風俗という仕事への偏見の多くは、
仕事の実態ではなく、「性を公に語れない」という社会の癖が生んだ影だ。
対価が明確な関係は、時に、対価が曖昧な関係よりも誠実だ。
何を、いくらで、いつまで。その透明さは、ごまかしのない関係の形の一つだ。
「苦労して稼ぐほど尊い」という物差しで測ると、
効率よく価値を提供する仕事は、不当に低く評価されてしまう。
性に関わる仕事だけが、特別に「魂を削る」わけではない。
どんな対人の仕事も、程度の差はあれ、心と体を差し出している。
偏見は、その人個人への評価ではないことが多い。
社会が消化しきれていない感情が、たまたまその人に投影されているだけだ。
稼ぎ方の形は、時代や地域によって、大きく形を変えてきた。
今の常識は、絶対的な真理ではなく、今この時代だけの一つの形にすぎない。
「短時間で稼ぐのはずるい」という感覚の裏には、
努力信仰という、また別の古い前提が隠れていることがある。
対人サービスの本質は、業種の名前ではなく、
どれだけ相手の安心に、丁寧に向き合えているかで決まる。
働く人へのまなざしを変えるのに、
その仕事を好きになる必要はない。ただ、判断を保留すればいい。
社会が守ろうとしてきた「型」から外れることと、
その人の存在の価値が下がることは、まったく別のことだ。
需要と供給が、透明な合意のもとで成立している場所には、
本来、断罪する理由はどこにもない。
偏見の強さは、その行為の善悪の強さを示していない。
その社会が、そのテーマにどれだけ向き合えていないかを示しているだけだ。
働く人の尊厳は、業種の社会的な扱われ方とは無関係に、
最初から、その人自身に備わっている。
ジャッジを外して見た時、そこにあるのは、
善悪の物語ではなく、需要と供給という、ただの構造だ。
細井敬太
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