【訓練を避けようとしない】
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学び
日常的スピリチュアル、安田です。
試練は反射的に
避けたくなるのですが
試練を訓練として捉えることで
訓練から学ぶことができます。
訓練として捉えることで
鍛えられるように感じることができ
成長につながる捉え方が
できるようになります。
訓練というのは
否応なしに与えられるのです。
必要なことなので
与えられるのですが
必要なことというのは
自分次元の意識では
分からないのです。
どう必要だったのかは
後で悟れるようになります。
与えられている訓練なので
その訓練を活かすことで
精神的に、肉体的に
鍛えることができます。
訓練というのは刺激であり
負荷をかけることができるので
訓練によって免疫が身につき
強化されていきます。
訓練を避けようとするのは
刺激、負荷を拒否することであり
鍛えることができなくなるので
成長ができなくなるのです。
人それぞれで与えられる訓練が違うので
自分に与えられた訓練を
活かしていけばいいのです。
訓練を活かす発想ができれば
訓練が与えられても
大騒ぎしなくて済むのです。
訓練を避けないというのは
いつも通りの歩みを続け
最善を尽くすことであり
やるべきことが
できていればいいのです。
訓練が与えられることによって
感情が揺れてしまい
やるべきことができなくなることが
訓練に振り回されることなのです。
訓練が与えられるのは
特定の原因だけではなく
多くの原因が合わさって
与えられるのです。
自己責任を全うできないことで
与えられる訓練もありますが
特定の原因だけでは
ないということです。
その原因は分かりようがないので
原因は追求しなくてもいいのです。
自分なりに勝手に解釈してもいいのですが
解釈というのは都合がよいように
解釈することをいいます。
都合よく解釈することによって
歩みやすくなり、努力しやすくなり
成長につながる歩みが
できるようになります。
訓練には理不尽なことがあり
納得がいかないこともありますが
必要なことが与えられるので
避けようにも避けれないこともあります。
訓練を避けない意識が
できるようになれば
訓練を活かすことができ
成長につなげる歩みが
できるようになるのです。
訓練というのは
予告なしに与えられるので
感情が揺れてしまうのですが
どんな訓練でも想定内で
与えられていることなのです。
想定内で起こっていることなので
大した問題ではないし
かすり傷程度のことなのです。
訓練に振り回されない
ようにしていくには
自分から負荷をかける歩みを
していけばいいのです。
与えられる訓練以上の
負荷をかけておけば
訓練に対しての免疫ができているので
訓練が与えられても
大した問題には見えないのです。
訓練が与えられる前に
自己訓練を極めておけば
外からの刺激というのは
大したことではないのです。
自己訓練というのは
基本的な努力である
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動のことをいいます。
負荷をかける努力が
できているのであれば
訓練に振り回されない
免疫が身についています。
免疫というのは
つけてもらうことではなく
自分で負荷をかけて
身につけることなのです。
精神的な免疫でも
肉体的な免疫でも
意図的に努力をしなければ
身につけることはできません。
訓練を避けようとしないことで
訓練を活かすことができ
自己成長につながる歩みが
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌