私のこれまで
○身内が自死 16歳で自死遺族となる
○衛生看護科の学生だったのに何も出来なかった。
寧ろ、思春期で見て見ぬふりしてた自分を責め続け、自分自身も精神科病棟の入院を経験する
○退院後とにかく心を元気に、病院で10代最後を過ごしてしまい青春を取り戻す気持ちで、好きなことを!とダンスに明け暮れる
○結婚 出産
○2歳になるまで言葉を発さない長男の成長に不安を感
じ始める。7歳の時に発達障害の診断を受ける
○その頃アナ雪2を見て「自分が劣等感を抱いていることは、実は自分にしか出来ない武器にもなる」と受け取る
私の隠したいことって。。
自死した家族のこと
自分が精神科に入院したこと
子供が発達障害がある
でした。
そこから精神科の専門看護師か認定看護師になる!
それが私の答えでした。
これになるために色んなことがあったんだと。
初めて悲しい出来事達を昇華できた瞬間でした。
そこからは今できることをと考え、すごいパワーで看
護協会の研修やあらゆる病院の研修を受けに行ってま
した。
○しかしこの人だ!と思った人と結婚したのに、喧嘩
が絶えず、段々と元旦那さんはアスペルガーなんだと
理解していく
結婚12年で別居。離婚調停を経て1年後離婚。その間
に子供の希望で縁もゆかりもない土地に移住。看護
学校にも再チャレンジ
○ほぼ毎日のワンオペ育児
その頃、長男の軽度知的障害の認定も受ける
○長男の不登校期間を経験
理不尽な中学校のルールや指導のあり方について、学
校と協議していく
○看護師資格取得も夜勤、オンコール、早番遅番の出
来ない私は正社員で採用はされず、シングル家庭は
「社会的弱者」なんだと強く実感。
長く劣等感を抱き続けてきた中で見つけた夢を、こ
んな形で目指せなくなることに傷ついた私は、藁に
すがる思いで社会福祉士の学校を受験し、勉強を始
める
○医療業界で仕事する気力がなくなり、でも「埋もれた
くない」気持ちや、私が精神科に入院となった理由の
「親に恵まれなかった人の支えになりたい」という気
持ちを消してはいけないと思い、とにかく興味あるこ
とと思い職業訓練で栄養士の学校に通う。
FPの授業も受ける。
(★現在ここです★)
今年度卒業となり、栄養士にもなります
私が以前のように病まずに頑張れたのは、高校時代の恩師がいつも相談にのってくれていたからです。あの時(精神科病棟入院)もとりあえず生きていられたのはこの先生が居たからです
このような経験から、私も誰かをフォローしていけるように、その方がいい方向にいけるように支えていくことをしていきたいと思うようになりました
何が出来るか私もまだまだ手探りですが、1人味方がいれば頑張れる!そんな風に感じてます。どうぞ宜しくお願い致します