先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう
P65
『これがすべての魂にとっての真実だ。宇宙には創造者がいるだけで被害者はいない。この地球上に現れた<マスター>(大いなる師)はすべて、そのことを知っていた。だから、どの<マスター>を見ても、自らを被害者とは考えていない。多くの<マスター>が迫害されているが。
それぞれの魂は<マスター>である。ただ、本来の自分や受け継いだ遺産を思い出せないものもいる。それでも、それぞれが自分の高い目的のために、そしてできるだけ早く真実の自分を思い出すために、状況と環境を創造しつづける。「いま」と呼ばれる一瞬一瞬に。』
マスターはみんなに起きた同じ出来事でも
「なぜこの出来事を自分は自分達は起こしたのか?そこから何を思い出すのか?」と、創造要因を「内」に向けるのです。(しかもその「内」を自分だけでなく、自分達としている)
一方でマスターでない人は
「なんで自分の身にこんなことが起こるのか?」
と原因を「外」に向け、みんな被害者になるのです。(なった気がする)
ただ、マスターでない人もただ思い出せないだけだというのが真実なのです。
本当の自分という遺産を。
それでもどの魂も本当の自分を思い出すために、自らを進化させようとしているのです。
赤ちゃんが自分の成長を止めることが出来ないように、種から目が出た植物が成長と止めることができないように、進化することが生命の真理なのです。
『あなたがたは他者が歩む因果(カルマ)の道を、善いとか悪いとか判断してはならない。
成功をうらやまず、失敗を憐れむな。魂の決算の時がきたら、何が成功で何が失敗になるかわからない。ものごとを災難とか、喜ばしい出来事とか言うのは、それをどう活用するかを決めてから、あるいは見届けてからにしなさい。ひとつの死が数千の生命を救うなら、それは災いだろうか。悲しいことばかり続いたら、良い人生だろうか。しかも、それすらも決めつけるべきではなく、ただ自分の胸の内で考えるだけにして、ひとのことは当人にまかせておきなさい。』
魂の成長という観点からすべてを見なさいということです。
自分にとって大変だったことは、魂の成長という観点から見てどうだったのか?
自分にとって悲しかったこと、不幸だったことは、失敗したことは、本当にそうだったのか?魂の成長と観点からはどうだったのか?
物質的な世界の成功失敗は物質的なある側面の現象に過ぎず、魂の成長という観点から見た場合、(物理的な失敗からたくさんのことを思い出したとしたなら、それは失敗なのでしょうか)全く違う結果となるのです。
『だからといって、助けを求める声や、環境や条件を変える努力をしようという自らの魂の呼びかけを無視しなさいというのではない。ただ、何をするにしても、レッテルを貼ったり、決めつけたりするのは避けなさい。それぞれの環境が贈り物であり、それぞれの経験がかくされた宝なのだから。』
直感的に(魂がそう感じるなら)、感じたままに行動をしなさいと言うことです。
直感は真実を感じているのです。