死とは、そして・・人は何のために生きるのか

死とは、そして・・人は何のために生きるのか

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コラム
プラチナから落ちたら
ココナラは辞めようと思っているのだが

じゃあ、何するかといえば
街占すると思います

街占を復活、な感じになると思います
警察とヤクザに煙たがれながら
真冬の路上で
また、凍える日々を送るのでしょう

そして、油断して、凍死するのでしょう

いつどこで人は死ぬのか
それはわからないことになっている

まあ、占星術にはアラビックパーツに
死の感受点が示されはするのだけれど


一昨日だったか

僕はほぼ毎日、川越成田山に
お参りに行くのだけれど

一昨日、境内のお茶屋のマスターと
おしゃべりしているときに

ギリヤーク尼ヶ崎さんの話になって

以前は川越成田山の境内でも
ギリヤークさんの公演がされていて


で、10月の初めごろの土曜日に
新宿でギリヤークさんの公演があったから

僕は17年ぶりに
ギリヤークさんの公演
新宿に観に行ったのだけれど


その前回観に行ったのは
17年前の川越成田山での公演で


で・・

「新宿に観に行ったんですけれど
スーツ着た、いつもギリヤークさんの
公演に来ていた男性が
いなかったんですよ」

って僕はマスターに言ったら

「こればっかりは順番通りじゃ
ないですからね」ってマスターは
とっても示唆的な言葉を僕に伝えて

そうだな、って思いました。

死だけが平等

1分後、誰しも生きている絶対の可能性は存在しない

老いも若きも、それは平等です

きっと僕は
プラチナ落ちて

路上で凍死する

パソコンのブラウザの
閲覧履歴もそのままに


で

死って何?

生きている人間には
答えの見つからない疑問なのかもしれないし

恐怖そのものともいえたりするのだけれど

ただ僕は、死があんまり
怖くないんですよね

なんでかって言うと
離脱体験があるからです

詳しくは書かないけれど

うん・・

ああ、死ぬってこういうことかって
そう思いました

ただ、肉体と意識が
離れるだけで

意識は、そのままなんですよね

で・・

人は必ず死ぬのに
何のために生きているのか

そういう疑問
持つ人多いと思うけれど

僕も、その疑問は持っています

ただ・・

よく、「質問には答えが隠されている」

みたいな感じ、言われたりするけれど

何のために生きているのか

この疑問質問に
答えが隠されているのかな?

ただ・・隠されていると思います

生きるっていうのは
死との裏表関係ですね

死から生の扉が開いて
また、死の扉が開く

生の扉が開くとともに
この今世での経験が
1つ、2つ、3つ・・と
積み重なる

そして、最後っていうか、最期っていうか

死の扉が開いて
全ては0になる

1、2、3・・っていう整数の積み重ねの
人生メロディを

0は伴奏しているんですよね

0はインド人が発見したらしいけれど

人はいつだって
0になる可能性を持っている

で、0の凄いところは
あらゆる整数とプラスマイナスしても
その整数は変わらないけれど

掛けたり割ったりすると
その整数は
0になっちゃうっていうことです

で

じゃあ、0って何?
なのですけれど

それは誰しも
死の可能性を持っている

つまり、誰しも「死」を持っている

死が0です

人は人を人称で呼びますね

1人称は私
2人称はあなた
3人称は彼とか彼女とか

じゃあ0人称は?

私の奥にある、です

掛けるは交わりですね
割るは、入っていく、ですね

セックスにおいて
私が消えるエクスタシーに至る時
その時、人は0になる

「私」が死にますね

生きながらにして、死を知る

自分に深く
人に深く

生きる中で人は突然
0になることがある

それは、セックスに限定されるものではない

人は何のために生きるのか

生の伴奏者の「死」とともに

エクスタシーを知るためです




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