◆ 言葉にできているのに、なぜか晴れない
ご相談をいただくとき、多くの方はすでに、自分の悩みを言葉にできています。
「もう一度、大切にされていると感じたい」「連絡が来ないことが苦しい」「このまま終わるのが怖い」。
どれも、はっきりとした言葉です。曖昧なままではありません。
けれど不思議なことに、その言葉通りのことが起きたとしても、心の底までは晴れないだろうと、ご本人がどこかで感じていることがあります。
言葉にできているのに、なぜか腑に落ちない。この違和感から、私の鑑定は始まります。
◆ 悩みは、いつも水面に浮かんだ部分だけ
言葉にできる悩みというのは、実はすでに一段階、整理されたあとの姿です。
起きた出来事、そこに対する説明、そしてそれをどうにかしたいという願い。ここまでは、ご本人の力ですでに言葉になっています。
私はここを、軽んじません。自分の状態を言葉にできることは、それ自体が一つの力です。
けれど、言葉になった時点で、そこには必ず選別が働いています。話しやすい形に整えられ、説明のつく理由がつけられ、口に出しても変に思われない願いへと、無意識のうちに削られている。
水面に浮かんでいるのは、そうやって残った部分だけです。その下に、まだ言葉になっていない望みが沈んでいることがあります。
◆ 頭が選んだ望みと、躰が指し示す望みがずれている
なぜ、自分の本当の望みに、自分で気づけないのか。
それは、望みというものが、頭だけで作られているわけではないからだと、私は感じています。
過去の経験によって躰の奥に残された「記憶の痕跡」。私はこれを「躰記憶」と呼んでいます。
この躰記憶は、頭が「こうありたい」と選んだ望みとは、別の方向を指していることがあります。
たとえば、「もう一度愛されたい」と願いながら、実際に相手が近づいてくると、なぜか距離を取ってしまう。
「安心できる関係が欲しい」と口では言いながら、安定した相手には物足りなさを感じてしまう。
これは、望みが変わりやすいからではありません。頭で選んだ望みの奥に、躰記憶が守ろうとしている、別の望みが眠っているからです。
かつてその躰記憶は、傷つかないためにあなたを守っていたはずです。近づきすぎる前に距離を取る。安定を疑ってかかる。それは失敗ではなく、生き延びるための知恵でした。
ただ、かつて必要だったその働きが、今のあなたが本当に望むものと、同じ方向を向いているとは限りません。
◆ 顕在化したものと、潜在しているものを照合する
恋愛鑑定で、私が最も時間をかけているのは【照合】という作業です。
お相手様側で実際に起きていることと、あなた様の中で作動している反応を、混同せずに分けて視る。これが恋愛鑑定の中心です。
同じことが、望みそのものにも起きています。
「言葉にした望み」と、「躰記憶が指し示している望み」。この二つを混同したまま進むと、望みが叶っても晴れない、という現象が繰り返されます。
言葉にした望みだけを追いかけて、叶っても満たされない。あるいは、躰記憶の側だけに従って、頭で選んだ望みを見失う。どちらか一方だけでは、本当のところへは届きません。
顕在化しているものと、潜在しているもの。その両方を照らし合わせて初めて、「本当はどうなりたいのか」の輪郭が見えてきます。ここを視ることに、私は「躰記憶霊視」という名をつけました。
◆ 視るのは答えではなく、その先で何を選ぶか
私は、視えたものを絶対的な答えとしてお渡しすることはいたしません。
「本当の望みはこれです」と言い切り、そこへ向かうよう導くことも、いたしません。
躰記憶の奥にある望みを言葉にしたとしても、それに従うかどうかを決めるのは、いつもご本人です。
未来は、視えたものに従うためにあるのではなく、視えたものを知ったうえで、選び直していくものだと思っています。
私が視るのは、その選び直しのための材料です。言葉にできていた望みと、まだ言葉になっていなかった望み。その両方を並べて、初めてご自分で選べる状態を作る。それが、私の役目だと考えています。
◆ 結びに
もし、望みを言葉にしているはずなのに、どこか晴れない感覚が残っているなら。
その奥にまだ、言葉になっていない望みが沈んでいるのかもしれません。
そこを、一緒に視てみませんか。
言葉にできなかった部分は、弱さでも未熟さでもなく、これまであなたを守ってきた記憶の続きかもしれません。