笑いは  祈りよりも神聖だ その-1

笑いは 祈りよりも神聖だ その-1

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Laughter「笑い」



笑いは

祈りよりも神聖だ

ダンスは真言を唱える

よりも

宗教的だ

存在を愛する

ことは教会に行く

よりも

はるかに大切だ



インドの神秘家OSHO講話より抜粋







メタファー解説



笑いは

祈りよりも神聖だ



笑い=深刻でないこと だ

これを本当の笑いだと

受取ってはいけない



それでは

表面的なスピリチュアルだ

笑う事がいけないのではない

そもそも

笑いは、マインドで起きている

緊張の緩和のシステムでしかない



マインドに欠けているもの

それが笑いなのに

パラドクシカルな解釈だが

マインドの主戦場は

深刻さの中にある



だが

存在の、宇宙の、神の場所は

一元性でしかない

幸せも不幸も、その境目はなく

幸せと不幸は常にセットだ



幸せは

不幸なしでは成り立たない

不幸もまた

幸せなしでは成り立たない

これが二元性のシステムだ



幸せも不幸も

あなたのマインドが勝手に判断し

自分都合でその場しのぎで

どちらかを決めているだけで

それはコインの裏と表にすぎない



だからもし

あなたが深刻であっても

笑おうとしてはならない

そうすれば

笑うことが深刻さを帯びてしまう



深刻であったら

その深刻さを観る

たったそれだけOKだ

それ以上でも、それ以下でもない

瞑想とは

そうして観照する行為だ



何かに

働きかけたり

何かを

変えようとするのは

瞑想とは言わない



それは

別のマインドが

深刻さをジャッジし

変えようとしているだけだ



ただ観照する

その深刻さは

あなたという自我の

サバイバルのために

動いているだけだ



だた観照し
そして

「ありがとう」とだけ

言えばOKだ



その時点で

あなたは既に

マインドとは違う場所にいる

それが瞑想だ



そして

あなたがマインドに

自我に巻き込まれていない時

あなたは本性/真我とともに

存在に、宇宙の、神聖さの中にいる



祈りとは

あなたのエゴの欲望を

神へ届けることではない

祈りとは

存在とあなたを繋ぐことだ



だが

あなたはいつも

マインドと繋がってばかりいる

たとえそれが神聖なマインドだとしても

それはマインドに変わりない



あなたは

存在へ、宇宙へ、神へと

繋がらなければならない

それこそが祈りだ



マインドと離れれば

自我との同一視が消えれば

あなたがそれらを観れば

それは即ち神聖そのものだ



あなたは

一度も宇宙と分離したことはない

あなたは

一度も宇宙から飛び出したこともない

あなたは

一度も存在から隔離されたことはない

そこへ戻るスイッチの一つが

笑い=深刻さのなさ なのだ



その-2へ続く







LOVE Charam


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