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神を掲げてツインレイを語れば己の行為は正当化される=責任は神様が負ってくれる。2025/10/22
https://coconala.com/blogs/2997019/652965
例えるのなら。
後でパパやママが責任を負ってくれることしかやりたくない子供のような。
まるで。
動物園で用意された餌を離れたところから、檻の中の動物に用意された棒を使って与えていることの“そのすべて”が「私は他者に与えることができる人間である」とでも言うような。
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神や何かを後ろ盾に、己の正当性(私は間違ってない)を主張しないといけないような。「誰かや何かに言われたから」と「あとで“その責任を”押し付ける先がないと行動できない」ような。
2025/02/02
https://coconala.com/blogs/2997019/525257
「親離れ」が済んでいないんでしょうね。
「何かの家系や血筋に産まれた(主に霊能系)と自己紹介する人」と「そうではない人」って、
2026/05/28
https://coconala.com/blogs/2997019/752549
どっちが“現実を理解して”いるんだろうね?
まぁ。
そこで「比べて」述べられるものじゃないよね。
まして個人の偏見じゃさ。
「相手の視点」ってものがあるじゃん。
「俯瞰」と言う言葉もあるじゃん。
「人の背中は見ゆれど我が背中は見えぬ」と言う諺もあるんだね。
だからさ。
そうやって広く何かを述べる時に、自らの経験(片側)だけ、じゃ。
一概には言えないよね。
***
だけど。
どうしてか他者に対して「これはこう(これこそがツインレイの真実!)」とか語りたがる人も一定数いるんだよね。
ねぇ。
それってさ。
本当に「現実」を
“理解している人の行動”と言えるのかな?