チャネリングをやめたわたしが、今もソウルネームを届ける理由

チャネリングをやめたわたしが、今もソウルネームを届ける理由

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わたしは以前、チャネリングという形で、ガイドや見えない存在からのメッセージを受け取り、人にお渡しする活動をしていました。

けれど今は、そうしたチャネリングをやめています。

続けていくうちに、少しずつ違和感を持つようになったからです。

受け取った言葉は、本当に外側の存在から届いたものなのか。そこには、自分自身の感覚や無意識が、どのくらい含まれているのか。

そして何より、誰かの人生についての答えを、外側の存在の言葉として渡してよいのだろうか。

わたしは次第に、答えは外側から与えられるものではなく、その人自身の内側にあるものだと感じるようになりました。

それで、見えない存在から答えを受け取り、誰かに渡すという形のチャネリングをやめました。

けれど、ソウルネームだけは少し違いました。

誰かのためにセッションを始めると、こちらから何かにつながろうとしなくても、自然に名前の響きが立ち上がってきます。

どれも外国の名前のような音を持ち、あとから意味を調べると、その方の生き方や内側にあるテーマと、不思議なほど重なっているように感じます。

ただ、わたしは一時期、このことにも迷いました。

チャネリングをやめたのに、ソウルネームを受け取ることだけを続けるのは、自分に対する嘘ではないだろうか。

都合よく、これだけを例外にしているのではないか。そんなふうに考えて、怖くなったこともあります。

でも、あらためて自分の中で起きていることを見つめてみると、チャネリングとソウルネームでは、受け取る感覚がちがいます。

以前のチャネリングが、外側の存在に意識を向け、そこから言葉を受け取る「アクセス」だとしたら、ソウルネームは、その方の内側にある響きに、わたしの感覚が触れる「共鳴」に近いものです。

何か高い場所から、正しい答えを降ろしているわけではありません。

その人の中にすでにある、まだ言葉になっていない気配。形になる前の感覚。

何気ない日常のなかで、自然とわたしの中に響いてくる名前です。

Soul Echo Nameは、未来を予言するものでも、魂の使命を断定するものでもありません。

「あなたはこういう人です」と、外側から決めるための名前でもありません。

むしろ、受け取った方がその名前に触れたとき、

「これは、わたしの中にずっとあったものかもしれない」

と、自分自身の感覚を思い出すための、小さな入口のようなものだと思っています。

すぐに腑に落ちることもあれば、時間が経ってから、少しずつ意味がつながっていくこともあります。

大切なのは、わたしの説明を正解として信じることではありません。

名前を見たとき、呼んだとき、心や身体に何が起きるのか。その方自身の感覚です。

わたしがソウルネームを届け続けているのは、答えを渡したいからではありません。

名前をきっかけに、その人が自分の内側にある何かを思い出す瞬間を、これまで見てきたからです。

チャネリングをやめたからこそ、Soul Echo Nameが何なのかを、以前よりはっきりと理解することができるようになりました。

外側の答えを手放したあとに残ったのは、その人の内側から静かに響いてくる、まだ言葉になる前の魂の声なのかもしれません。


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