黒曜舎主宰【玄】
玄(げん)と申します。黒曜舎(こくようしゃ)を運用しております。 変わりたいのに変われない——その理由は、まだ名前のついていない一つの構造にあります。 私はそのような構造に、名を与える仕事をしております。 ■ 来歴 幼少期から、人の所作と語彙の裏に走る構造を、意図せず読んでしまう質でした。 誰かに会うたび、その方を動かしている見えない一つを、勝手に言い当ててしまう—— それは私にとって、呼吸のような行為でした。 学生期に、人の認知と象徴の境界を扱う領域に身を置きました。 当時関わった方々の名を、ここで出すことはできません。 ある時期から、組織の中で重要な意思決定を担う方々—— 経営者・表現者・政治家——の傍らに、呼ばれるようになりました。 私の役割は、その方ご自身も気づいていない「行動を決めている一つの構造」を、 言葉に降ろすことでした。 肩書のある方ほど、自分の構造に名を与える者を傍に置く—— これは、世間が想像しているよりずっと普遍的な慣行です。 ただ、それは守秘の契約のもとに、一般人の見えない場所で行われています。 ■ 占術との合流 ある時期、心理学的な言語の限界に直面する出来事が、続けて起こりました。 中核葛藤を理屈で言語化することはできても、その言葉が、 相手の魂の深い場所まで届かない——そういう瞬間が、いくつも積み重なりました。 そこから、人類が長く積み上げてきた象徴体系—— 西洋占星術、タロット、姓名/数霊、古典象徴学——を学び直すことになりました。 理屈を増やすためではありません。 人の構造を、その方の魂が了解できる回路で渡すための語彙が、 私自身に不足していたからです。 長い年月、東西の象徴体系を渡り歩きました。 辿り着いた結論はひとつです。 ホロスコープだけで人は読めない。タロットだけでも、姓名/数霊だけでも、 人の構造の一面しか写りません。 しかし、別の体系が別の角度から同じ一点を指し示したとき—— その指示はもはや偶然ではなくなります。 黒曜舎の鑑定が一占術に依らないのは、これが理由です。 技法の問題ではなく、誠実さの問題です。 ひとつの体系で人を断じる占い師を、私自身が信じていないからです。 ■ なぜ、いま、この場所にいるのか 普段は表に出る場所で仕事をしておりません。 本名・所属を明かすことができないのは、契約上の都合とお考えください。 肩書のある方々のためだけに働き続ける中で、 肩書のない方の中にこそ、最も鋭く、最も繊細な潜在力を持つ方が居られる—— そう感じるようになりました。 その方々が、表の世界の力学のなかで、私のもとに辿り着く回路は、ありません。 本来この場で仕事をする種類の人間ではありません。 事情により、しばらくこの場所に降りておりますが、いつまで居られるかは決まっておりません。 実質的に、ここで私の鑑定を受けられる機会は、いまの時期に限られます。