開くのが億劫になった夜に

開くのが億劫になった夜に

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相談の中で、よく届く問いがあります。「アプリを開くのが億劫で、通知も見ないまま何日も経ってしまいます。これは、やる気がないということでしょうか」というものです。自分を責めながら送ってくださる方が多く、画面を開けない自分に落胆している気配まで伝わってきます。

波動を見せていただくと、そういうときに弱っているのは意欲ではないことがほとんどです。弱っているのは、人を受け取る側の力だと感じます。アプリを開くという動作は、指先ひとつの軽い行為に見えますが、実際には初めての方の写真を見て、文章の呼吸を読み、自分と合うかどうかを瞬時に測ることの連続です。一回あたりは小さくても、重ねると相当な量になります。億劫さは、その積み上がった量に対して心が出している正直な反応だと受け取っています。

もうひとつ、開けない時期の手前には、たいてい何かが起きています。長く続いていたやり取りが途切れたこと、会ってみたら想像と違ったこと、感じのいい方だったのに自分の気持ちが動かなかったこと。そうした一つひとつは、その場では流せたように見えても、残り方は人それぞれです。流せたと思っていたものが、次に画面を開こうとした瞬間に重さとして戻ってくることがあります。億劫さは、未処理のまま置かれたものが「まだ終わっていません」と伝えてきている形でもあります。

ですから私は、気合いを入れて開き直すことをあまりおすすめしていません。受け取る力が細くなっているときに量を増やすと、どなたを見ても心が動かない状態になりやすいのです。そうなると、本当は合う方が流れてきていても気づけません。開けないまま置いておくことは、機会を逃している状態というより、感度を守っている状態に近いと見ています。

そのあいだにできることがあるとすれば、量を減らす方向の工夫でしょうか。たとえば、やり取りの相手を今いる方だけに絞ってみる。開く時間を一日の中で一か所だけに決めてみる。新しい方を探す画面には入らず、届いている言葉を読むだけにしてみる。どれも前に進む行為には見えないかもしれませんが、受け取る力が戻ってくるのは、こういう薄くした状態のほうが多いと感じています。

そして、億劫さが続くこと自体を失敗とは考えなくて大丈夫です。開きたくなる日は、自分で決めて作るものではなく、戻ってきたときに分かるものです。何気ない日に画面をのぞいて、誰かの文章がふっと目にとまる。そのときに、あ、読めるようになっている、と気づかれると思います。その感覚が戻るまでのあいだは、休んでいるのではなく、整えている時間だと受け取っていただきたいのです。

いま開けないことを、自分の熱量の不足として責めないでください。疲れている箇所は意志ではなく、人と出会うたびに差し出していた繊細な部分です。そこが回復すれば、同じアプリの同じ画面が、前より静かに見えてくることがあります。

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