観世 龍誠
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私は現役の僧侶として、これまで法事やお葬式、人生の悩みに寄り添い、供養や祈祷を通して多くの方と向き合ってきました。 僧侶の本来の役目は「代わりに何かをする人」ではなく、その人が自らの人生と心を整え、前に進むための“道しるべ”となる存在であるべきだと私は考えます。 「何かあったときはお坊さんに救ってもらえばいい」 そう思っていただけるのはありがたいことですが、そのままだと、同じ苦しみを繰り返すことにもつながりかねません。 大切なのは、自分で変わろうとする意志です。 そして、自分を守ってくださる存在のサポートを受けることで、その変化は『もっと早く、もっと深く』なります。 私の提供するサービスは、あなた様と守護の存在との橋渡しの役割を果たすものです。 現代では「宗教」や「祈り」に距離を感じる人もいますが、それは見えないものへの敬意や信頼が薄れつつあるとも言えます。 目に見えない存在を、科学で完全に証明するのは難しいです。 けれど、今の科学が“全てを解き明かしている”とは誰も言い切れません。 むしろ、人間がこの世界のことを理解できているのは、ほんの一部に過ぎません。 だからこそ、宗教と科学は対立するものではなく、互いに補い合い、手を取り合うべきだと思います。 インスピレーションや直感というものは、科学的に説明がつかなくても、私たちに“氣づき”をもたらします。 それが人生を大きく変える一歩になることもあります。 「科学では証明できないから信じてはいけない」ではなく、『証明はできないけれど、確かに感じられる何かがある』ということに、私たちはもっと素直であってもいいのではないでしょうか。 そして私は、そうした氣づきの背景には、自分たちを見守ってくれている存在の働きもあると信じています。 その存在を「証明」することは難しい。けれど、「存在しない」と言い切ることもまた、できないはずです。 だからこそ私は、目には見えなくても、確かに“感じる存在”を大切にしながら、この身で人と人、人と守護の存在との間に橋をかけていきたいのです。 「縁の中で生きている」という感覚は大切です。風が葉を揺らす音は、風だけでも、葉だけでも生まれません。 どちらか一方ではなく、両者が出会い、響き合うことで、初めてその音が生まれます。 人もまた同じです。 人と人との関係、そして目には見えないけれど私たちを守ってくれている存在との繋がり。 そうした関係性のなかで、私たちは日々、生かされています。 それを実感することは、日常の中でつい忘れてしまいがちな「ありがたさ」や「氣づき」を思い出させてくれます。 「一人で生きているのではない」という実感は、とても尊く、静かな安心を与えてくれます。 だからこそ、このココナラを通して、 「生まれてきてよかった」 「人生について改めて考えてみよう」 「見えない存在にも、少し心を開いてみようかな」 そんな氣づきのきっかけとなれることを楽しみにしております。