くつろぎなから、たべる その3

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こんばんわ!  yomogiです。

このタイトルに、
『くつろぎながら、たべる』

って、書いてるのが結構いろんな意味で受け取れるなあと思ってて。

たぶん、ここにたどり着いた人って、一生懸命に何かのために頑張ってきた人がほとんどじゃないかな?と感じてます。

そして、今もきっと、なんでもよいから読んでるという人はいないんじゃないかな?ということ。
そもそも、そんな内容じゃないから、さ。(笑)
まず、自分が何を一生懸命にはまっているのかに気づく。
そして、それは、もとをたどれば、
そもそも、なんのためだったのか・・・。

実は、書いてることは食だけど、これって、食に限ったテーマではありません!!
違うテーマでも同じ。

視点のひとつとして、読んでいただけたらと思います。

一生懸命なことがら。
それが、自分の〇〇のためだったのか?
もしくは、他の人の〇〇のためだったのか?
(このあたりは、人によって様々に変わります。

例えば、〇〇を言い換えると、
・人物(親、パートナー、子供、あなたにとって大切な人、
  クライアント、等等)
 ・病気や症状、改善、治癒を目指す
 ・ダイエットや妊活、
 ・いろんな食事療法(過去私がやってきたような…)
 ・ヒーリング系
 ・信念、信条、いつも考えていること
 ・宗教など
いろんなところで、こうなったらいいなーとか、こうできたらいいなーとか、あると思うんですよね。

こんだけ、ネットが発展しててうちでのんびりしながらでも、情報が手に入るんですから、昔に比べて、より自分の好きなことにフォーカスしやすい時代だなと思うんです。
過去私がたくさん、色んなことやってきたので。食事だけでなく。
ほんとに、いろんなことやってきました。

で、
本人が一生懸命だと気づきにくい状態もできあがってしまうこともあって、周りの人は言うに言えない状態の人もいるし、アドバイスしてくれる人もいる、
でも、はまってるがゆえに、違う視点に気づきにくくなって、視点が中心視野になってるよって、ことなんです。

それは、他にもあるよ!って、話です。

周辺視野として、違う多様性があるということ。
アリの目と、鷹の目を持つことの大切さ)

私たちは、ほんとに、すばらしいな~と思う地球にきてて。
多様性の中で生きてるからこそ、自分がこれがいいかもって、気づけるのです。だから、自分と真逆の人なんて、ありがたい存在なんです。

もし単一のものばかり、単一のグループに囲まれてる場合は、なかなか気づきにくかったり、意見を出しにくい状態に陥ったり、遠慮や、言葉にならない犠牲を自分がやってることもあるんです。

それでいて、似たようなグループにいたら、
人ってほっとするんですよ。
否定されないから。
共感してくれるから。

でも、内側になにか1パーセントの疑問があって、そういう状態だと言葉にしにくい。
もしくは、その言葉を飲み込んでしまって、わからないふりをする。

むしろ、気づかない方が楽なんですよ。
違った視点をもつこと事態、ある意味、今やってることの真逆を知るってことなんです。

家族で、『食』っていろんな考え方があるとは思うのはたぶん、これを読んでくれてるみなさんは、体験してきてると思います。

意見が違ったり、心配したり、心配してもらったり、。
毎食毎食、ゆったりできるような食の行為が、
思考では
あの人のあれはどうだ!!これは、よくない、これはいいに、支配され始めると、もう、
考えてることと、からだは、つながっちゃうんですよね。

自分の意識とかとは別に。

すると、毎食、『食のこと』で気持ち良い状態なんていられないんです。
おおざっぱにみる
ま、いっか~
これぐらい、大丈夫大丈夫。
むしろ、会話を楽しみながら食事する。
たぶん、苦手なことではないでしょうか。

0か100かの、ゼロヒャク思考に陥ってませんか?
この思考。

実は、
『食』だけだと思ってるかもしれないのですが、見回してみると、
暮らしていく中で他の場面でもその思考になってませんか?

食だけでなく、他にも自分自身のジャッジをしている自分に気づきだす。
気づくだけでいいんです。
まずは、そこに気づく。

気づいたら、じゃ、私は、どれを選ぶんだろう。

その選択肢の連続です。

心地よい選択をできるような思考って、とても柔軟だななんて今は思えるようになったけど、ゼロヒャク思考だと、常にジャッジしてるので思考が疲れて、選ぶというよりは、その前に疲れてるんです。
選べない。(←ずっと私そうでした。過去。
だから、自分で調べたつもりでも、反対の意見みてなかったです。)


それほど、自分のいつも考えていること、考えていないよって思っていても、信念にあるもの、習慣になってる思考って、とても大きなパワーをもっていて引き寄せの力が働いてしまいます。

気づくこと。
選択肢を自分で選んでいくこと。
多くの選択肢があること。

いつも聞いてる人は聞き流してもらいたいのですが、ここで一応書いときますね。

例えば、ここがビュフェ会場だとします。
大きなお皿を渡されて、何を選んでもいいんです。
その時に、何を選びますか?

自分が好きな食べ物を選んでもいいし、からだによいものだけを選んでもいいし、あまり食べてなかったカップラーメンでもいいんです。
前の食事は脂っぽくてまだそんな食べれないから、果物だけでもいいし、飲むだけでもいい。

これを感情のビュフェ会場だとしましょう。
喜び、嬉しさ、楽しさ、がまん、いかり、かなしみ、などなど
自分で選べるのだとしたら、何を選んでいきますか?

何を自分がやりたいのかが見えてきます。

長年そうだと、もちろん、明日からすぐ切り替え!!なんて無理です。

これも、栄養と心は、いつも直接会った方にお話してるけど、チリツモですよって。

いわゆるトレーニング。

なんか言葉がみつかりませんが、習慣を変えるってとても小さいことからの気づきしかないし、ちいさなことの連続なんですよ。

私がどんなに言葉たくみな文章を書いたとしても、その人の体感なくしては、ただの文字の羅列です。
やってみないとわからない。
毎日がトライアンドエラーなんですよ。

今こそこうやって、文章にできてても、日々、私もエラー起こしてるし、すると、違ったやり方覚えるし、(笑)かしこくなる。
日々、あちゃーと思うようなやらかしをする日もある。
そんな場面を家族は知ってるけど、たぶん、一部分しか見てない人にとっては、ものすごくバランス取れた私しか見れてない。

SNSやネットの社会になって、マスクもあったりして、感情を素直に書いてるのかどうかって、どうにも判断できないし、良いところしか載せてなかったりするかもしれない。

なので、どういった視点をもつのかを自分の中で決めるって大きいと思います。

まあ、色んな業界は、ビックビジネスですからね。

あえて、医療業界も若い時にたくさん経験積ませていただいたので、自分なりの視点があります。

みなさんも、それぞれの人生の経験、そのものが、視点だということ、宝だということに気づいてくださいね。

あくまで、私は自分の経験のシェアをやってるだけです。
なので、ずっと、こころの成長期をたのしんでると思ってます。
前はできなかったからね。マイルドなネガティブをやり続けていたからこそ、今の自分に繋がっています。
ネガティブからの学びもとても大きかったです。
切り取りもなく、つぎはぎもなく、
すべて経験の積み重ね。
だからこそ、私はバランスくずすこともあるし、それでいて、攻撃的に子供にいうこともある。
そして、たまに今でもそれが顔だししてくる(笑)
なつかし~けど、やったあとに子供に言われてきづく。
【うちは、事前に子供たちに自分が穏やかな時に、ママは時々、これ食べなさいとか、からだにいいとか、悪いとか、添加物が…。とか、決めちゃうところがあったけど、自分でも食べないことを選べるという選択肢があることを選べるということ
を事前にある時から伝えてるので、時々、かなり言われますよ。
また、言ってきてる・・・。(笑)】

くつろぎながら、たべる。
どうですか?

もし、今、お茶のみながら、
甘いものでも食べながら、
もしくは、次の食事の時に、
ためしてみませんか?

1パーセントの疑問ももたずに、
くつろぐを、
その場で体感しながら、たべてみる。

何かの参考になれば・・・。
                                                                             yomogi




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