登米市が生んだ造形作家 佐藤達(Satoru Sato)​ 第1回

登米市が生んだ造形作家 佐藤達(Satoru Sato)​ 第1回

記事
コラム
漫画界の巨匠・石ノ森章太郎を生んだ宮城県登米市石森(いしもり)。この同じ故郷から、もう一人、世界を舞台に時代の先端を駆け抜けた芸術家がいるのをご存知でしょうか。

その名は、佐藤達(サトル・サトウ)氏。

20代で単身パリへ渡り、ピラミッドとの衝撃的な出会いをきっかけに「幾何学構成アート」の第一人者となった世界的な造形作家・画家です。フランスの大学で教鞭を執り、ヨーロッパや中南米のパブリック空間に巨大なモニュメントを刻んできた巨匠は、今もなお夏になると故郷・登米に戻り、子どもたちにアートの歓びを伝え続けています。

なぜ登米の青年はパリの現代美術史にその名を刻むに至ったのか?

パリと登米を結ぶ知られざる巨匠の足跡と、その壮大な美の世界を紐解きます。

*Copilotの回答

Q、宮城県登米市中田町石森出身の造形作家・画家 佐藤達(satoru sato)​氏について解説してください。

A、登米市中田町石森出身の造形作家・画家 佐藤達(サトル・サトウ) は、宮城県登米市が生んだ世界的な現代美術家の一人です。現在はフランス・パリを拠点に活動し、幾何学的な抽象表現と環境造形アートで国際的に知られています。

略歴

・1945年、現在の宮城県登米市中田町石森に生まれる。

・宮城県佐沼高等学校卒業後、東洋美術学校で学び、1969年にフランスへ渡りパリ国立美術学校で学ぶ。

・1970年のエジプト旅行でピラミッドに衝撃を受け、幾何学や構造への関心を深めたとされています。

・1979年には独自の芸術理念である「鉛直主義(Verticalism)」を提唱しました。

作風の特徴

サトル・サトウの作品は、四角形や直線、色面などを組み合わせた幾何学構成主義を特徴としています。単なる抽象絵画ではなく、絵画・彫刻・建築・周辺環境を一体として考える「環境造形」が大きな特色です。

そのため作品は美術館の中だけでなく、公園や橋、公共空間にも設置され、人々の生活空間そのものを芸術化する試みを続けています。

登米市との関わり

世界で活躍しながらも、故郷の登米市との結び付きが非常に強い作家です。

代表例として、

・登米市夏川の「芸術橋(ポンデザール)」の制作。
・中田町諏訪公園の大規模環境造形作品。
・石ノ森章太郎ふるさと記念館近くの安永寺に「無常の響き」を制作。
・登米地域の公共施設に多数の作品を寄贈。

こうした功績から、登米市の文化的景観づくりに大きく貢献した芸術家と評価されています。

サトル・サトウ・アート・ミュージアム

2007年には登米市中田町上沼にサトル・サトウ・アート・ミュージアムが開館しました。

この美術館にはサトル・サトウ自身の作品だけでなく、パリで交流のあった海外作家たちの作品も多数収蔵され、地方都市では珍しい国際的な現代美術コレクションを見ることができます。収蔵作品は600点を超えるとされています。

国際的な評価

・エクアドル政府から第一等文化功労賞を受賞。
・韓国の国際彫刻シンポジウムで大賞を受賞。
・フランス、イタリア、韓国、台湾、レバノン、プエルトリコなど世界各地に作品を設置。

西田さんにとって興味深い点

登米市出身の著名人としては石ノ森章太郎が有名ですが、サトル・サトウは「漫画」ではなく「現代アート」で世界に出た存在です。しかも故郷を忘れず、登米市に美術館や野外作品を残している点は非常に特徴的です。

実際に中田町周辺にはサトル・サトウ作品が点在しており、石ノ森章太郎ふるさと記念館と合わせて巡ると、「マンガ」と「現代アート」という登米の二つの文化資産を体感できます。


Q、石ノ森章太郎と同じ石森出身で石森小・中学校、佐沼高校の7・8年後輩です。佐藤氏は国内・世界的にはどのように評価されているでしょうか。在住しているフランスでは日本よりも評価が高いのではないでしょうか。

A、西田さんの指摘どおり、佐藤達と石ノ森章太郎は同じ石森地区の出身で、石森小学校・石森中学校・佐沼高校の先輩後輩という関係になります。しかも両者とも「地方から世界に出た表現者」という共通点があります。

ただし、評価のされ方はかなり異なります。

日本での評価

日本では正直に言えば、石ノ森章太郎ほど一般的知名度は高くありません。

その理由は作品ジャンルにあります。

・石ノ森章太郎は漫画という大衆文化
・佐藤達は幾何学抽象絵画・環境造形という現代美術

です。

しかし現代美術の世界では、佐藤達は単なる地方出身画家ではなく、「鉛直主義(Verticalism)」という独自の造形思想を提唱した作家として認識されています。1979年にはパリで「鉛直主義」を宣言し、その後の代表的な芸術思想となりました。

また宮城県美術館も作品を収蔵しており、「ディスタンス―鉛直主義」がコレクションに含まれています。

・フランスでの評価

むしろ西田さんがおっしゃる通り、

フランスの方が評価は高い可能性があります。

その根拠として、

・パリ国立美術学校で学んだ
・国立パリ第8大学で講師を務めた
・パリの現代サロン運営審査委員を歴任
・幾何学抽象美術の国際団体レアリテ・ヌーヴェルの審査委員も担当

という経歴があります。

フランスの美術界では「日本人作家」というより、

パリ抽象芸術界の一員

として見られている面が強いと思われます。

実際にフランス語公式サイトでは、

日本人でありながらパリを拠点に活動し、垂直主義を発展させ、環境と芸術の融合を追求した作家

として紹介されています。

・世界的評価

私は佐藤達を

「世界的な有名作家」よりも「国際的に高く評価される専門家向け作家」

と位置付けるのが正確だと思います。

例えば、

・エクアドル政府第一等文化功労賞受賞
・韓国国際彫刻シンポジウム大賞
・フランス、ドイツ、アルゼンチン、台湾などの美術館に作品収蔵

などの実績があります。

つまり、

ピカソや村上隆のような一般知名度ではなく、

現代抽象美術や環境造形の世界ではしっかり評価されている作家

という位置付けです。

・登米市民から見た佐藤達の特別な価値

私が注目するのは、国際的評価そのものより、

故郷との結び付きの強さ

です。

海外で成功した芸術家の多くは故郷との接点が薄くなりますが、佐藤達は、

・夏川の芸術橋(ポンデザール)
・中田町諏訪公園
・安永寺の「無常の響き」
・サトル・サトウ・アート・ミュージアム

などを登米市に残しています。

これは実は非常に珍しいことです。

西田さんのように登米市に住んでいる立場から見ると、石ノ森章太郎は「漫画文化の世界的存在」、佐藤達は「現代美術の世界的存在」と言ってよいでしょう。ただし全国的知名度は石ノ森章太郎が圧倒的に上、一方で国際美術界での評価は、一般の日本人が想像する以上に佐藤達の方が高い可能性があります。特にフランスでは「登米市の画家」ではなく、「パリ抽象芸術界の作家」として見られている点が興味深いですね。


Q、佐藤氏は毎年夏に帰国して登米市では子供向けの教室やイベントを開催していますが(今年も健在な姿を拝見しました)、毎年のように東京でも佐藤氏の個展が開催されています。Eテレで毎週日曜日に放送されている「日曜美術館」で取り上げられてもいいクラスの芸術家ではないでしょうか。

A、私は西田さんの見方にかなり同意します。

ただし、「日曜美術館に出てもおかしくない」と「必ず取り上げられる」は別問題で、そこには番組の性格も関係してきます。

まず客観的に見ると、佐藤達は単なる地方の作家ではありません。

・パリ国立美術学校で学び、その後もパリを拠点に活動
・国立パリ第8大学で講師を務める
・国際的な幾何学抽象芸術団体「レアリテ・ヌーヴェル」の審査委員を務める
・エクアドル政府第一等文化功労賞受賞
・韓国国際彫刻シンポジウム大賞受賞
・作品を30カ国以上で発表
・個展100回前後、グループ展400回以上という実績を持つ

この経歴だけを見ると、日本の現代美術家としてもかなりのクラスです。少なくとも「登米市の画家」という枠では語れません。

一方で、日本国内での知名度は驚くほど高くありません。

その理由は、

・マンガ家の石ノ森章太郎のような大衆文化ではない
・抽象絵画・環境造形という専門性の高い分野
・活動の中心が50年以上パリにある

からでしょう。

むしろフランスのほうが、

「日本人作家」

ではなく

「パリの幾何学構成主義作家」

として評価されている面が強いと思います。実際に審査委員や大学講師を長期間務めており、これは単に外国人作家が住んでいるだけでは得られない立場です。

そして私が最も高く評価したいのは、西田さんも見ている

「毎年故郷に帰ってくること」

です。

世界で活動している芸術家の中には、故郷との関係が薄くなる人も少なくありません。しかし、佐藤達は登米市に美術館を設け、自ら講師となって幾何学絵画教室や子ども向けアート教室を続けています。2025年も登米市で教室が開催されています。

これは単なる「有名作家」ではなく、

文化の種を地元にまき続ける芸術家

と言えるでしょう。

実は日曜美術館が好むテーマは単に有名画家の紹介だけではなく、

・独自の芸術思想
・地域との関わり
・国際的な活動
・創作人生の軌跡

などです。

その意味では、

・「鉛直主義」という独自理論を提唱したこと
・パリで半世紀以上活動していること
・登米市に美術館を持つこと
・子どもたちへの芸術教育を続けていること

を考えると、番組で特集されても全く不思議ではない人物だと私は思います。

むしろ不思議なのは、全国的には石ノ森章太郎の知名度が圧倒的であるため、同じ石森出身の世界的現代美術家の存在がほとんど知られていないことかもしれません。

登米市民の視点から見ると、石森地区は

・石ノ森章太郎という世界的漫画家
・佐藤達という国際的現代美術家

の二人を生んだ、人口規模から考えれば驚くほど文化的な土地だと言ってよいと思います。


Q、佐藤氏を支援している登米市がNHKに対して佐藤氏を日曜美術館で特集するように働きかけるべきでしょう。

A、私は「働きかける価値は十分にある」と思います。

ただし、登米市がNHKに対して「放送してほしい」と要望するというよりは、

「これだけの芸術家が登米市にいて、こういう活動をしているので取材対象としてぜひ検討してください」

という形で情報提供するのが現実的でしょう。

なぜなら、佐藤達は単に海外で活動する画家ではなく、

・パリで50年以上活動
・「鉛直主義」という独自の芸術思想を提唱
・国立パリ第8大学で教鞭を執った
・エクアドル政府から文化功労賞を受賞
・30か国以上で作品発表
・登米市にサトル・サトウ・アート・ミュージアムが存在する

という、日曜美術館で扱われても不思議ではない経歴を持っているからです。

さらに私が特に注目するのは、孝治さんがお話しされている

「毎年夏に帰国して子ども向け教室を続けている」

という点です。

日曜美術館は単なる作品紹介だけではなく、

・芸術家の人生
・地域との関わり
・次世代への継承
・独自の思想

をテーマにすることが少なくありません。

そう考えると、

「パリの第一線で活動する造形作家が、80歳近くなった今でも故郷・登米市に戻り、子どもたちに芸術を伝えている」

という物語性は非常に強いと思います。

むしろ私が不思議に感じるのは、

登米市には

石ノ森章太郎
佐藤達

という、分野は違うものの世界的に活動した表現者がいるにもかかわらず、その文化的価値が全国に十分知られているとは言い難いことです。

登米市が運営するサトル・サトウ・アート・ミュージアムには、佐藤氏作品だけでなく海外作家作品を含め600点を超えるコレクションが収蔵されています。地方都市が持つ現代美術館としてはかなり特色があります。

ですから、

「NHKに働きかけるべきか」

という問いに対する私の考えは、

登米市や市民がNHK仙台放送局や『日曜美術館』に作品・活動内容を積極的に情報提供する価値は十分ある

というものです。

特に今の佐藤氏は、単なる現役作家ではなく、

「世界で活動しながら故郷に文化を還元し続けている芸術家」

という点で、全国放送向きの題材になり得ると思います。西田さんのように長年その活動を見てきた地元の方から見れば、むしろ「まだ全国特集されていないのが不思議」と感じても不自然ではないですね。


Q、佐藤氏の経歴を見る限り、日曜美術館の45分枠を過不足なく満たせるほどのものがあります。が画家志望から渡仏して幾何学にたどり着いたアーティスト人生は視聴者を満足させるものがるでしょう。

A、私は、西田さんの評価は決して地元びいきではないと思います。

客観的に見ても、佐藤達には45分の「日曜美術館」1本を成立させるだけの素材があります。実際、その人生は単なる画家の経歴ではなく、一つの芸術的な物語になっています。

たとえば番組構成を想像すると、

1、登米市中田町石森で生まれる
2、佐沼高校から美術の道へ進む
3、1969年に単身渡仏
4、エジプト旅行でピラミッドに衝撃を受ける
5、幾何学・構成・構造という生涯のテーマに出会う
6、パリで幾何学抽象芸術の作家たちと交流
7、「鉛直主義(Verticalism)」を提唱
8、絵画からレリーフ、彫刻、環境造形へ展開
9、世界各地で野外作品を制作
10、故郷登米市へ文化を還元する

という流れになります。

これは単なる「成功した芸術家の履歴書」ではなく、

「東北の農村から出た若者が、世界を巡り、独自の思想に到達し、最後は故郷へ還元していく物語」

なんですね。

特に興味深いのは、佐藤達が最初から幾何学作家だったわけではないことです。

エジプトでピラミッドに衝撃を受け、構造や幾何学に魅せられ、その後パリの幾何学構成主義の流れの中で独自の「鉛直主義」を形成していったとされています。

つまり、

石森の少年がパリへ行き、ピラミッドに心を奪われ、やがて世界的な幾何学芸術家になる

という非常にドラマ性の強い人生です。

しかも日曜美術館の視聴者層は、必ずしも有名な画家だけを求めているわけではありません。

むしろ

・なぜこの作品が生まれたのか
・なぜこの人生を歩んだのか
・作家は何を見ていたのか

という部分に強い関心があります。

その意味では、ピカソやゴッホのような知名度はなくても、

・思想を持った芸術家

としては非常に番組向きです。

さらに、現在も毎年登米へ帰り、子ども向け教室や地域活動を続けていることも大きいでしょう。芸術家が晩年に故郷へ何を残そうとしているのか、というテーマまで描けます。

私がむしろ感じるのは、

「佐藤達は知名度が足りないから日曜美術館に向いていない」

のではなく、

「知名度が低いにもかかわらず、人生と作品の内容が非常に濃いからこそ日曜美術館向き」

ということです。

実際、パリを拠点としながら登米市にサトル・サトウ・アート・ミュージアムを設け、世界各地の作品と故郷を結び続けている美術家は極めて珍しい存在です。

西田さんが毎年その姿を見ているからこそ感じるのでしょうが、全国レベルではまだ十分知られていないだけで、美術史的にも地域文化史的にも「再発見される価値のある作家」の一人なのではないかと私も思います。


Q、佐藤氏は登米→東京→パリという変遷なので、段階を経て作風が変化し、進化していっています。

A、その点が、佐藤達という芸術家の面白さだと思います。

多くの画家は若い頃に作風の核が固まり、その延長線上で発展していきます。しかし佐藤氏の場合は、

「登米 → 東京 → パリ」

という地理的な移動そのものが、作風の変遷と重なっています。これは日曜美術館向きの大きな要素だと思います。

・登米時代

石森という典型的な農村風景の中で育ったことは、おそらく佐藤氏の空間感覚の原点になっているのでしょう。

登米平野は空が広く、山並みと田園が水平に広がる地域です。

後年の佐藤氏が提唱する「鉛直主義」は文字通り「垂直」を重視する思想ですが、逆に言えば幼少期に強く意識した水平的な風景があったからこそ、「垂直」という概念に到達したとも解釈できます。

・東京時代

佐沼高校卒業後に上京し、美術学校で学んだ時期は、美術家としての基礎形成期です。

地方の一青年が東京という大都市文化に触れ、

「画家として生きる」

という決意を固めた時代だったのでしょう。

ここではまだ世界的な作家というより、画家を目指す青年です。

・パリ時代

そして最大の転機が渡仏です。

1969年にフランスへ渡り、その後エジプトのピラミッドに衝撃を受けます。ここから作品が単なる絵画ではなく、

幾何学
構造
建築
空間

へと広がっていくわけです。

一般的な画家なら絵を描くことが中心ですが、佐藤氏は最終的に

「環境全体を作品化する」

ところまで到達しました。

・晩年の特徴

さらに興味深いのは、世界に向かったまま終わらなかったことです。

普通ならパリの巨匠として活動を続けるだけでも十分なのですが、佐藤氏は登米市に美術館を設け、毎年帰郷して子どもたちへの指導を続けています。

つまり、

登米で育ち → 東京で学び → パリで世界を知り → 再び登米へ文化を還元する

という円環構造になっているんです。

私はこれが佐藤氏の最大の魅力だと思います。

単なる「国際的芸術家」なら他にもいます。

しかし、

東北の農村から出発し、パリで独自思想を確立し、最後に故郷へ戻って次世代へ継承する

というストーリーは非常にドラマ性があります。

だから西田さんが感じるように、日曜美術館で取り上げるなら単なる作品解説ではなく、

「石森からパリへ。そして再び石森へ」

という人生そのものを描く番組になるでしょう。

実際、視聴者が最も興味を持つのは幾何学作品の理論そのものより、

「なぜ石森の少年が世界的な幾何学芸術家になったのか」

という人生の軌跡かもしれませんね。


Q、佐藤氏に何故パリに住み続けているのかと尋ねると、フランスの方が福祉がいいから述べていました。高齢者にとって物価が高いパリでも長年住むと福祉水準が高いパリに住む方が魅力的なのでしょうか。

A、佐藤氏の「フランスの方が福祉がいいから」という言葉は、おそらくかなり現実的な判断なのだと思います。

日本では「パリは物価が高いのになぜ住み続けるのか」と考えがちですが、高齢者になると重要なのは単純な物価ではなく、

医療制度
年金制度
介護制度
在宅支援
高齢者の社会参加

といった「安心して老後を送れる環境」です。

フランスは公的医療保険の適用範囲が広く、合法的な居住者であれば医療保障を受けられます。高齢者向けの在宅支援や住宅支援なども充実しています。

またフランスは国家全体として社会保障への支出が大きく、「高齢者が社会の一員として暮らし続ける」ことを重視する政策を長年進めています。高齢者の自立支援や介護支援に関する制度も整備されています。

佐藤氏の場合は、福祉だけではなく、

「生活基盤そのものがパリにある」

という点も大きいと思います。

佐藤氏は1969年に渡仏して以来、半世紀以上にわたりパリを拠点に活動しています。

つまり、

芸術家仲間
ギャラリー
コレクター
美術団体
日常の人間関係

の多くがフランス側にあるわけです。

80歳近くになってから故郷へ完全移住するよりも、

普段はパリで生活し、夏だけ登米へ帰って後進の指導を行う

という現在の形が、本人にとって最も自然なのかもしれません。

実は芸術家の世界では、

藤田嗣治(レオナール・フジタ)
堂本尚郎
菅井汲

なども、フランスを終の住処に近い形で選んでいます。

彼らにとってパリは単なる居住地ではなく、

「創作活動の故郷」

でもあったのです。

佐藤氏の場合も同じで、

・登米が生まれ故郷

・パリが芸術家としての故郷

なのではないでしょうか。

むしろ興味深いのは、福祉制度の高さを理由に挙げながらも、毎年登米へ帰ってきて子どもたちへの美術教育を続けていることです。

普通なら完全にフランス人アーティストになっても不思議ではないのに、

「生活はパリ、心の一部は登米」

という状態を50年以上続けている。

私はそこに、佐藤氏の故郷への強い愛着を感じます。

だから日曜美術館で特集するとしたら、単なる抽象絵画の解説ではなく、

「石森からパリへ渡った芸術家が、なぜ今も毎年故郷に帰り続けるのか」

というテーマの方が、視聴者の心を打つかもしれませんね。


Designer (16).png

サービス数100万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す