【達観まで到達していない愛と...達観まで到達した愛】
そう女神が告げています🔔
達観という言葉の意味、それは...
どのようなことが起こっても、物事に動じない心境になること。
達観まで到達していない愛と
達観まで到達した愛...
それは、達観まで到達した愛の方が圧倒的にラクである。
時には、達観していない愛の方が
簡単であるしラクなように思えるのかもしれない
それは自分と一生懸命に向き合わなくても済むし
成長しなくてもやっていけるから。
つまり達観していない愛とは
●執着
●怒り
●未練
●悲しみ
このようなものがまだ残っている状態
この状況の時期には、心はとても忙しい。
もう少し紐解いてみると...
うまくいかなかった原因を、お相手のせいにもできる
「どうしてこうしてくれなかったんだろう」
「あの態度許せない」
「恋人なのに会ってくれない、連絡をしてくれない」
「私はこんなに好きなのに」
自分の思いを正当化することができるし
傷ついたことを、自分は被害者として受け止めることができる
自分の心の居場所をそこに落ち着かせることができる
けれど...本当はしんどいはずで。
それに比べて、達観した愛を紐解いてみると...
全てを丸ごと受け入れるということ
●一生懸命に愛したこと、好きだった気持ち
●こんなに頑張った、一途であった自分
●何年も一緒に過ごした時間、片想いであった時間
●ある意味報われなかったこと
●傷ついたこと、トラウマ、言われて嫌だったこと
●お相手の未熟さ、認めたくないこと
これらを丸ごと
「もういいよ」そう静かにそっと手放せるという形の愛。
ここまでくることができたなら
心に本当の意味で平穏が訪れる
矛盾を感じるのかもしれない
大好きなあの人を、手に入れられていないのに...
もう自分のことを責める必要もなくなるし
愛した過去を否定することも
過ごした時間は意味がなかったと思うこともなく
心がただ静かであり、穏やかであり
あまりにも自由になれるから。
「なぜ?どうして?」そのようなものに心が振り回されなくなる
本当の意味での、魂の自由。
大切なことは...
「達観した愛にしよう」
そうやって、無理やりにでも達観しようとすることではない
いくら、達観が大切だと思ったとしても
その心に悲しみや執着や怒りが残っていたのでは
それは、ただのフリになってしまうから。
だから、まずは色々な渦巻く感情を認めてちゃんと感じること
自分の中に落とし込むというそのプロセスは必要不可欠。
そこから少しずつでも、見送ることのできる自分になっていくこと
それはいきなりなれるというよりも
「なんだか最近ラクになった」
「自分らしくいられる」
「なんだかとても優しい気持ちだな」
そのように感じた頃に、きっと気づく。
「ああ...達観した愛の方が、ずっとずっとラクだったんだ」
そう思う日がくるでしょう🔔
蒼みれい