失って初めて見えてくるもの

失って初めて見えてくるもの

記事
占い
産土神社鑑定士
開運カウンセラーの
佐藤舞由加です。

今日は、
不思議な朝でした。

目を覚ます直前まで、
夢の中で、
今は亡き懐かしい人たちと
一緒に過ごしていたのです。

何か特別なことが
起こるわけでもありません。

ただ、 
みんなでお茶を飲みながら、
たわいもない話をしている。

それだけのことでした。

けれど、
久しぶりに囲む愛しい顔ぶれに、 
胸がキュッと
締めつけられるような思いがしました。

そして、 
何とも言えない
温かな懐かしさに包まれながら、
目が覚めたのです。

人間というものは、 
不思議なものですね。

幸せの中にいるときほど、
その幸せに気づかないものです。

毎日が平穏で、
何事もなく過ぎていく。

家族が元気で、
いつものように食卓を囲み、
くだらないことで笑い合う。

そんな日常を、
私たちはいつの間にか
「当たり前」だと思うようになります。

けれど、
その当たり前が、
どれほどありがたいことであったのか。

それを本当に知るのは、
失ったときなのかもしれません。

暗闇を経験した人ほど、
わずかな光の温かさが身に染みるように、
悲しみを知った人ほど、
何でもない日常の尊さが
わかるようになるのでしょう。

どれほど幸せな時間を過ごしていても、
人間の心というものは、
次第にその幸せに慣れてしまいます。

そして、
十分に恵まれているにもかかわらず、
今度は「もっと、もっと」
と求め始めるのです。


けれど、その「もっと」を
追い求めているうちは、
いつまでたっても
心が満たされることはありません。

なぜなら、
私たちが追いかけているものの多くは、
実体のない幻のようなものだからです。

本当に大切なものは、
遠くにあるのではありません。

すでに自分の手のひらの中に、
与えられているのです。

健康であることも、
そうですね。

元気なときには、
健康であることのありがたさなど、
なかなか考えないものです。

少しくらい嫌なことがあれば不満を言い、
何も変わらない毎日を
退屈に感じたりもします。

ところが、
ひとたび病気になれば、
それまでの考え方が一変します。

「あの頃は、なんて幸せだったのだろう」

不平不満を言いながら過ごしていた、
あの何でもない日々。

朝、
目が覚めて、
好きなものを食べ、
行きたいところへ出かけられる。

そんな、
ごく普通の暮らしが、
実は何物にも代えがたい
奇跡のような時間だったことに
気づかされるのです。

人は、 
失って初めて知ることが、
あまりにも多いのですね。

私は思うのです。

できることなら、
失う前に気づける人間でありたいと。

今、
目の前にある幸せを、
当たり前だと思わずに
感謝できる人間でありたい。

それは、
簡単なようでいて、
なかなか難しいことなのかもしれませんね。

神様は、
私たちが
人間として大きく成長できるように、
人生の中に
幾つもの学びや課題を
用意されています。

喜びばかりではなく、
ときには悲しみや苦しみを
経験することもあるでしょう。

なぜ自分が
こんな目に遭わなければならないのかと、
天を仰ぎたくなることも
あるかもしれません。

けれど、
その経験を通して
初めて見えてくるものがあります。

人の痛みがわかるようになったり、
誰かの優しさが身に染みたり、
それまで気づかなかった小さな幸せに、
心から感謝できるようになったり。

そうして私たちは、 
少しずつ人間としての
深みを増していくのでしょう。

人生に用意された課題は、
人を苦しめるためだけに
あるのではありません。

その一つひとつを乗り越え、
そこから何を学び、
何を自分のものにしていくのか。

そこに、
私たちが
この世に生まれてきた意味が
あるのだと思います。

そして、
それこそが魂の成長なのでは
ないでしょうか。

今朝、
夢の中で再会した懐かしい人たち。

何を話したのか、
はっきりとは覚えていませんが。

でも、
あの温かな時間が、
私に大切なことを
思い出させてくれたような
気がしています。

幸せとは、
何かを手に入れたときに
初めて訪れるものではなく、
すでに与えられているものに気づくこと。

今日も、
何事もなく一日を迎えられたこと。

そのことに、
心から感謝したいと思います。

みなさまも今日という1日に、
静かな幸せを感じられますように。



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