小学生に上がる頃、私は地方都市から埼玉県の片田舎に引っ越した。
母親曰く、当時の私は「憂鬱」か「最悪」としか口にせず、あるいは「田舎なんて大嫌い」と大自然の暮らしに唾を吐いていたらしい。
山と森、坂道と家ばかりの不便な土地だった。お菓子ひとつ買うにも、自転車を三十分も漕がなければいけない。さらに夜は車も通らず、街灯もまばらだった。影や闇の距離が近く、どこにでも、なにかがいそうな不気味さを感じていた。
また多感な年頃だったせいか、静謐を自覚すると、自分の息遣いすら不自然に聞こえてくる。近くの池でぽちゃんとなにかが沈む音や、がさがさと葉の囁きが聞こえるたび、別の部屋で寝ている親が扉を開けるだけでも、私は布団の中で耳を塞いでいた。
幽霊や妖怪に怯えていたわけではないと思う。
ただ寂寥とした雰囲気に呑まれた私は「もう、この土地から永遠に出られないのではないか」という恐怖に何度も襲われていた。あの漠然とした不快感は、成人した現在でも言語化が難しい。
そんな私にとって唯一の楽しみは、夏休みだった。毎年、宿題は最初の一日か二日で終わらせ、旅に出る──行き先は、東京に住む祖父母の家だ。
両親によると、初めて一人で電車に乗ったのは小学二年生の頃だったらしい。
初孫だったせいか、祖父母には可愛がられた。行けば至れり尽くせり。母親は「お姉ちゃんだから」と我慢を強いる。しかし祖父母は「お姉ちゃんだから」とお小遣いを多目にくれるばかりか、食事もお寿司やケンタッキー、なんでも好きな物を買ってくれた。
まさにお姫さま気分、夢の国だった。
外に出れば徒歩圏内にさまざまな店があり、規模も大きい。また当然のように、数日で品揃えが変わる。ただ従業員からすれば、買いもしないくせに毎日デパートや中古ゲームの取扱店に入り浸る子どもは、さぞ迷惑だったにちがいない。
また夜の静けさに、バイクの駆動音が混じるだけでも安心感を覚えた。朝は賑やかで、車の往来も多い。昼間から夕方にかけては、窓から外を覗くと必ず誰かの姿が見えた。
どこかでビバという感動詞を覚えた私は、よく「ビバ東京」と言っていたらしい。
私は毎年、夏休みの大半を祖父母の家で過ごした。
大工だった祖父は働きに出ており、日中は祖母と二人きり。いっしょに遊ぶ友だちはいなかったが、周囲を探検したり、図書館に出かけたり、楽しく日々を謳歌していた。
あの思い出を私は一生、忘れないだろう。
祖父母は、古い二階建ての長屋に住んでいた。横一列に十数軒の部屋が連なっており、役所の区分では低層の都営住宅と呼ぶらしい。現代でいうメゾネットタイプのアパートだ。
トイレは和式で、汲み取りタイプのぼっとん便所。当然ながら一階にしかない。
台所の排水は、玄関前の側溝に流れていく。蓋はなく、汚水が流れていく様子も眺められる仕組みだったが、不思議と異臭で鼻をつまんだ覚えはない。
家の間取りは縦に長く、廊下は二人がかち合うと通れないほど狭かった。しかし敷地の総面積が小さかったかといえば、そうでもない。
まず一階には台所、便所、茶の間がある。茶の間の裏手には、離れと庭があった。
庭は家一軒分くらいの広さがあり、祖父の園芸趣味が余計なスペースを取っていなければ、バトミントンくらいはできたと思う。
離れはトタンで建てられていた。本宅から渡り廊下を進むと、それぞれ独立した洗面所と風呂場に行き着く。通路には壁や屋根もあり、剥き出しの土に床板が置かれていたことを除けば、外観上は一つの建物と変わらない。法律上の定義はともかく、これを祖父は「別荘の風呂」と呼んでおり、意味がわからなかった私に、呆れた祖母が「離れみたいなもんだ」と教えてくれた。
さらに二階は部屋が二つ。どちらも壁際に箪笥やテレビを置いたうえで、布団を五組まで敷ける広さがあった。当時、寒さに震えたり、暑さに悶えたりした覚えはない。冬は石油ストーブとこたつ、夏は扇風機だけで十分に快適だったような気がする。なにぶん三十年近く前の記憶だ。多少なり美化されている可能性も捨てきれない。
また歩いて三分の場所には個人商店があった。ヤマザキという看板を掲げていたが、山崎製パン株式会社との関わりは定かでない。お小遣いをもらうたびに、その店でポケモンのトレーディングカードや玩具のガチャを回し、結果に一喜一憂していた。
とにかく祖父母の元で過ごした時間には、良い思い出しかない──というわけでもなく、ふたつだけ怖かった場所がある。
ひとつは家の階段だ。
祖父母の家は、とにかく通路が狭い。玄関を上がると、一人しか立てないスペースの短い廊下が横にのびている。正面は壁で、どちらかに曲がるしかない。
左手は台所を兼任した廊下につながっており、左側がシンク、右側が茶の間。
右手は向かって右側がトイレ、左側が階段。
私は、この二階につながる階段に怯えていた。
まず照明や窓がなく、昼でも薄暗い。踏むたびに、ぎしっと板が悲鳴をあげる。さらに傾斜が急で、手すりもなかった。
そして登ろうとするときだけ、決まって二階に誰かの気配がする。
ミソは『登ろうとするとき』という部分だ。
祖父母の家は、最初の数段を上がった先に廻踏板が設けられており、直角に曲がる。つまりひとつ目の踏み板に足をかけた瞬間は、まだ上の階が見えていない。それでも、誰かいる、と感じる。物音がするわけでもなく、視線を感じるわけでもない。
ただ「ああ、いるな」という気がする。
最初は、祖母だと思っていた。
狭い階段で鉢合わせると、どちらかが戻らなくてはいけない。だから私は、いつも「おばあちゃん?」と声をかけていた。すると台所や茶の間から「なあに?」と声が返ってくる。
そんなことが何度か続くうちに、私も「おかしい」と思いはじめた。一度でも違和感を覚えると、もう簡単には頭から離れてくれない。
やがて「二階には、知らない誰かがいるんだ」と不安を覚えるようになり、なぜだか「それは女の子だ」という気がした。この話は両親にも、祖父母にも明かしていない。なんとなく、お化けを怖がっている、と思われるのが嫌だった。
しかし恐怖の根源には、心当たりもある。
階段を登り切った先の踊り場に、大きな桐箪笥が置かれていた。二階の通路は玄関前と同様、横にのびている。非常に狭く、子どもが両手を伸ばせる程度の広さしかない。左右のどちらを向いても、すぐに部屋へ行き当たる。
そのわずかな空間に、どかんと居座る棚の上には木彫りの熊や七福神に混じり、透明なケースに収められた日本人形があった──薄暗い階段の先に、無機質な少女の相貌が待ち構えていたら、子どもは無意識に怖がるのではないだろうか?
無理やりこじつけるとしたら「あの日本人形が心理的なトラウマを植えつけ、錯覚を引き起こしたのではないか」とも思える。あくまで「こじつけるとしたら」だ。そうというのも、けっきょく私は「あの家に、人間ではないなにかがいた」という説を捨てきれていない。
祖父母の家に、親戚が集まった日のことだ。葬式か墓参りのあとだったと思う。おとなたちは茶の間で騒いでおり、妹は母と共に買い物へ出かけていた。
そのとき家に残っていた子どもは二人。
私と、親戚の女の子──里香ちゃんの二人で、階段の一段目に腰かけていた。ただ居場所がなかったのか、お酒臭い空気が嫌だったのか、茶の間を離れた理由は、よく覚えていない。
狭い階段で肌をぴったりと合わせた私たちは、ぼーっとトイレの扉を眺めていた。なにか会話をしたかもしれないが、これも記憶が定かでない。
このときも、背中を向けている上の階に「なにかがいる」とは感じていた。
ただ里香ちゃんがいる手前、妙なことも言い出せない。あとで妹にでも知られたら、きっとバカにされる。そんな心配をしていた。
どれくらい、そうしていただろうか?
ふいに隣の里香ちゃんが、そわそわしはじめた。
トイレにでも行きたいのかと思ったが、違うらしい。
さらに里香ちゃんが、ちらちらと背後を振り返る。
そのとき私は、言わないで、と心のなかで唱えていた。
それがいるとわかっていることを、それに知られてはいけない。
けれど里香ちゃんは、私の袖を引いた。
「ねえ、上に誰かいる?」
その瞬間、ぞわっと腕に鳥肌が立った。
同時に、やはり「口に出しちゃいけないのに」という気になる。
理由は、すぐにわかった。
ぎしっ──。
軋んだ音が鳴る。
上の階で、誰かが踏み板に足を下ろした。
私は口を両手で覆うと、隣の里香ちゃんに目配せした。意図を察してくれたのか、彼女も同じように息を潜める。
それでも──ぎしっ。
二度目の音が聞こえる。
私は鼻から息を吸い込んで、呼吸を止めた。
お茶の間から響くおとなたちの喧騒が、急に聞こえなくなる。
ぎしっ。
三歩目。
ぎしっ、ぎしっぎしっ──。
四歩、五歩六歩。
階段は、全部で何段あるのだろう?
私と里香ちゃんは目に涙を浮かべながら、顔を見合わせた。
もう、このまま逃げることはできない。
いつの間にか私の頭は「正体をたしかめなければ」という考えに支配されていた。
正気ではなかったと思う。
もしかしたら、親戚のおじさんが知らぬ間に二階へ上がっていたのかもしれない。
ぎしっ!
七歩目、だったと思う。
かすかな希望を、否定するような音だった。まるで怒っているように聞こえる。
窮屈な階段で身をよじらせた私たちは、四つん這いで踏み板を登りはじめた。どちらも逃げられず、指先を震わせながらも、とり憑かれたように上を目指す。頬を涙で濡らし、嗚咽を噛み締め、そして廻踏板に手をかけた。
ぎし……。
直角に曲がった、すぐ先の踏み板に、誰かが立っている──そう感じる。
汚れた溜め池の、鼻にこびりつくような匂いがした。
おそるおそる、覗き込む。
すると予想外に、誰もいなかった。
いや、違う。
気配は、上。
二階の踊り場に近い、階段の終わり付近。
薄暗闇に、女の子が佇んでいる。
髪型や、服装はわからない。
濃い陰に輪郭だけが浮かんでいた。
ただ、なぜか表情は見て取れる。
やるせない気持ちを訴えるかのように、じっと私たちを見据えていた。睨んでいるのか、なにかを欲しているのか、恨んでいるのか、そこまでの想いは読み取れない。
あとになって記憶を掘り起こすたび、少女の表情は変わっているようにも思える。
どれだけ見つめあっていたかは、よくわからない。
少女は、ある瞬間を境に、すっと消えた。
この話は、やはり誰にも話していない。
きっと里香ちゃんも、同じだろう。
高校生のとき、親戚の葬式で彼女と再会した。
その際、ふと私が「あのとき──」と口にした瞬間、里香ちゃんは強張った表情で顔を背けた。つまり、そういうことなんだろうと思う。
その後も折に触れて顔を合わせたが、あの日の出来事には、もう触れていない。
これが、ひとつ目。
ふたつは目、離れの話だ。 END
【あとがき】
最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございます。上記のような文章を執筆しておりますので、なにかお手伝いできることがあればお声がけください。どうぞよろしくお願いいたします。