殊更に「大きな試練を乗り越えた=(だから)私はツインレイなんです!」みたいな表現が好きじゃない私がいます。全貌の分かりようもない他者の人生と、憶測でどうして比べられようか。

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コラム
まぁ。
「己が上」と主張がしたいのなら、そう言う話は有効だと思います。


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全貌(ぜんぼう) とは?
全体の姿。物事の全体のありさま。「事件の—を暴く」
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小学校のクラス替えで、大好きな友達と離れてしまった。

大人の私からしたら。
それが目的だろう。とそう思います。

でも、本人がそれでこの世の終わりだと言わんばかりに泣きわめいているその気持ちを。
「軽い・重い」では語れません。

まぁ。
それで学校の先生に、保護者としてクレームを入れる(なぜそのクラス替えにしたのか、やり直せと迫る)のは違うと思います。


新しいクラスでどう楽しむのか。
新しい友達を作れる可能性や、それで前の友達と縁が切れる訳じゃない(それでも疎遠になる可能性はありますが)のだ。と。
そう言う話や。

そもそも。
そこまでその友達に依存があることを心配します。

学校の先生も、それが心配で引き離したのかもしれません。


例としては、ちょっと妙な話になりました。


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この世で生きる本人の人生。
それぞれに大変なことがあって普通だと思います。

あなたがどう感じたのかそれそのものは。
あなたのものです。


ただ。

「私がこの世で一番辛いんです!」みたいな主張になってくると。

「なんか違うな」って思います。


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私には、私の人生があります。

もはやそれしか生きられない。




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