朝4時だけ、先生じゃなかった

朝4時だけ、先生じゃなかった

記事
コラム
40歳を目前にした当時の私は、はじめて知りました。

15年以上、高校教師として働いてきた自分のキャリアが、学校や教育現場の外に出た途端、「社会人未経験者」として扱われることを。

「教師は潰しが効かない」と聞いてはいましたが、噂で聞くのと目の当たりにするのとでは、破壊力が随分と違いました。

 ── 断崖から突き落とされるというか、高慢ちきの鼻を折れたというか。

ただ、その状況からでもなんとか4年間生きてこられたのは、お世辞抜きで、ココナラが存在してくれたおかげです。2021/04/16 07:54の初売り上げからの累計で言えば、執筆時点で1,400万円近くの売り上げがあります。

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この記事は、ココナラとの出会いをきっかけに、地方に住むしがない高校教師が、未経験から一流のクリエイターへと成長し、家族みんなで幸せな生活を手に入れる ── そんなお話です。

私の成功体験に再現性があるかどうかは不明ですが、同年代やこれから何かに挑戦しようと考えている人に向けて、励みになったり、そっと背中を押せるような情報を中心に、整理して伝えていこうと思います。

日本人男性の平均寿命は、約81歳。
私は、ちょうど折り返しとなる40歳を迎えるタイミングで、これまでと、そしてこれからの自分の人生について考えていました。

教師を辞めようかと考えたのは、38〜39歳の頃だったと思います。

ちょうどコロナ禍が明けようとしていたタイミングで、ロシアによるウクライナ侵攻が始まって少し経った頃でもありました。

コロナ、戦争、自然災害、事件、事故 ──。
少し大袈裟かもしれませんが、2020年ごろから2023年ごろは、人の生死がそれまで以上に身近に感じられる時期でした。

奇しくも、その頃の私は、「アラフォー」ど真ん中。
生きたくても生きられなかった人たちがきっと大勢いる、そんなことを思い知る時代の中で

「明日死ぬかもしれない、と思って生きねば ──」

日々流れてくるニュースを見ながら、そう強く感じるようになりました。

私は当時、高校3年生の「学年主任」をしていました。

卒業式の日、卒業生が退場した体育館で、「学校代表、最後の挨拶」として、卒業生の保護者に向けてお話する機会をいただくことに。

「今日で彼ら・彼女らは卒業しますが ──」

そんな言葉を話している私の心の中で、実は「私も、今日で卒業なんです」と呟いていました。

結果的に、その年の学年主任が最初で最後となり、卒業生と同じタイミングで、私も教師という仕事を卒業することになります。

「40歳という節目を迎えるにあたって、キャリアの棚卸しをして、これからの人生の後半戦に向けて挑戦したくて ── 」

教師を辞める直前の転職活動で、そんな思いを2社ほどのエージェントさんに伝えしました。

しかし結果は冷徹で、記事冒頭の状況を迎えることになります。

15年以上、高校教師として働いてきた自分のキャリアは、学校や教育現場の外に出た途端、「社会人未経験者」でしかない。

正直、薄々わかっていたことですが、はっきり言われると流石にくるものがありました。

一回りも年齢が下のようにお見受けするお若いお二人に ── 別々の会社なのに ── ほぼ同じ趣旨の内容で諌められるわけですから。

教師として何年働いたか。
何人の生徒を見てきたか。
学年主任や進路指導を経験したか。
生徒や保護者たちと、どう合意形成をしてきたか。

そういった学校の中では意味のあったキャリアも、民間企業の転職市場では、そのまま価値になるわけではありませんでした。

その一方で、不思議なことも起きていました。

ココナラでは、そんな私に仕事を頼んでくれる人がいたのです。

営業経験はない。
専門知識や業界経験だってない。
見積書の作り方も知らなければ、ビジネス用語すらままならない。
そもそも、自分の仕事に値段をつけたことすらない。

それでも、ココナラの中で誰かが私を選び、お金を払って、仕事を任せてくれた。

この事実は、私にとってかなり大きな意味を持ちました。

「教師以外でも、人の役に立てるのかもしれない」

初めて、そう思えたからです。

具体的な転職活動をする前に話を戻します。
まだ私が教師バリバリだった頃の話です。

私は家族がまだ眠っている朝4時や5時に起きて、ひとりパソコンを開いていました。

WordPressを使ってWebサイトを作ってみたり、記事を書いてみたり。
やがて、DaVinci Resolve(映像編集ソフト)を無料でダウンロードして、海外のYouTuberの動画を見ながら、動画編集を見様見真似でおこなってみたり。

今思えばきっかけは「手に職があった方がいいんじゃないか」という危機感から始めたことだったんですが、自分にできることを小さく始めることから、私はキャリアのピボットをスタートさせました。

車通勤から電車通勤に変え、そこで生まれた移動時間も、インプットとアウトプットの時間に換えていく。

誰にも知られないところで、もうひとつの人生を少しずつ育てる毎日。

教師の仕事が嫌いだったわけではありません。むしろ、生徒と関わる仕事にはやりがいがありました。毎月決まった日に給料が入り、社会的な信用もある。むしろありすぎるくらい。

普通に考えれば、わざわざ辞める理由なんてありません。
それでも30代後半になると、少しずつ考えるようになりました。

「このまま、あと20年も同じ働き方を続けるのだろうか」

コロナ禍ということもあったのでしょうが、私は当時の人生の先輩たちである50代や60代たちを見て、自分があぁなる姿も、なんとなく想像ができました。

それは安心でもありました。
でも同時に、怖くもありました。

このまま進めば、大きく道を外すことはない。
でも、それは本当に、自分で選んだ人生なのか。

奇しくもその頃はコロナ禍や戦争、事件、事故、自然災害……と、生死が身近に感じられる時代。

私は自分が突然死ぬとなったその瞬間に「あぁ! いい人生だった!」って、本当に思えるのだろうかと、一抹の不安を抱えるようになりました。

学校ではベテラン。でも、外では何も知らなかった


とはいえ、いきなり教師を辞める勇気なんてありません。15年以上、教師しかしていない。民間企業で働いた経験もない。営業もしたことがない。売上目標もないし、たてたこともない。もちろん、教育はプライスレスな仕事なので、自分の仕事に値段をつけたこともない。

教師と民間企業では、そもそも仕事の目的から違います。

だから私は、辞める前に「教師以外でも生きていける自分」をつくってみようと思いました。

学校では「先生」と呼ばれているのに、パソコンの前では完全な初心者です。

昼は教える側。
朝は学ぶ側。

朝の一人の時間だけは、15年のキャリアが一度ゼロになりました。

でも、不思議と嫌ではありませんでした。むしろ、自分の未来を自分でつくっているような感覚がありました。

ココナラで、初めて「先生ではない私」に値段がついた。その価値は、780円だった


ココナラを使い始めて、最初に売れたのは今の本業である映像制作ではありませんでした。

ナレーションの読み上げです。

1,500文字ほどを読み上げ、11個の音声ファイルに分けて納品。販売価格は1,000円。手数料を引いて、手元に残ったのは780円でした。1ファイルデータあたり70円。

今なら、採算の合わない仕事だったと思います。でも、その780円には、金額以上の意味がありました。

誰も私に頼む義務なんてありません。教師だから仕事を与えられたわけでもない。知らない誰かが、私のサービスを見つけ、「この人に頼んでみよう」と選んでくれた。学校の外でも、自分にお金を払ってくれる人がいる。

たった780円でしたが、でも、ゼロではありませんでした。

「教師じゃなくても、人の役に立てるかもしれない」

そんな感覚が、少しずつ現実味を帯びていきました。


「これなら、教師じゃなくても生きていけるかもしれない」


その後、私は映像制作へと比重を移していきました。

最初の動画編集の仕事は5,000円。10時間ほどかかり、時給にすれば500円ほどです。

やがて、初めて企業向けの仕事として受けた商品説明動画は、手取り22,000円でした。そこから少しずつ、仕事の規模も変わっていきます。

ココナラを始めて約1年後には、映像制作で約9万円の案件を受注しました。

そして映像の売上が月20万円、30万円ほどに届くようになった頃、ようやく思いました。

「私の作る映像・動画にはそれなりの価値がある。これなら、映像制作だけでも生きていけるかもしれない」

それまで「教師以外の人生」は、想像の中にしかありませんでした。
でも数字が出たことで、初めて現実の選択肢になりました。


だからこそ、「普通の転職」も調べてみた


独立という選択肢は、すでに頭にありました。映像制作だけでも、それなりに稼げるようになっていましたから。

それでも、家族がいる以上、他の道も調べておきたい。家族がいるものとして、自分の人生は、自分だけのものではないですからね。

そう思って私は、安全策も検討しようと、転職エージェントに複数登録しました。

職務経歴書も見よう見まねで作り、晴れて面談。しかしそこで言われてしまうのです。

「その年齢で、マネジメント経験がないとなると……」

要は、年収を維持した転職は難しいってことでした。一度条件を下げて、キャリアを作り直したほうがいい。そんな話もされました。

教師として、担任業務はもちろん、学年主任、進路指導の副部長として、就職や人事業務にも関わった。何百人もの生徒の人生に関わり、期限までに多くの人を動かして学校行事や教育活動を形にしてきた。教師の世界では、それなりに経験を積んできたつもりでした。

でも、民間企業の物差しに置き換えた瞬間、その経験の多くはそのままでは伝わらない。

紹介されるのも、教育関係や営業などが中心でした。
正直、かなりこたえました。

学校では15年の経験を持つ中堅。
学校の外に出れば、40歳目前の未経験。

ただ、その頃には、もう一つの事実もありました。転職市場では評価されにくい自分に、ココナラでは実際に仕事を頼んでくれる人がいる。

過去の肩書きではなく「今、この人に何ができるか」で選んでくれる人がいる。
その違いは、私にとって大きなものでした。

15年以上使ってきた「先生」を手放した

2023年3月。
私は教師を辞めました。

講師時代から数えれば、かれこれ15年以上。約3,000人の卒業生を見送り、担任や部活動などで直接深く関わった生徒も数百人いました。

退職すれば、毎月決まっていた給料もなくなる。所属もなくなる。怖くなかったと言えば、嘘になります。

でも、これでようやく、自分で選んだ第二の人生を始められる。そんな気持ちもありました。

独立後、最初の4月。売上は約40万円ありました。
「なんとかなるかもしれない」正直、そう思いました。

ところが翌月。

5月の売上は、ほぼ0円。
6月も0円でした。
フリーランスになる直前には月40〜50万円ほどあった売上が、突然消えました。フリーランスしてるな、ってつくづく思います。

余談ですが、ココナラだって、ずっと順風満帆ってわけではないです。
プラチナランクまで最速で駆け上がって、その後、ブロンズに転落 ── という経験を3度も経験しています。

ちなみに、3度目はこの執筆時点です(笑)それでもあまり悲観的にはなっていないのは、きっとこれまでのキャリアや経験があるおかげだと思います。

一方で税金や社会保険料は容赦なくやってくる。
退職金も減っていく。なかなかのストレスです。

平日の昼間。少し前までなら、チャイムが鳴り、生徒が廊下を走り、職員室では電話が鳴っていました。

でも、自宅には誰もいません。パソコンの前で一人。連絡も来ない。仕事も来ない。

静かな部屋で、「俺、調子に乗ってたな」「やっぱり、辞めるべきじゃなかったか?」と考えたこともありました。

自由になれば、すべてうまくいく ── なんてことを思っていたつもりはないのですが、明らかに予想していた未来とは大きく異なります。

組織にいれば、自分が失敗しても給料は出ます。困れば誰かがいます。でも、独立すれば、自分の判断ひとつで売上が消える。ましてや自分には家族もいる。

自分のとった行動の責任の重さを、本当の意味で知りました。

それでも、またゼロから考えればいい


ただ、不思議なことに「もう何もできない」とは思いませんでした。

なぜ問い合わせが来ないのか。
何が悪かったのか。
どうすれば次の仕事につながるのか。
考えて、直して、また試す。

よく考えれば、教師をしながら朝早く起きて、新しいことを覚えていた頃から、やっていることは変わっていなかったように思います。

分からなければ学ぶ。
失敗したら修正する。
もちろん、大きく打って出ることはできないので、できることをできる範囲で小さく始める。

すると不思議なもので、7月以降、少しずつ案件が戻り始めました。
そして一件ずつ、また積み上げていきました。

何か具体的に大きな要因があったわけではないと思いますが、禍福は糾えるなわの如しのように、いっときの幸不幸に振り回されないことの重要性も、この時期に知りました。

「市場価値」は、誰かに一度決められたら終わりじゃない


転職活動をしていた頃「自分には市場価値がないのかもしれない」と思いました。でも今は、少し違います。

市場が変われば、評価されるものも変わります。
いじめや人間関係なんかと、似たようなところがあるかもしれませんね。

昨日まで価値にならなかったものが、違う場所では価値になることもある。

そして何より、市場価値は過去の職歴だけで決まるものではありません。これから作ることもできます。実績がゼロなら、1件つくる。1件できたら、もう1件。

知らないなら学ぶ。
できないなら練習する。
その積み重ねが、やがて仕事になります。

ココナラでは、その後PRO認定をいただきました。
企業案件も増えました。

今では、みずほ銀行や塩野義製薬といった企業の仕事にも携わらせていただき、これまで200社ほどの制作をお手伝いしています。

かつて、「見積書の作り方も知らなかった」「営業もしたことがなかった」「映像業界に知り合いもいなかった」そんな高校教師が、です。教師をしていただけでは出会えなかったであろう大企業を含め、いろいろな人と出会い、誰かの困り事を解決し、どうにかこうにか生きられています。

振り返ってみると、一番変わったのは収入でも肩書きでもありません。
「自分は教師しかできない」という思い込みがなくなったことなのだと思います。

今でも、ときどき教師だった頃の朝を思い出します。

まだ家族が寝ている時間。ひとりでパソコンを開く。分からないことだらけで、検索しながら手を動かす。数時間後には学校へ行き、今度は自分が教える側になる。あの頃の私は、自分の人生が本当に変わるなんて、確信していませんでした。

ただ「このままじゃ嫌だ」と思って、小さく動いただけです。今は、その頃に学び始めたことが仕事になっています。

教師ではありません。会社員でもありません。今日どこで働くのか。どんな仕事を受けるのか。誰と仕事をするのか。以前より、自分で選べることが増えました。

もちろん、安定しているとは言えません。今でも仕事が減ることはあります。この先どうなるかも分かりません。それでも私は、今の働き方を選んでいます。自分で選んだ人生だと思えるからです。

もし今「自分には今の仕事しかない」と思っている人がいるなら、私はこう伝えたいです。

今すぐ全部を捨てる必要はないと思います。
私自身、そんな勇気はありませんでしたし。

まずは、今いる場所とは別のところに、小さな入口をひとつ作ってみる。そこで学ぶ。試す。自分の可能性を、少しずつ増やしていく。私にとって、その小さな可能性を初めて「仕事」として実感させてくれた場所のひとつが、ココナラでした。

40歳目前。教師として15年以上。学校の外では、ほとんど何も知らないところからのスタート。業界のノウハウはもちろん、「当たり前」とされていることすら知りませんでした。

それでも、人生は途中からでも変えられました。

その一端を担ってくれたココナラには、大変感謝をしています。

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