こんにちは。千代です。
丁寧に進めたつもりなのに、最後になって間違いに気づくことがあります。小さな失敗でも、楽しみにしていたことなら、がっかりする気持ちは小さくありません。龍を思い、心を落ち着けていたはずなのに、と戸惑う日もあるかもしれません。
けれど、龍を大切にすることと、何も間違えずにできることは、同じではないと思います。今日は、うまくいかなかった出来事に大きな意味を与える前に、手元の作業へ戻ることについて書いてみます。
失敗した場所を小さく見る
たとえば、布で小さな袋を作っていて、縫い終わったあとに片側だけ曲がっていると気づいたとします。これは暮らしの中のやり直しを考えるための例です。楽しみに選んだ布ほど、「全部だめになった」と感じてしまうかもしれません。
でも、袋全体を見る目と、曲がった縫い目を見る目は少し違います。布の色は気に入っている。反対側は縫えている。直したいのは、この部分の数センチ。そうやって確かめると、失敗の範囲を、実際より広げずに済むことがあります。
「私は何をしてもうまくいかない」という言葉には、今ここで起きていないことまで入っています。今日わかったのは、ひとつの縫い目が曲がったということ。その事実にいったん戻ってもよいのだと思います。
落ち込まないように自分を説得する必要はありません。残念な気持ちは残念なまま、どこがどうなっているのかを見る。それなら、すぐに前向きになれない日にもできるかもしれません。
龍の意図で理由を埋めない
うまくいかなかった理由を知りたくなると、「龍が止めているのだろうか」「何かの試練なのだろうか」と考えたくなることがあります。意味が見つかれば、この残念さにも居場所ができる気がするからでしょうか。
ただ、曲がった縫い目から、龍の意図までわかるわけではありません。布がずれていなかったか、印は見やすかったか、途中で急いでいなかったか。まず確かめられることが、手元にあります。
龍観術で、観えたことと観えていないことを分ける姿勢は、失敗に向き合うときにも大切にしたいものです。理由がわからない部分を、龍の言葉で埋めない。あとで役に立った経験になったとしても、最初からそのために起きたと決めなくてよいと思います。
失敗をすべて「必要な出来事」に言い換えると、悔しかった気持ちまで置き去りになることがあります。「こうしたかったのに、今回はできなかった」。その短い言葉のまま受け止める時間もあってよいのです。
次はひとつだけ変えてみる
やり直すなら、何もかも変えるより、次に試すことをひとつ選んでみます。袋の例なら、ずれないように布を留めてから縫う。ほどくのも、必要なところだけにする。今あるものを全部捨てて始め直す前に、残せる部分を確かめます。
一度にいくつも方法を変えると、何が役に立ったのかわかりにくくなることがあります。少し縫って途中で見る。それでまだ曲がるなら、道具の使い方を確認したり、詳しい人に教わったりする。静かに取り組むことと、具体的な工夫をすることは、どちらも選べます。
龍を思って気持ちが落ち着いたとしても、それだけで次の仕上がりが決まるわけではありません。落ち着いた分だけ、印をもう一度見られた。そんなふうに、自分が実際にしたことを見ておきたいと思います。
また間違えたら、その箇所を確かめるところへ戻る。やり直しは、一度で成功するという約束ではなく、次の一手を選び直すことなのかもしれません。
直した跡を隠さなくてもよい
縫い直したところに、少し跡が残るかもしれません。自分で使う袋なら、その跡を含めて使えるか、考えてみてもよいでしょう。見た目をもう少し整えたいなら、時間をかけることもできます。
誰かに渡す約束があるものなら、自分が納得しただけで終わらず、仕上がりや予定の変更を相手に伝えることも必要です。龍を思う時間が、そうした連絡の代わりになるわけではありません。
失敗した自分を責め続けないことと、直すべきところに手を入れること。その両方を、同じ日に選べたらと思います。
龍がどう観えるかの答えがない日にも、目の前には、ほどける糸や確かめられる縫い目があります。今日はそこをひとつ直してみる。完成までたどり着かなくても、手元で何を変えたかは、静かに見ておけるのではないでしょうか。