人の顔色を読む癖が、大人になっても抜けなかった

人の顔色を読む癖が、大人になっても抜けなかった

記事
コラム

子どもの頃から、

人の機嫌を読むのが
すごく得意でした。

というより、

読まないといけなかったんだと思います。


玄関を開けた瞬間、

もう分かるんです。

「ただいま」

そう言っても、

「おかえり」

が返ってこない。

それだけで、

「あ、今日はダメな日だ」

って分かる。


こういう日は、

話しかけちゃいけない。

「お腹すいた」

なんて、
絶対に言えない。

兄弟のご飯は用意されているのに、

わたしの分だけない。

そんなことも、
珍しくありませんでした。


今日は機嫌がいいかな。

今は話しかけても大丈夫かな。

これを言ったら怒られるかな。

子どもなのに、

自分が何をしたいかより、

相手が今どんな気分なのかを
先に考えていました。


本当は、

特別なことが欲しかったわけじゃありません。

「おかえり」

って普通に言ってもらえること。

お腹が空いたと言えること。

何か失敗しても、

ここから追い出されないと思えること。


ただ、

「ここは安全だ」

って思える安心感が
欲しかったんだと思います。


大人になれば、

こんなことは終わると思っていました。


でも、

意外と終わりませんでした。


特に職場の人間関係には、

ずっと敏感でした。

仕事はしなきゃいけない。

お金も稼がなきゃいけない。

でも、

仕事そのものより、

同僚との関係に
神経を使っていた時期もあります。


人間関係が怖くて、

転職を何度もしました。


「次の職場なら大丈夫かも」

そう思って環境を変えても、

結局また、

人の顔色を気にしていました。


昨日まで普通だった人が、

今日は少しそっけない。

それだけで、

もうダメなんです。


「何かした?」

「あの時の発言かな」

「いや、こっちかな」

「あれが気に障った?」


仕事中も考える。

家に帰ってからも考える。


相手の表情。

声のトーン。

言葉。

自分の発言。


頭の中で、

ずっと原因探しをしていました。


本当は、

相手がただ疲れていただけかもしれない。

何も気にしていなかったかもしれない。


でも当時のわたしには、

「きっと大丈夫」

と思う方が難しかったんです。


少しでも相手の態度が変わると、

何か悪いことが起きる前触れみたいに
感じてしまう。


今思うと、

子どもの頃からずっと、

人の機嫌を読むことと、

自分が安心して過ごせるかどうかが

セットになっていたのかもしれません。


だから、

大人になったからって、

急に

「人の目なんて気にしなくていい」

とはならなかったんですよね。


「気にしすぎだよ」

「考えすぎじゃない?」

そう言われても、

自分でも分かっているんです。


こんなに考えなくていい。

全員に好かれるなんて無理。

頭では分かっている。


でも、

簡単には切り替えられませんでした。


今でも、

人の態度が気になることはあります。


ただ、

昔より少しだけ、

全員と仲良くならなくてもいい。

表面だけ穏やかに付き合う関係があってもいい。

そんなふうに思えるようになりました。


相手がわたしのことを
どう思っているのか。

陰で何か言われているのか。

そこまで全部、

確かめなくてもいいのかなって。


自分から嫌がらせをしたわけでもない。

何か大きな迷惑をかけたわけでもない。


ただ、

何となく合わない。

何となく苦手。

そう思われることだって、

人間同士ならあると思います。


それでも、

仕事に差し支えないくらい

普通に接してもらえるなら、

それで十分なのかもしれません。


逆に、

気に入らないからといって、

露骨に態度に出したり、

相手を不安にさせるような接し方をする方に

問題があるんじゃないか。


今は、

そんなふうにも思えるようになりました。


もちろん、

今でも簡単に割り切れるわけではありません。


相手の声のトーンが違えば、

気になることもあります。

「何かしたかな」

って考えることもあります。


でも、

腹の内まで全部探らなくていい。

全員に好かれなくても、

仕事はできる。


そうやって、

少しずつ気持ちを作りながら、

今も生きています。

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