私は子供の頃から数字が大好きでした。昭和生まれの私にとって、当時のオモチャは木製やブリキが主流で、木製の積み木を何種類か持っていました。その中で特にお気に入りだったのは、可愛い絵が描かれたものではなく、数字が書かれているものでした。数字が並ぶ様子を見るたびに、胸の奥がワクワクする感覚を今でも覚えています。中学・高校時代も数字への興味は続き、理数系の科目が得意でした。成績はかなり良く、大学は関西大学の理学部に推薦で進学する予定でした。私が通っていた女子校からは3年ぶりに推薦条件をクリアできる成績だったため、担任の先生も大変喜んでくださいました。しかし、高校3年生のある出会いが私の進路を大きく変えることになりました。それは、現代国語の教科書に掲載されていた夏目漱石の『こゝろ』との出会いでした。
夏目漱石『こゝろ』との衝撃的な出会い
『こゝろ』を初めて読んだとき、私は心にゾクッとするような衝撃を受けました。特に、二重否定の表現が登場人物の微妙な心の揺れを見事に描き出しており、その巧みさに圧倒されました。それまで数え切れないほど本を読んできましたが、これほど登場人物の内面に深く触れたと感じた作品はありませんでした。この一冊をきっかけに、私の人生の方向性が大きく変わりました。それまで理系の道を歩むことを目指していた私が、文学の道へと進む決意をしたのです。そして大学では英文学を学び、大学院では漱石の『吾輩は猫である』とスウィフトの『ガリヴァー旅行記』の比較研究をテーマに修士論文を執筆しました。この研究を通じて、言葉が人の心理や社会をどのように映し出し、動かしていくのかを深く探求することができました。
学生時代から気になっていたのは、漱石が『こゝろ』とひらがなでタイトルを付けたにもかかわらず、『心』と漢字で書かれた研究書や文献が多いことでした。ひらがな表記の『こゝろ』は、漱石が意図した柔らかなニュアンスや深い感情の流れを表現しているように思います。一方で、「心」という漢字はどこか固定的で、漱石の作品が持つ曖昧さや揺れ動く人間の心理を十分に伝えきれていないと感じました。占い師として人の「こころ」に触れるようになった今、その違和感はさらに強くなりました。漱石があえてひらがなを選んだ理由を大切にすることが、その作品の意図を正しく受け止めることにつながると考えています。
ロンドンでの漱石記念館訪問
イギリスに渡る前から私は漱石が滞在していたロンドンの部屋を訪れることを夢見ていました。その願いを叶えるために、ロンドンから地下鉄に乗って漱石記念館を目指しました。しかし、途中のバタシーパークで道に迷ってしまい、公園内の公衆電話から記念館の館長である恒松氏に助けを求めました。恒松館長は親切に対応してくださり、ようやく記念館にたどり着くことができました。記念館には、漱石がロンドンで過ごした日々を物語る貴重な資料が展示されており、漱石の生活や苦悩を垣間見ることができました。中でも印象的だったのは、当時の浩宮様(現在の天皇陛下)の記念写真でした。この写真を通じて、漱石が日本を代表する文学者として皇族からも敬意を受けていることを改めて実感し、深い感動を覚えました。
バタシーパークでの迷いと発見
漱石が留学中に心の平穏を求めて散策したであろうバタシーパークにゆっくりと足を運びました。公園内を歩きながら、漱石がこの地で何を見て、何を感じたのかを思い巡らせるうちに、漱石が抱いた孤独や葛藤を少しだけ共有できたような気がしました。迷子になった自分の姿を振り返ると、異国での孤独感や文化的な違いへの戸惑いを漱石も同じように経験したのだろうと感じ、不思議な共感を覚えました。それでも漱石は、その孤独を創作の力に変え、日本文学に普遍的なテーマを刻み込むことに成功し、文豪と称えられました。この訪問を通じて、漱石の生きた世界に触れると同時に、漱石の作品への理解がさらに深まりました。
まとめ:漱石と私の人生をつなぐもの
漱石記念館やバタシーパークを訪れた経験は、私にとって忘れられない思い出となりました。子供の頃から数字に親しみ、理数系の道を歩む予定だった私が、『こゝろ』との出会いをきっかけに文学へ進み、さらに占い師として「人のこころ」に触れる道を選ぶ――その背後には、漱石作品との深い縁があったのだと今では思います。特に、『こゝろ』というひらがなのタイトルが持つ繊細さや柔らかさに心を動かされ、言葉の持つ力を改めて実感しました。漱石の言葉が人の心を動かす力に感銘を受けたことが、占い師としての私の原点でもあるように感じます。漱石が異国で経験した孤独や葛藤を、自らの創作へと昇華させたように、私もまた言葉を通じて多くの人の心に触れ、支えとなる存在でありたいと思っています。