雨の日の在り方と主権の話

雨の日の在り方と主権の話

記事
コラム
京都ひととき手紙|雨の日の在り方と主権の話

2026年3月31日
京都御所にて
雨が
強くなったり
弱くなったり。

同じ場所にいても
少しずつ
なにかが自然と変わっていきます。

ふと思いました。

雨の日には
雨の日の過ごし方を
人は
自然に思いつく。

そして
また
人生も同じ。

人生にも
晴れの日のようなときもあれば
雨の日のようなときもあります。

うまくいっている感覚のときもあれば
なぜか重たい
なぜか進まない
そんなときもあります。

そのたびに
「なんとか晴れにしよう」
と思ってしまいがちですが。

そのことだけに
固執すると
苦しくなります。

本来は
雨の日には
雨の日の在り方がある
ただそれだけですね。

ぼくの場合、先日の体調不良から、急に治そう、抜け出そうとして
逆に
体調不良を長引かせてしまいました。

もちろん
その経験が、今後の展開の大きなきっかけになったのは
間違いないけど。

もう、あれはやめよう
と固く決意しました。

主権が自分の外にあると
・うまくいっているかどうか
・結果が出ているかどうか
これで
自分の状態が決まります。

でも
主権が内に戻ってくると
「今は雨だな」
と
落ち着いて、受け取れるようになります。

そして
その状態の中で
今の自分に合う
過ごし方が
自然に浮かんできます。

無理に動かない
少し立ち止まる
落ち着いて整える


それは
後ろ向きではなく

ただ
“その座標に合った動き”




雨を止ませようとしなくても
雨は
いつか止みます。


でも
雨を嫌い続けていると
止んだあとも
どこかで
また
学びがきます


人生も
同じです。


どの状態にも
その状態なりの
過ごし方がある。


それを
無理なく選べるようになったとき

人は
どんな状況でも
崩れにくくなります。

晴れの日も
雨の日も
自然と
生き方を思いつく。

それが
主権が自分の内側の感覚に
戻り始めた状態のひとつです


思想家
細井敬太
2026年3月31日
13時

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