、エーゲ海周辺で紀元前7〜8世紀頃から頭角を現したのが、無数の小さな都市国家「ポリス」の誕生です。
当時の人々は、広大な土地にバラバラに暮らしていた状態から、中心に広場(アゴラ)を据え、周囲に壁を巡らせた小さな「ムラ(共同体)」へと集住を始めました。これがポリスの原点です。
歴史を学び始めると、トップ1人(王や神官・官僚)の気まぐれや権限で政治のすべてが決まるオリエントの帝国に比べ、このポリス社会は「自分たちでアゴラに集まり、話し合い、お互いを対等な市民として尊重し合う、なんだか自由で理想郷のような空間」に見えます。
(余談ですが、この都市や市民秩序を守るための管理体制を意味する「ポリス(Polis)」という言葉は、のちに治安維持を意味する「ポリス(Police)」や「ポリシー(Policy/政治・政策)」の語源にもなっていきます。まさに、自分たちの秩序を守るための管理システムの始まりでした)
②ポリスの裏の顔:血縁の泥沼と「奴隷という名の見えないインフラ」
しかし、この「一見すると平和で民主的な、自由な市民の楽園」という表の顔の裏で、生まれたてのムラ社会は、極めてドロドロとした深刻な脅威に直面していました。それが外部の敵ではなく「内部の血縁闘争」と「構造的な搾取」です。
私的復讐の無限ループ: 「やられたらやり返す(血の復讐)」という古い掟が各家系(血縁)の間で横行し、ちょっとしたトラブルから殺し合いに発展。ムラ全体の秩序が内部から崩壊しかけていました。
「ドラコンの厳罰法」という最初のインフラ: この終わらない血の抗争に終止符を打つため、アテネでは「個人の私怨(復讐)」を国家が法律で強制的に禁止しました。それが、わずかな窃盗でも死刑になるほど容赦なく厳しかった「ドラコンの厳罰法」です。
市民の優雅さをガンガン支えていた「奴隷制度」: そして、この市民同士の対等な議論や共同体の維持を足元で支えていたのは、社会の底辺に組み込まれた膨大な奴隷たちの存在でした。彼らがすべての泥臭い生産活動(労働)を一身に引き受けることで、あの「自由な市民社会」がかろうじて成立していたのです。
王様による絶対的な支配ではない代わりに、「自分たちで作ったルール(法)と暴力的なまでの厳罰で血縁の鎖を断ち切り、奴隷という犠牲の上に市民共同体を維持する」――一見すると自由で平和に見えたポリスの内情は、
実は「一歩間違えば破滅する恐怖」を極限の仕組みで抑え込む、極めて緊張感の高い共同体でした。
※歴史の雑学:
「ドラコン」って何者?:
そもそも「ドラコン(Dracon)」とは、紀元前7世紀頃のアテネで実在した伝説的な立法官の名前です。あまりに厳格なルールを作ったことから、のちに英語で「厳格すぎる法律・規則」を指す形容詞「ドラコニアン(Draconian)」の語源になりました。もし相手がGPSを付けてきたり、ラインの返信をあまりにせかして来たらドラコニアンと名付けましょう。
ハンムラビ法典との決定的な違い:
「法による支配」といえば紀元前18世紀の『ハンムラビ法典』(目には目を、歯には目を)が有名ですが、あちらは「王様(権力者)が支配のために作った法律」であり、身分によって罰則が違う不平等なものでした。対してアテネのドラコン法は、王様の命令ではなく、「血で血を洗う市民同士の私的復讐を終わらせるために、市民社会自らが定めた初めてのルール」という歴史的意義を持っています。