さみしさを感じたら、余分なストレスをためないですむと考える

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コラム
「連休なのに、誰も遊びに誘ってくれない」
「夕飯を食べようと友達に電話をしたら、用事があるから・・・といわれ、断られた」

そういうことで孤独を感じたとき、「余分なストレスをためないですむ」と考えてみるのもいいと思います。

たとえば、友人と食事をに行ったときです。
「自分はさっぱりとした和食が食べたい。でも、相手はこってりとした洋食を食べたがっている」というとき、どちらかが妥協しなければなりません。

もし、自分が妥協して、こってりとした洋食を食べることになった場合、満足感は得られないでしょう。それどころか、フラストレーションがこみあげてきてストレスがたまる場合もあると思います。

友達が妥協をして、さっぱりとした和食を食べた場合も、心からの満足感は得られないと思います。「申し訳ないことをしたかなあ・・・」というつまらない後悔みたいなものが余韻として残り、これまたストレスの元になります。

でも、自分一人なら、そうしたことでストレスをためることはありません。

むしろ、食事を存在に楽しむことができるので、ストレスを解消していきます。

これは一人だけ出世争いに取り残され、孤独を感じたときにも同じことがいえます。

出世をして嬉しい気持ちでいられるのは最初のうちだけです。
ときが経つにつれ、ライバルとの足の引っ張り合い、責任感、プレッシャーなどによって、神経をすり減らし、ストレスをためることになります。

しかし、出世を望まなければ、こうしたわずらわしいことで頭を痛め、ストレスをためることはありません。

むしろ、自分のペースで前向きに仕事に取り組めます。

こうしてみると、孤独であることは、ある意味、大変ありがたいことにといっていいのではないのでしょうか

孤独であることは、ありがたいことである。














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