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なんでも屋 ケロ子

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【小説】夢の住人(無料 長尺バージョン)
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【小説】夢の住人(無料 長尺バージョン) 購入していただかなくても11話まで読めます

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なんでも屋 ケロ子

2025年07月13日 19:44

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500

まえがき

この作品は、11話分を無料でお楽しみいただける小説です。
しかし、システムの都合上「完全無料」として公開することができず、やむを得ず価格を設定しております。
そのため、誤ってご購入なさらないよう、あらかじめご注意ください。

もちろん、ご支援やご厚意としておひねりをお寄せいただける場合は、心より感謝申し上げます。

ご購入いただいた方には、感謝の気持ちを込めて「登場キャラクターの設定資料」をご覧いただけるようになっております。


それでは、どうぞ本編をお楽しみください。

序章「はじまり」

2050年5月。季節外れの黄砂が窓を曇らせる午後、俺はカップ焼きそばの湯切りに失敗していた。

「あっつ……またかよ……」 フリーター生活も5年目に入った。

バイトは週3、あとは家でYouTubeか、最近はよく寝てる。

人生に“起伏”という文字はなく、代わりに“既読スルー”だけが積み重なる。

そんな俺の部屋に、不釣り合いな音が鳴った。

「ピンポーン」 インターホンの音。こんな時間に? 宅配は何も頼んでない。Amazonもヨドバシも、何も― ドアを開けると、そこには小さな段ボール箱。

差出人不明。伝票も白紙。宛名だけが、手書きでこう記され ていた。

「未来のあなたへ」

このときの俺はまだ知らなかった。この箱が、“時間”を揺るがすスイッチになることを。


第1話「目覚め」

目を覚ました。

――いや、たぶん、ずっと起きていたのかもしれない。

時間は、午前2時47 分。 部屋の照明は落ちたまま。

外は雨。 そのくせ、空気は妙に明るく、どこか光が滲んでいるようだった。

雨音は小さく、やけに遠い。 まるで自分の部屋が、音のない水槽の中に沈められているような感覚。

耳鳴り とまではいかないが、世界の音が一枚膜をかぶっているような違和感が、静かに皮膚の内側を撫でてくる。

カーテンの隙間から街灯のオレンジが漏れて、 流しに落ちたカップ焼きそばの麺が、乾いたままへばりついていた。

まるで数日放置されたかのような、くすんだ色味と乾燥具合。 実際にはほんの数時間前に、俺はこれを作ろうとして、湯切りに失敗したはずだった。

「……あれ、湯切り……」

つぶやいた声が、異様にクリアに部屋の壁に反響する。 晩飯を食べようとしたときの記憶。確かにミスった。

でも、そこからの記憶がない。 寝落ち……にしては変だ。

目覚めたとき特有の、あの背中の汗も、首のこりも、どこにもない。

むしろ、目だけが冴えすぎている。 気味の悪さを押し込めるように、ソファの背にもたれて大きく息を吸い込む。

空気の匂いもいつもと違う。 部屋の匂い……ではない。 外気が入り込んでいるような湿っぽさ、でも雨の匂いでもない。

表現しづらい が、“無臭の違和感”とでも言えばいいのか。 そのとき、スマホの通知音が鳴った。

あの、LINEの“ピコン”という音。 でも、どこかで聞いたことがあるは ずなのに、耳に引っかかる。

(通知?)

なんとなく画面を開く。無意識だった。 指が勝手に動いたような錯覚すらある。 目の前の光に吸い寄せられ るように画面をタップする。

差出人は「システム」。 アイコンはグレーの歯車。 ふだんなら、怪しいスパム扱いで即ブロックするところ だが、なぜかこのときは、

“それが来ると知っていた”ような気がした。 そして表示された内容が、思考の流れを一気に止めた。

【N:ARK接続完了】 【ランク:E】 【所持通貨:52,347円】

その瞬間、 目が一気に冴える。 52,347円。 俺の現実の 銀行口座残高と、完全に一致している。 アプリでも、登録した覚えのあるサービスでもない。

なのに、“寸分違わない金額”が、ここにある。 財布の中身を足しても、ほぼこの数字に合致する。

たまたま――というには、あまりに正確すぎる。 誰かが 俺の口座を覗き見たかのような精度。

「……は?」 無意識に漏れた独り言。 その音が、まるで別人の声のように耳に響いた。 音が部屋に“張り付く”感じがする。

本来、声というのは空間に溶けていくはずなのに、この部屋ではどこにも吸収されず、ただ壁に当たって返ってきているだけのような……そんな妙な音の密度。

立ち上がって、部屋を見回す。冷蔵庫を開けてみる。 中には麦茶のボトル、前に買った納豆、少しだけ残ったレタス――すべて現実の通り。テレビのリモコンを押す。

番組は深夜帯の通販番組。昨日見たタレントが同じ商品を紹介している。 「現実」だ。 どう見ても、どう聞いても、これは現実の部屋だ。

でも“現実の気配”が、ない。 なんというか―― この空間そのものが、俺の記憶から再現された“ハリボテの部屋”みたいな感覚が、胸の奥 でジワジワと広がっていく。

いつもなら聞こえるはずの上の階の足音も、外を走る車の音も、通り過ぎる人の気配も、何もない。

「……夢、なのか?」

けれど、その言葉だけが、今の俺にしっくりきてしまっていた。


第2話「空白」

朝が来た。

と言っても、眠れないまま時間が過ぎ、ただ空が明るくなっただけだ。

目を閉じることはできても、眠ることはできなかった。 まぶたの裏に浮かぶのは、さっきの通知。 あの【52,347円】という数字が、視界の中に焼きついて、まるで呪いのように何度も繰り返される。

何も変わらない部屋。

でも、何もかもが“似て非なる”ものに見えて仕方がなかった。

──午前8時25分。 窓の外は、昨日の雨が嘘のように晴れていた。 地面はすでに乾いていて、水たまりもない。 空気はひんやりとしているのに、窓の外からの陽射しは眩しいほどに白かった。

焼きそばの麺は、まだ流しの奥にくっついたままだ。 まるで時間が止まったかのように昨日と同じだった。

(……バイト、9時からだったな……)

俺はゆっくりと立ち上がる。 身体は軽い。 でも、心は重い。 何かを踏みしめるたび、足元がズレているような不安感が続いている。

制服に着替える。 ロゴの入った白いシャツに、黒いパンツ。 昨日と同じ手順で、リュックに財布とスマホを入れる。

そんな期待にも似た祈りを込めて、ドアを開けた。

エレベーターは、呼んで数秒で静かにやってきた。 中には誰もいない。 防犯カメラの赤いランプが点いているのが妙に目についた。 鏡に映る自分の顔――ひどく無表情で、寝不足のくせに、どこか張り詰めている。

1階のオートロックも問題なく開く。 センサーはちゃんと反応した。 ゴミ捨て場には、収集日なはずなのに、ゴミが一つもなかった。 カラスすらいない。 朝の街としては、異常なほど静まり返っている。

歩き出す。 足音だけが、アスファルトに規則正しく響く。

道を歩く。 いつもは通学中の高校生や、会社員、主婦、犬の散歩―― それらがいて当然の朝の風景。 それが、すっぽり抜け落ちていた。

(みんな寝てる? ……って、朝の8時に?)

それとも、何か大規模な避難でもあった? でもサイレンもないし、警察もいない。 スマホの通知も異常はない。 ニュースも、Twitterも、更新が止まったままだ。

「さすがにそれはないだろ……」

口に出して、少しでも現実感を取り戻そうとする。 でも、その声すら、周囲の空気に吸収されず、妙に“浮いて”感じた。 まるで、誰も聞くことを想定されていない声。

足は自然と速くなる。 視線は右へ左へと動き、少しでも人の影を探していた。

駅前の交差点。 信号は動いている。 赤になれば止まり、青になれば進める。 でも、信号を渡る人がいない。 車のエンジン音も、クラクションもない。 まるで映画のオープンセットに紛れ込んだような、薄っぺらい街。

コンビニの明かりは点いている。 看板もLEDも、室内の蛍光灯も。 雑誌棚には最新号が並んでいた。 ホットスナックのケースも稼働していて、肉まんが蒸されていた。

けれど、客はいない。 店員もいない。

(無人……?)

ドアは自動で開いた。 入ろうかと思ったが、足は止まった。 何かを踏み越えてしまいそうな気がした。

そして、カフェ――俺のバイト先。 駅前の小さな路面店。 二階建てのこぢんまりとした洋風の建物。

裏口のシャッターは半開き。 これはいつも通り。 俺たちスタッフが入るための隙間。

中に入ると、ロッカールームも厨房も、完璧に整っていた。

エプロンもかかっている。 タイムカードも差しっぱなし。 洗ったばかりのカップが、きちんと伏せて乾かされている。

誰かが出勤して、準備して、そのまま消えたかのように。

ゴミも落ちていない。 調味料も揃っている。

なのに――人の気配が、まったくない。

匂いも、温度も、音も、すべてが“停止”していた。

(……誰もいない)

あまりにも“整いすぎて”いた。 荒らされた形跡も、逃げた痕跡もない。 机の上の伝票すら、昨日の売上のままピタリと残っている。

ただ、人だけが、完璧に、綺麗に――“消えていた”。

ゾワリ、と背中に冷たいものが走った。

ここまでの一連の状況が、ようやく一つの結論へと俺を導いた。

(……やっぱり)

今、この瞬間、ようやく俺は確信した。

ここは、現実じゃない。

“再現された現実”―― あるいは、“夢の世界”。

けれど、ここには、“生きた人間”がいない。

この世界で、俺だけが異物なのか。 それとも、俺だけが本物なのか。

判断がつかないまま、俺は息を殺して、その場に立ち尽くしていた。


第3話「接触」

「……っ!」

一歩、足を引いた。

誰もいないはずのカフェの入口に、“誰か”が立っていた。

白いタンクトップに、くたっとした黒のパーカー。袖は長すぎて、手がほとんど見えない。腰まで伸びた黒髪。濡れたように艶がある。その顔は、まるで人形のように整っていた。

ただ――

その少女の顔には、返り血が飛び散っていた。血の色は乾きかけていて、少しだけこびりついたまま残っている。

目が合った。黒目がちな瞳。視線が深すぎて、「見られた」というより、「中を覗かれた」気がした。

(……やばい。人じゃない。いや、“ただの人間”じゃない)

背筋が粟立つような寒気。足の感覚が、すとんと消えた。

俺は声も出せず、ただカウンター越しに彼女を見つめていた。

異様な沈黙が続いた。厨房の冷蔵庫のモーター音だけが、やけにリアルに耳に響いていた。

やがて、彼女がふと口を開いた。

「……あんた、初めてだろ?」

声は低く、だが少女らしい透明感があった。

俺は唖然として言葉が出なかった。

「……コーヒー淹れれる?」

唐突に聞かれた問いに、頭がついていけなかった。

「え? あ、はい……」

恐怖で自分でも情けないと思う声で返事した。

「じゃあ、ラテとかできる?」

「え、まぁ……」

「私、どうしてもあの味にできないの。自分で淹れても、なんか違うんだよね」

彼女はそう言うと、カフェの奥のソファ席にゆっくりと腰を下ろした。まるで常連のような動作だった。

「飲ませて。そしたら、あんたの知りたいこと、教えてあげる」

言いながら、こちらに背を預けるようにして体を預けた。まるで信頼されているわけでもないのに、自然体すぎて不思議だった。

「……わかりました」

俺は手を洗い、いつも通りの準備を始めた。

ただのコーヒーじゃない。

甘くて、ミルクが濃厚で、バニラの香りを加えた特製のカフェラテ。カフェの中でも手間がかかるメニューだった。

注文されることは少ないが、作るたびに心を落ち着かせる不思議な工程が好きだった。

スチームで丁寧にフォームを作り、ラテアートを描く。彼女の視線を背中に感じながら、それでも集中する。

「……できた」

そっと彼女の前にカップを置いた。

彼女は目を見開き、カップを覗き込む。

「……ラテアート。しかも、いい匂い」

一口、含んだその瞬間、表情がふっと緩んだ。

「うま……」

その一言で、少しだけ緊張が溶けた。

「よかった」

「座りなよ。何が聞きたいの」俺は彼女の前に座った。しかし喉が詰まったように、言葉が出なかった。

彼女は無造作に姿勢を崩し、ソファの背にもたれると、手元の袖の隙間からちらりとカッターナイフの刃先が覗いた。

「安心しな。私は襲わない。無駄なこと、嫌いだから」

その言葉に、ほんの少し、緊張が緩んだ。だが、心臓はまだバクバク鳴っている。

「……なにが、起きてる?」

ようやく出た声は、まだ情けないほど震えていた。

少女は肩をすくめて言った。

「夢だよ。正確には、“作られた夢”」

そして一息置いて、続けた。

「N:ARK。あんたも入ったんだろ? この夢に」

この日、俺は初めて“この世界の住人”と出会った。

少女――彼女はそう言いながら、指の間でカッターナイフをくるくると回した。血の乾きかけたその刃は、妙に鈍く光って見えた。

「ここから出るにはどうすればいい」

この不気味な空間から出る。それができれば俺は十分だ。

「寝て、起きる。それだけ。でも夢から現実に戻るには“クスリ”が必要なの」

「……クスリ?」

「睡魔が来ないの。ここじゃ、眠くならない。それを無理やり呼ぶ薬が売られてる」

彼女はラテを一口飲み、ため息混じりに言った。

「現実に戻りたいなら、クスリを買うしかない。でも高い。あんたの今の金額じゃ……せいぜい一回分」

LINEに届いたあの数字が頭に浮かぶ。

【所持通貨:52,347円】

「そのお金、現実の金と連動してる。現実での貯金や価値、全部こっちと紐づけされてる」

「……じゃあ、どうやって稼ぐんだよ」

彼女は袖からカッターナイフを見せた。

「――人を殺す」

心臓が跳ねる音が、耳の内側で響いた。

「ここじゃ、人を殺せば最低でも10万入る。強いやつならもっと。あたしクラス、Aランクなら一億は下らない」

ふっと、彼女は笑う。

「……Aランク?」

彼女はテーブルに銃を置いて続けた。

「ここには“等級”があるの。Eから始まって、D、C、B、A……で、最上位はS。でもあたし、まだAもSは見たこともない」

彼女の声に嘘はなかった。

「で、あんたはE。新規。素人。狙われる立場」

ぞくっと寒気がした。さっきのLINE。確かに俺のランクは、Eだった。

「私みたいなのは逆に狙われる。賞金首だから。BとかCがパーティ組んで襲ってくるの。無駄だけどね」

「無駄……?」

「BとAの差はね、絶望的よ。束になっても勝てない」

彼女は、ラテを飲み干した。

「でも、私は無駄な殺しはしない。自衛だけ。……それでも、もう何十人もやってる」

声に感情はなかった。まるで、既に慣れ切った作業を語るかのように。

「そういう場所なの、ここは」

それが、最初の“ルール”だった。


第4話「選別」

「……帰りたいんだろ?」

少女――名乗りもしないその彼女が、空になったカップを指先でくるくると回しながら言った。小さな回転音がカウンターに反響し、静かな店内に心地よい緊張感を生む。

「じゃあクスリを買えばいい。あんたの通貨でも、ギリ一回分は足りる」

彼女の声には、揺らぎも慈悲もなかった。ただ、事実だけを静かに述べているような、淡々とした口調。まるでこの世界において、それ以外の選択肢など存在しないかのように。

「……どこで手に入るんだよ」

俺は自然と声を落とした。自分の声が少し上ずっていたことに気づき、無意識に喉を鳴らす。

「ミッション報酬。もしくは、取引所」

そう答えると、彼女はポケットから取り出した。光沢のある真鍮製の蓋には、目立たないように文字が彫られていた――“TYPE-SLEEP”。

蓋を開けると、中には銀色の錠剤が一粒、まるで宝石のように鎮座していた。光を吸い込むような沈んだ輝き。その存在感に、俺は息をのんだ。

「眠気を強制的に誘発する。飲めば現実に戻れるよ」

「……ほんとか?」

「うん。戻れるけど、また現実で眠れば、ここに戻る。そういう仕組み」

彼女の視線は、銀の粒よりも俺の反応を見ていた。その黒目がちな瞳は、相変わらず何もかも見通すように深く、逃げ場がなかった。

(つまり……現実に戻れても、それで終わりじゃない?)

「二度目以降はどうするか。……もう稼ぐしかない」

彼女の声のトーンが一段階下がり、空気が一気に張り詰める。

「人を殺すか、自分の“できること”を売るか。ここで生きていくって、そういうこと」

少女は椅子の背に身を預け、両足を無造作に組んだ。くたびれたパーカーの袖が少しずれて、手首の細い骨と、そこに擦り傷のような古い痕が浮かび上がる。彼女は続けた。

「“できること”ってのは、スキルって呼ばれてる。ここの住人の一部は、“現実じゃできなかったこと”をここでやれる。無意識の中に眠ってた力。それが、ある日突然、現れる」

「……それって、誰でも?」

「まぁある程度はね。スキルは先天的。遺伝か、資質か、それとも偶然か。発動条件も違うし、制御も難しい。大半は平凡スキル。殺す側にもなれず、金も稼げず、ただ消えていく」

彼女は静かに言い放った。口ぶりはあくまで冷静だったが、その一言が重く、店内に沈殿するように残った。

「じゃあ……君は?」

俺がようやく問い返すと、彼女は一瞬だけ笑った。それは、哀れみでも優越感でもなく、ただ自分の立場を受け入れている者の微笑みだった。

「私は、スキル持ち。あと、運営が何をやってるか、ちょっとだけ知ってる」

「運営……?」

その単語に、ぞくりとした。ゲームみたいな響きだが、ここにいると、それが現実のものとして感じられる。

彼女は声を落とし、さらに続けた。

「この世界――“N:ARK”は、ただの夢じゃない。首謀者がいて、目的がある。運営は優秀な人間を選んでる。力やスキルがあるやつだけをふるいにかけてる」

「……なんでそんなこと?」

「生存試験だよ」

店内に溶け込んでいた静寂が、彼女のその一言でビリッと裂かれたように感じた。

「ここで何ができるか生き残れるのか。それを見て、選ばれたやつは現実で次世代の人類として"選ばれる"。誰が、どこで、何のためにかは知らない。まぁ、全部あくまでも噂ね」

人を殺して生きるか何もせずに殺されるのを待つかそんな世界に足を踏み入れてしまったことに絶望した。

「これを飲んだら現実には戻れるんだな」

「うん。でも、戻っても次に眠ればまたここに来る。逃げられない。入った以上は、“ここの一部”だから」

「じゃあ……どうすれば二度と戻ってこない?」

「知らない。多分、運営に“選ばれる”か、”消える”か、……そのどっちか」

彼女は言葉を切ると、カップの残ったラテの香りを嗅ぎ、目を細めた。

「一部では“ノアの箱舟”とも言われてる。現実の日本は、もう人口3億を超えてる。世界は100億人。貧困層や行き場のないやつらが山ほどいる。その中にも、隠れたスキル持ちはいる。だから、運営は“眠らせて”、ここでふるいにかけてる。そこに選ばれたやつらが本能的に優れた新人類……そんな仮説もある」

「君は、それを信じてるのか」

彼女はゆっくりと息を吐いた。どこか諦めにも似た呼吸だった。

「さぁね。どっちでも私には関係ない」

しばらく沈黙が流れた。

やがて彼女は小さな声で呟いた。

「ここで“選ばれない”ってことは、現実でも必要とされないってこと。……それが一番、怖いでしょ?」

俺は返す言葉を見つけられなかった。

彼女は缶を俺の前に滑らせた。

「今飲むかどうかは任せる。でも、覚えておいて。次に戻るとき、覚悟がないと“ただの迷い込んだカモ”になる」

その言葉が、耳の奥にこびりついた。

俺は缶をじっと見下ろした。小さなその中に、たった一粒の薬。けれど、それは“現実”という名の逃げ道と、“ここ”という名の運命の分岐を象徴していた。

――選ばれるか、消えるか。

それが、この世界“N:ARK”の選別だった。


第5話「覚悟」

目を開けた瞬間、天井の染みが真っ先に視界へ飛び込んできた。

黄ばんだその丸い斑点は、どこか目玉のようで、まるで誰かにじっと見られているような錯覚を覚える。

息を吸う。静かな空気が、肺の奥まで染み込んでくる。

「……戻ってきた」

呟いた声が、妙に耳の中で反響した。

それだけで、ここが“現実”であるという感覚が少しだけ戻ってきた。

朝の9時過ぎ、例の銀色の錠剤を飲んだ。

手のひらの上で転がるそれは、まるで何かの儀式の道具のようだった。

薬が喉を通り過ぎた瞬間、目の前の景色はすうっと溶けていった。

――そして、いま。

自室の天井、布団の感触、わずかに湿った空気と静かな冷たさ。

現実の五感が、じわじわと身体に戻ってきていた。

スマホを手に取ると、時刻は午前5時を少し回ったところだった。

夢の中では、夜中の3時から朝の9時。6時間は過ぎていた。

やはり、あの世界と現実では、時間の流れが一致していないらしい。

カーテン越しに差し込む薄い光が、部屋をほのかに染めていた。

まだ朝日は昇っていない。空の色は、青にも白にもなりきれず、ただぼんやりと滲んでいる。

空気はしっとりとして、ひんやりと肌をなでていく。

でも、この冷たさが確かに“現実”のものであるという実感をくれる。

夢の中では決して味わえなかった質感。

それが、妙に心地よかった。

ベッドから身体を起こすと、血の気が一気に足元へ落ちていくのが分かった。

まるで、重力すら久しぶりに感じているようだった。

スマホを確認すると、通知はひとつも溜まっていなかった。LINE、メール、ニュースアプリ。

どれも、変わらない日常を装って静かに画面に並んでいる。

人を殺せる通貨、スキル、選別、運営――

あれは夢だったのだろうか。

(……夢、だったんだよな?)

けれど、その確信は持てなかった。

あれは作り物にしては生々しすぎた。

息遣いも、肌の感触も、匂いも、あまりにも“現実”だった。

カーテンをゆっくりと開けると、外はまだ静まり返っていた。

人の気配も、車の音もない。

ほんのりと街が目を覚ましはじめる直前の、あの独特の無音の時間。

それが、今は不気味に感じられた。

(……俺だけが違う場所に行ってたみたいだ)

今日はバイトのある日だった。

いつも通りなら、あと2時間ほどで準備を始める時間だ。

けれど、まったく行く気にはなれなかった。

頭の奥が鈍く重い。

体温は正常のはずなのに、どこか火照っているような、あるいは逆に冷えているような不安定な感覚。

身体と心がうまく繋がっていない気がした。

寝たはずなのに、まったく休まった気がしない。

むしろ、あの世界での緊張感が今も尾を引いていて、神経が妙に尖っている。

7時を少し過ぎたころ、ようやくスマホを握り直す。

《すみません、今日は体調が悪いのでお休みします》

メッセージを打つ手の指が、震えていた。

自分でもその震えの理由がわからなかった。

恐怖か、罪悪感か、それともただの空虚さか。

送信。すぐに既読がついた。

それだけのやりとりで、現実との接点がまたひとつ、失われた気がした。

(……俺、どうすればいいんだ)

ラグに身体を投げ出し、再び天井を見上げる。

しかし、さっき見た染みはもう視界に入ってこない。

代わりに、視線の焦点が合わず、世界がぼやけていく。

スマホでネット検索をかけてみる。

「夢 現実 区別がつかない」「LINE エヌアーク」「所持通貨 睡眠薬」

――どれもヒットしない。

まるで、そんな世界は存在しないとでも言うように。

あれだけの“現実感”があったのに、証拠は何一つ見つからない。

誰にも話せない。

話しても、きっと信じてもらえない。

SNSを遡る。

グループLINE、個人トーク、DM――すべて、数週間無風だった。

誰も俺に関わっていない。誰も、俺を必要としていない。

(そういえば……)

いつからこうなっていたのか。

気づけば、数年単位で“孤独”が隣にあった。

高校を出てから、進学もせず、就職もせず、バイトで生計を立て、誰とも深く関わらないまま日々をやり過ごしていた。

親はいない。

小学生の頃、事故で突然亡くなった。

それからは祖父母の家で暮らしたけれど、彼らももうこの世にいない。

親戚づきあいもなかった。

友達も、いない。

連絡先に登録されている名前の多くは、もう何年も沈黙したままだ。

(……俺が、ここにいる理由って、なんだ)

心の奥から湧いてくる問いは、鋭く、重く、胸の中心を貫いてきた。

この現実には、俺を必要とする人間はいない。

誰かと未来を約束しているわけでもない。

ただ、今日も息をして、なんとなく生きている。

それだけだった。

だけど――

夢の中では、違った。

あの世界では、人を殺せば金になり、スキルを得れば生きる価値があった。

目的も、評価も、意味も、そこには確かに存在していた。

なにより、あの世界には「必要とされる自分」がいた。

現実では、俺にはなにもない。

力も、役割も、居場所も。

テレビの音も、SNSの通知も、街の雑踏も――何も響かない。

ただ、無音の中で、自分の存在だけがぽっかりと浮いていた。

昼を過ぎても、部屋の中は何一つ変わらなかった。

光の角度が少しずつ変わっていくのを感じながら、俺は同じ場所で、ただ時間だけを垂れ流していた。

夕方になっても、空腹は来なかった。

何も食べる気にならなかった。

冷蔵庫を開ける気力さえ湧かない。

俺の中から、すべてが抜け落ちていくようだった。

夜。気づけば、意識がふわふわとしていた。

まぶたが重くなる。

身体の芯が、遠く沈んでいくような感覚。

「……ああ、眠くなってる」

自然な眠気だった。

現実世界の身体は、普通に疲れれば眠くなる。

薬なんて必要ない。

布団に入るわけでもなく、ラグの上でそのまま目を閉じる。

意識の底が、ゆっくりと吸い込まれていく。

「……戻るか」

ぽつりと漏れたその言葉に、ふと違和感を覚える。

――戻る?

それは、自分が“元居た場所に行く”ことを前提とした言葉だった。

そうか。俺は、ここにいないんだ。

今、自分がいる場所は仮のもの。

本当に生きていると感じたのは、あの夢の中だった。

“覚悟”という言葉が、胸の内側にずしりと落ちた。

重く、だけど確かな手応えとともに。

もう迷わない。

今度は、“あの世界”で生きていく。

役割があって、命の価値が測られて、誰かとつながっていられるあの場所で――

俺はようやく、「生きる意味」を見つけられた気がした。

ゆっくりと、夢の底へ。

そこにあるのは恐怖か、歓喜か、それとも――地獄か。

それでも俺は、迷いなく沈んでいった。

もう、現実には、戻らないと決めたから。


第6話「再会」

顔を持ち上げると目に入る柔らかい照明。少しだけ温かみのある木目調のカウンター。奥には、ピカピカに磨かれた厨房のシンクと、ステンレスの棚。そのすべてが静止したように、音もなく、匂いもなく、ただ存在していた。

ここは――カフェ。“彼女”と出会った、あの場所だった。

俺の足元には、白いタイルの床。厨房の境界には、滑り止めのゴムが貼られている。空調の微かな唸りが、まるで遠くの波音のように頭の奥に響いていた。

ソファ席。目の前に彼女が座っていた。

くたびれた黒のパーカー。袖は相変わらず長すぎて、手の甲がすっぽり隠れている。腰まである黒髪は、今回は後ろでゆるく束ねられ、肩にかかる毛先が微かに揺れていた。姿勢は真っ直ぐで、背筋が伸びているのに、どこか力が抜けている。まるで、何度もこの瞬間を経験してきたかのような余裕を漂わせていた。

彼女の目線が、ぴたりと俺の瞳に重なった。

「……おかえり」

声に感情はほとんど乗っていない。ただ、淡々とした確認。その響きが、鼓膜の奥に静かに届いた。

時計を見ると、午前9時を少し回ったところだった。

――夢の中でクスリを飲んで眠っ手現実世界で何時間も経っているにもかかわらず、ここではまるで1秒たりとも時が進んでいない。

彼女は、俺の顔をじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。

「顔、変わったね」

「……え?」

「覚悟、決めた顔。こっちで生きるって決めたなら、それなりの顔になる。目つきとか、肌の張りとか……意識してなくても、にじみ出るんだよ。人間って不思議」

彼女の言葉は、どこか寂しげだった。まるで、自分もそうして変わってきたことを思い返しているような口ぶりだった。

「……そうかもな」

自分の頬に触れてみる。たしかに、何かが変わった気がする。昨日までの自分とは違う。現実にしがみついて生きていた“誰でもない存在”が、ここに来て、たしかに何かを決めた――そんな感覚。

彼女は静かに頷いた。

「ここで生きるなら、“力”が要る。スキルがあるかもしれないし、ないかもしれない。まだ発現していないだけかもしれないし。でも、何かしら“得意なもの”があるなら、それを軸にして試していくしかない」

「例えば?」と俺が問うと、彼女はゆっくり言葉を選ぶように話し始めた。

「料理人なら包丁。音楽をやってた人は、音そのものを操れる。走るのが速かった人は、身体能力が強化される。……ほら、人って無意識の中で“自分はこれが得意だ”って思ってるでしょ? その記憶が、この夢の世界では“形”になるの」

「形……?」と聞き返すと、彼女は頷いた。

「出てくるのは、物とは限らないよ。体の一部が変形する人もいるし、動きが異常に速くなるやつもいるし、周囲の空気を歪める人もいた。ほんと、まちまち。脳内で信じたものが現実になる。ここは、そういう場所だから」

「それって……自分で意識してできるのか?」

「最初は無理。でも訓練すれば、ある程度はコントロールできるようになる。出し入れ自由にできるやつもいるし、常に発動してるやつもいる。……あんたは? まだ何も出てない?」

「うん。何も」

そっか。と残念そうな顔しながらカフェラテをすする彼女。

「君のスキルは?」

彼女の目が途端に曇る。さすがに踏み込見すぎたか。

その不安を払拭するように彼女が口を開いた。

「私のスキルは【刃響制御(じんきょうせいぎょ)】」主に工具を作り出せる」

「………カッターとか」

目線を彼女の手元に移しながらつぶやいた

「そう、形や大きさは自由だし物によっては付属のスキルがついてる。例えばこのカッターは何でも切れる。鉄でも石でも。ダイヤモンドだって切れる。でも一回しか切れない。一回切ったら刃を変える必要がある。」

何でも切れる。それがとても強力なことはこの世界に来たばかりの俺でも強すぎる能力だと理解できた。

「それっていくらでも使えるの?」

「使えない。刃を作るのに精神力を使うから。そのためにノコギリがある」

彼女は服の袖から刃渡り60cm 全長1メートル弱のノコギリを出した

どこに入っていたのか。おそらく腕付近で生成したのであろう。そのノコギリを床に突きたててテーブルに立てかけた。

「ノコギリは相手の精神力を削る。その精神力を吸収して使う。これが私の基本スタイルかな」

彼女は少し顎に手を添えて考え込むような仕草をしたあと、言った。

「まずは君のスキルが何なのか実戦で確かめなきゃね。」

そう言いながら、彼女はパーカーのポケットから薄型のタブレット端末を取り出した。画面をいくつかタップすると、何かのリストが開かれる。俺に向けてそれを差し出した。

「これは、ミッション。Eランクが受けられる初期案件一覧。掃除、配達、情報収集、あと“観察系”って呼ばれてるのもある。最初は非戦闘系を選んでおきな。死なないことが最優先だから」

「……ありがとう。……ていうか、なんでそんなに親切なんだ?」

俺は思わず訊いてしまった。さっきからずっと、彼女は親身だった。俺にとっては出会ったばかりの相手なのに、どこか姉のように、友人のように、少し距離を置いた優しさで接してくれている。

彼女は少し黙ったまま、空になったカップを見つめた。

「……おいしいコーヒー、久しぶりだったから」

「え?」

「自分で淹れても、あの味にはならない。あんたがくれたラテ……ちゃんと甘くて、濃くて、香りがあって、懐かしかった。……本当に、久しぶりに飲んだって感じだった」

「それだけ?」

「それだけじゃ足りない?」

彼女はそう言って、ふっと笑った。冗談のような、だけどどこか本気の笑みだった。

「昔の私に似てるんだよ。人生に期待してない顔してるくせに、どこか諦めきれてない目をしてる。……そういうやつ、長く生きる」

その言葉は、どこか深く刺さった。俺自身、自分の目がどう見えるかなんて意識したことはなかった。でも、彼女の言葉は、そんな俺の奥底を覗き込むようだった。

「好きなやつ、選んで。……ミッションって、案外楽しいよ。こっちの世界じゃ、“生きるために何をするか”を自分で選べるから」

そこに並んでいたのは、現実とはまったく違う、“人生の選択肢”だった。


第6.5話「運営の影」

午後のカフェには、落ち着いたピアノの旋律が流れていた。

ソファー席で、俺は手元のタブレットを指でスクロールしていた。ミッション掲示板には、無数の依頼が並んでいる。物資回収、調査、探索、時には暗殺や潜入といった危険な任務まで──そのどれもが、現実には存在しない世界の中で、確かに需要と対価を持って成立している。

向かいの席では、新しく俺が淹れたカフェラテを両手で包み込むように持っていた。ふわりと立ち昇る甘い香りが、ほんのりとの鼻腔をくすぐる。

「……このミッションって、運営が作ってるのか?」

ふと漏れた俺の疑問に、彼女は一瞬だけ視線をタブレットに移し、それから薄く笑った。

「ある意味、そうだね。でも実際には、プログラミング系のスキルを持ってる連中が作ってる。あたしたちと同じ“ここの住人”ってわけ」

「住人がミッション作ってんのか……」

「そう。ミッションの履歴や行動ログは全部“上”に送れるようになってて、内容が評価されれば報酬が出る。特に、優秀なやつのデータは高く売れるって話」

「……“上”ってのは、運営?」

彼女は肩をすくめる。

「そう言われてるけど、確定じゃない。誰も本当の運営を見たことないし、連絡が取れるわけでもない。ただ、送れば何かが返ってくる。だからみんな、そこに“何か”がいるって信じてる」

俺は唇を噛みしめ、画面を見つめたままぼそりと呟く。

「夢の中なのに……運営って、なんなんだよ」

彼女はカップをひと口啜り、柔らかな口調で続けた。

「何でもできる世界だからさ。誰かが“運営がいる”って信じ始めたら、それがいつの間にか当たり前になっていく。世界ってのは、みんなが信じた方向に形を変えるものだよ。……もともとは神様の道楽だったりしてね」

「……でも、みんな信じてるんだろ?運営がいて、選ばれたら現実に戻れるって」

「うん、信じてる。運営に選ばれれば“解放される”って。希望を持ってないと、やってられないからね」

一瞬、彼女の瞳が細くなり、淡い影がその奥に差した。

「でも、そんな運営なんて最初からいなくて……この地獄からは、誰も出られないのかもしれない」

その言葉は静かだったが、胸にずしりと落ちた。

二人の間を、コーヒーの湯気とカフェのBGMが満たしていた。その穏やかな空間が、逆に現実の残酷さを際立たせる。タブレットを伏せ、ゆっくりと息を吐いた。

「もし、運営がいないとしたら……今、ここで俺たちがやってること、全部、意味ないのかもな」

「意味があるかどうかは、自分で決めるしかないよ。ここじゃ、それがすべて」

彼女の言葉は、優しいようでいて、どこか突き放すようでもあった。

そして、ふたりはまた黙り込み、それぞれの思考に沈んでいった。

まるで、運営という見えない神を仰ぐ信者たちのように。


第7話「申請」

昼下がりのカフェは、まるで現実と変わらぬ穏やかな空気に包まれていた。

窓際の席から見える風景は、どこか人工的な完璧さを感じさせる。空は青く、雲は静止しているかのように動きがない。カフェの内装も、毎日見ていた記憶のまま――テーブルの角の傷、椅子の背もたれの布のよれ、微かに香るコーヒー豆の匂いまで、全てが“現実”の再現に思えた。

その中で、俺はひとりリストを睨みつけていた。

画面に並ぶのは、Eランク向けのミッション。低難易度と表記された項目の数々は、一見するとどれも地味で、選びがたい。

「物資運搬」「廃ビルの調査」「情報収集」「植物採取」……戦いもなければ、派手さもない。ただこなして報酬を得るだけの、作業のような案件。

「まだ迷ってんの?」

不意に隣から声がした。

彼女が、俺の肩越しに画面を覗き込んでいる。彼女の手には、いつものカフェラテ。ふわりとミルクの香りが鼻をくすぐった。

「……いや、どれも地味すぎて、逆に迷ってる」

俺の声は少し硬かった。眠気はないが、頭の奥に重りが乗っているような感覚が続いていた。

「最初はそんなもん。逆にハデなの選んで即死するやつも多いし」

彼女は苦笑するように言い、カップの縁に唇をつけた。彼女の目は笑っていない。現実味のない言葉だと思っていた“死”が、この世界ではすぐ隣にある。

「……死ぬと、どうなるんだ?」

言葉にした瞬間、自分でも少し震えているのがわかった。ゆいはゆっくりとカップを置き、カウンターの方に視線を向ける。

「普通に死ぬ。脳が焼き切れて植物状態になる場合もあるけど……ま、どっちにしろ終わりってこと」

さらりと告げるその口調に、冗談は一欠けらもなかった。

カフェのBGMが静かに流れている。スピーカーから聴こえるギターの旋律が、かえって背筋を凍らせた。

(本当に、ここは“死”がある場所なんだ)

わかっていたはずなのに、彼女の言葉は俺の中の最後の幻想を砕いた。

「このへんどう?」

彼女が指差したのは、“廃品工場での備品回収”というミッションだった。

画面に表示された地図には、――る廃品工場の倉庫の座標が示されている。危険度は“低”。報酬も少なめだが、最初の足掛かりとしては悪くない選択肢だった。

「いいかもな。ちょっと探索っぽいし」

「OK、じゃあ申請するね」

彼女は端末を取り出し、数回タップする。申請ボタンに触れた瞬間、ピコン、と控えめな電子音が鳴って、画面に『受付完了』の文字が浮かび上がった。

俺はその文字を見つめながら、じわじわと緊張が胸に広がっていくのを感じた。

「申請完了っと」

カップを口元に戻しながら、彼女はふと俺を見た。

「……そういえば、名前まだ聞いてなかったよね」

「え?」

唐突な話題に、俺は一瞬だけ思考が止まった。

「自己紹介。ほら、これから一緒に動くんだし」

「……圭。吉田圭」

自分の名前を言うのに、なぜか少し躊躇した。けれど、彼女は自然に頷いた。

「ふーん、ケイね。私は“ゆい”。苗字は……まあ、ここじゃ意味ないし、ゆいでいいよ」

彼女の口調は軽やかだったが、その言葉の裏にはどこか割り切ったような寂しさが滲んでいた。

「そういうもんか」

「うん、どうせ他人の名前なんてすぐ忘れるし」

「ゆいって……本名?」

「うん、一応。現実じゃ気に入ってなかったけど、ここでは悪くないかなって思えてる」

ゆいは自分のカップを見つめながら、遠い記憶を掘り返すように静かに呟いた。

「ケイは? どこ出身?」

「東京郊外。家は……今はひとり暮らし」

「ああ、現実でも孤独組か。あたしもそうだよ。親はいないし、学校もまともに行ってなかった」

その言葉はどこか淡々としていて、感情を挟まないように努めているようにも聞こえた。

「いじめられてたの。見た目が原因で。こっちじゃそれを武器にできるけど、現実じゃただの的だった」

彼女は一瞬だけ視線を下げたが、すぐに顔を上げ、笑ってみせた。確かにこの見た目じゃ妬み嫉みを買うのも無理もないか

「……大変だったな」

「ううん、今はもうどうでもいいよ。ここじゃ誰かに笑われることもないし、あたし自身が強いから」

その笑顔は、どこか自嘲にも似ていたが、それでもしっかりと前を見ていた。

ゆいは身を乗り出すようにして、そっと右手を差し出してきた。

「よろしく、ケイ。せっかく一緒に行くんだから、ちゃんと仲良くしてよね」

彼女の手は細く、ひんやりとしていた。だが、俺がそっと握り返すと、ほんのわずかに、指先から微かな温もりが返ってきた。

――その温かさに、思わず胸の奥がじんとした。

不気味な夢の中で、はじめて感じた、人間らしい感触。

それはこの世界で“生きていく”覚悟を、もう一度静かに胸に刻み直すような瞬間だった。


第8話「もう一人」

ケイとゆいはふたりでミッションの目的地へと向かっていた。

今回の任務は、北に位置する廃品工場の倉庫に残された医療物資の回収。 廃工場は数年前に稼働を停止して以降、朽ちかけた鉄骨と瓦礫に覆われた無人地帯と化している。

「場所は第三倉庫……搬入口は西側か。」

横でゆいが缶のカフェオレを啜りながら覗き込む。

「でも、この時期の北側ルートって、野盗が出やすいんだよね」

「対人戦の記録はないけど、遭遇報告はあるな……警戒は必要か」

そんな会話を交わしているときだった。ロビーの隅から、足音が近づいてきた。

ふたりが顔を上げると、一人の少年が、おずおずと近寄ってくる。

「お、同じミッション……だよね?あの、第三倉庫の医療物資回収……」

声をかけてきた少年は、明らかに経験不足と不安を隠しきれていなかった。 新品同然のジャケット、泥一つ付いていない靴、背中に背負った大きいリュック、張りついたような不自然な笑み。

ゆいは無言でその少年を睨むように見つめた。ケイも身構える。

「……目的は?」

ゆいの問いは、感情を抑えた低い声だった。少年はびくりと肩をすくめ、慌てて言葉を継ぐ。

「た、高城拓真っていいます。僕……一か月前にここに来て、でもずっと、外に出るのが怖くて……部屋に閉じこもってたんです。食料の備蓄で何とか凌いで……」

「で、今日はなぜ出てきた?」

ゆいが詰め寄るように聞くと、拓真は顔を伏せたまま、ぎゅっとリュックの肩紐を握りしめた。

「勇気を出して……初めてミッションを受けに来たんです。でも……やっぱり怖くて、……でも、誰かと一緒なら……と思って……」

その語尾は、消え入りそうだった。

ゆいは鼻を鳴らす。

「つまり、ひとりじゃ何もできないってこと?私たちを頼る気満々ってわけ」

「そ、それは……でも、邪魔には……絶対にならないように努力しますから……!」

拓真は必死に訴えるが、ゆいの表情は険しいままだ。

「ダメ。命がかかってるの。連れてく理由はない」

ゆいの声に、拓真は言葉を失いながらも、その場を動かなかった。

「……ゆい」

ケイが静かに口を開く。

「俺も、最初は同じだった」

ゆいが視線を向けると、ケイはタブレットを閉じ、拓真を見た。

「内容は把握してるか?」

「は、はい。非戦闘系だって……」

「だが戦闘になる可能性もある」

「……覚悟してます」

ケイは頷いた。

「ついてこい」

「……本当に?」

驚く拓真に、ゆいが小さくため息をついた。

「まったく……気前よすぎ。足手まといでも知らないからね」

「大丈夫、ちゃんと見てる」

「ったく……わかった、もう。行くよ」

こうして、三人でのミッションが始まった。

移動する間、拓真はそわそわと装備を確認していた。 リュックのジッパー、ナイフの位置、水筒の蓋──そのどれもが頼りなさを露呈していた。

「そんなに緊張しなくていいって。死ぬときはどうやっても死ぬし、生きるときは案外適当でも生き残れる」

ゆいの皮肉交じりの言葉に、拓真はぎこちなく笑った。

「ゆいさんって、すごく強そうですね」

「強いよ。たぶん、あんたよりは100倍くらいね」

ゆいがいたずらな笑顔をみせながら言った


第9話「衝突」

「このへん、低ランク狙いの野盗が出るって噂あるから。気ぃつけてね」

ゆいが歩きながらぼそりと呟いた。彼女の視線は遠く、風に揺れる看板や街灯の陰を警戒するように走っている。

「野盗って、要は……プレイヤー狩り?」

ケイが問い返すと、ゆいは頷いた。

「うん。自分じゃミッションもまともにこなせないから、他人の成果を横取りするタイプ。CとかDに多い」

「めんどくさいな……」

ミッションの目的地である廃工場は、都市の北端に位置していた。 鉄製のフェンスは朽ち、部分的に倒壊していた。遠目に見える倉庫の屋根には、崩落した部分から草が生えている。 あたり一帯はひどく静かで、風が鉄骨に触れるたびにギィギィと不気味な音を立てた。

コンクリートの地面にはひび割れが走り、車輪の跡と見られる溝が複雑に入り組んでいる。 建物の影から視線を感じたケイが、ふと立ち止まった瞬間だった。

――ジャリッ。

砂利を踏む音がした。

続いて、何人かの足音。息をひそめるような気配。 振り返ると、建物の影から、野生動物のような眼をした数人の男たちが姿を現した。

ボロ布を無造作に巻き付けたような装備、鈍ったナイフやさびた棍棒を手にしたその姿は、まるで理性を失った野良犬の群れのようだった。 目は血走り、笑みは歪み、唇の端にはよだれすら浮かんでいる者もいる。 その全身からは、抑えきれない暴力の気配が滲み出ていた。

「おうおう、新人さんか?ちょっと荷物置いてってもらおうか」

「……やっぱりいるね。低ランク狩り」

ゆいはため息混じりに呟いたが、微動だにせず一歩後ろに下がった。 その構えはまるで、戦う気がないというより、傍観者としての距離を取っているかのようだった。

ケイと拓真は突然のことに固まり、慌てて身構える。 拓真は震える手で、腰のナイフをなんとか抜こうとするが、手が震えて鞘からうまく抜けない。

「な、なんでゆいさん、戦わないんですか……!」

「見てみたいんだよ。ケイがどう動くか」

ゆいの言葉に、ケイの喉が鳴る。 心臓が速くなり、手のひらに汗がにじむ。 野盗たちは一歩、また一歩と間合いを詰めてくる。 一人の男がナイフをくるくると器用に回しながら、にやけ顔で歩み寄ってくる。

(……やるしか、ないのか?)

そのとき、ケイの目に足元に転がった鉄パイプが映った。 反射的に手を伸ばして掴む

――瞬間、脳内に一気に流れ込んでくる情報。 重さ、長さ、振るう軌道、力の込め方――

(・・・なんだこれ)

初めての感覚。声は聞こえないが、まるで語り掛けられているような直感。

(……わかる。これなら、戦える)

ケイは一歩踏み出し、鉄パイプを両手で構えた。 足を開き、膝を少し落とす。 敵のナイフが振り下ろされるその瞬間、ケイは腰をひねり、斜め下からパイプを振り抜いた。

「ッぐあ!」

金属音とともに野盗の腹部に直撃。 空気が抜けるような呻きとともに、男はくの字に折れて地面に倒れ込んだ。

他の野盗たちが、一斉に表情を変える。

「てめぇ、舐めやがって……!」

怒声とともに、三人が一斉に前へ出た。

その瞬間、ようやくゆいが動いた。

まずひとり――その首筋にカッターナイフの刃が滑り込む。 鋭利な切っ先は、皮膚を裂き、頸動脈を寸分違わず断ち切った。 刃を抜くと同時に、素早く替え刃を折り、新たな刃に差し替える。

背後から迫ってきた二人目が棍棒を振り下ろす。 ゆいは肩を捻って回避。 刃をリーチ1メートルまで瞬時に伸ばす。 タイミングを誤れば空振りになるその一撃は、相手の喉元を正確に裂き、男はのけぞって倒れた。

三人目が大きく剣を振り回しながら突進してくる。 ゆいはその剣の軌道を読み、身を沈めて低い姿勢から横薙ぎにカッターを切り払う。 金属音と肉の裂ける音が重なり、男の腹部に深い切り傷が走る。 彼は叫びも上げず、そのまま崩れた。

四人目は恐怖も感じていないように、ナイフを構えたまま突っ込んでくる。 だが、ゆいはその一歩手前で体をひねり、すれ違いざまに斜めに刃を振るった。 男は一瞬何が起きたかわからず立ち尽くしたが、次の瞬間、腹部から血を噴き出し、前のめりに倒れた。

――すべて倒したかに見えた、が。

最初にケイが倒した男のひとりが、まだ息があった。 地面に伏せた状態のまま、震える手でジャケットの内側から拳銃を取り出す。

「ケイ――伏せてっ!」

ゆいが叫ぶと同時に、右腕を鋭く振り抜いた。カッターナイフから一枚の替え刃が音もなく放たれ、空気を切り裂いて一直線に飛ぶ。

刃は、銃口をこちらに向けかけた男の手首に吸い込まれるように突き刺さった。

「ぐっ……!」

男が呻くよりも早く、銃がその手から滑り落ち、コンクリートの床に乾いた金属音を立てて転がる。

ゆいは一歩踏み出し、素早くその拳銃を拾い上げた。わずかに熱を持った銃身を見つめながら、それを静かにケイに差し出す。

「……やれって言ってんの。あんたが決めな」

「え……?」

ケイは目を見開いたまま拳銃を受け取った。重い。それは単なる金属の重さではない。

彼の手に触れた瞬間、銃の構造、材質、弾の込め方、引き金の遊び――すべての情報が、まるで言葉のように流れ込んできた。

「……これが、俺の……」

昔、ひとりぼっちだったあの部屋。埃まみれの机、壊れたラジオやドライバー、解体しかけた時計。彼はいつも、モノと向き合い、指先で感じ取っていた。誰にも気づかれなかったその感覚が、いま確かな実感として蘇る。

ケイはゆっくりと一歩前に出る。

唯一生き残った野盗が、地面を這い、血にまみれた手で逃げようとしている。だが、足はもつれ、必死にこちらを見上げるその瞳には、もはや戦意はない。

銃口が、ゆっくりと男の額に向けられる。

ケイの手は震えていない。

彼の呼吸が、静かに整っていく。恐怖も、躊躇も、もうなかった。あるのは、この世界で生きるための選択肢。それだけだ。

「……ここで、生きるってのは、こういうことなんだな」

彼はゆっくりと一歩踏み出し、銃を構えたまま男を見下ろした。

静寂。

数秒のあいだ、誰も何も言わなかった。銃口は男に向けられたまま。

子供の頃、誰とも遊ばず一人でガラクタを触っていた。

ずっと一人だった。

その頃から、自分は『物の声』を聴いていたのかもしれない。

唯一生き残った野盗が、震えながら這いつくばる。

ケイの瞳には、もう迷いはなかった。

この世界で生きていく。

その第一歩を、彼は静かに踏み出した。


三人は廃工場の奥へと進んでいく。

錆びた階段を上がり、薄暗い通路を抜け、埃にまみれた一角でようやく医療物資が詰まったクレートを見つけた。

「よし、これ。中身も……抗生物質、止血剤、消毒液……あたりね」

「持って帰るか

ケイが頷き、拓真とふたりでクレートを持ち上げる。

思ったよりも重いが、背負えるほどではあった。

帰り道、ふたたび何者かが現れることはなかった。

だが、工場を出る直前、ゆいが一度だけ振り返った。

「さっきの奴ら、他にも仲間がいるかも。警戒は解かないようにね」

その言葉に、ケイと拓真は無言で頷いた。

地上に戻ったとき、午後の光が廃墟を照らしていた。

ケイは、手の中に残る微かな銃の匂いと、鉄パイプの感触を思い出しながら、ふと小さく呟いた。

「俺……ほんとに、ここで生きていくんだな」

ゆいはそれに答えることなく、ただ前を歩き続けていた。


第10話「兆し」

ミッション報酬として2000円が加算されたスマホの画面を見ながら、ケイはカフェのテーブルでしばらく無言だった。 この数時間で起きた出来事――襲撃、初の戦闘、スキルの発現、それらが頭の中で渦を巻いていた。

「……これ、現実だよな」

目の前にあるカップの中の泡立ったミルクが、徐々に静まっていく様子をぼんやりと眺めながら、ケイは小さく呟いた。 テーブルに置かれたフォークが微かに振動し、気づかないうちに手が震えていることに気づく。

鉄パイプや銃を握ったとき、確かに“何か”があった。 それはただの戦いではなく、頭で考えるよりも速く、全身が反応していた。 構造や重さ、どこをどう持ち、どう使えば効果的か――それが一瞬で理解できていた。

「ケイ」

向かいの席からゆいが声をかける。カップの縁に口をつけたまま、一度も目を逸らさずにこちらを見ていた。 ラテの表面にはまだ薄くミルクの渦が残っており、ゆいの手はそれをゆっくりと回すように動かしている。 カフェの空調が少し強くなり、二人の間に置かれた紙ナプキンがふわりと揺れた。

ゆいはカップをそっとテーブルに置いた。陶器が木の天板に触れる音が静かに響く。

「ねぇ、ケイ。さっきの戦闘で、確信したんじゃない?自分に何かが宿ってるって。それ、ただの偶然で終わらせるつもり?」

ケイはしばらく黙っていたが、やがて頷いた。

「……いや、試したい。ちゃんと戦えるかどうか」

「よっしゃ、じゃあ決まり」

ゆいの笑みにはどこか満足げな色が滲んでいた。

その会話の間、拓真は黙って二人のやりとりを見つめていたが、不意に口を開いた。

「僕も、また行きたいです」

ケイとゆいが同時に顔を向ける。

「えっ?」

「もちろん、戦うのは無理だと思います。でも……今日、見てて思ったんです。ゆいさんもケイさんも、自分の役割をちゃんと持ってて、それがすごくかっこよかった。僕も……僕なりに、できることを探したい」

言葉にはまだ不安が残っていたが、目はまっすぐだった。 その真剣な表情に、ゆいが少しだけ目を細めた。

「へえ、意外とやる気じゃん。じゃあ、ちゃんと足引っ張らないでよ?」

「は、はいっ」

カフェの空気が少し和らぐ。 テーブルの隅に置かれたグラスの水が光を反射し、窓の外では夕闇がじわじわと広がっていた。 街灯が少しずつ点灯を始め、通りを歩く人々の影が長く伸びる。

三人は椅子を引き寄せ合い、タブレットを囲むようにして次のミッションを検討し始めた。

画面にはいくつかの候補が並ぶ。

・旧地下鉄構内のルート調査 ・廃病院での医療機器回収 ・武器庫跡地の探索

「この武器庫跡地ってやつ……俺、行ってみたい」

ケイが言った。

「理由は?」

「武器があるってことは、それだけ使う機会もあるかもしれない。でも、俺にとってはそれを触って、理解すること自体が訓練になる。手に取るだけで、“知れる”なら、それを繰り返すのが一番近道な気がするんだ」

「いいと思う」 ゆいが頷いた。

「敵がいるかどうかは場所次第だけど、武器庫ってことは警備や仕掛けが残ってる可能性もある。慎重に行こうね」

拓真は少し顔を強張らせたが、それでも強く頷いた。

「……僕、マップ調べておきます。地形とか、前に行った人の記録とか」

「助かる」

そのとき、カフェの窓の外に、一瞬奇妙な気配が走った。 夜の街並みに溶け込むように、フードをかぶった人影がこちらを見ていた。

「……誰か、見てた?」

ケイが声を潜めて言うと、ゆいも一瞬だけ目を細めて立ち上がる。

「外……誰もいないよ」

ガラス越しに確認したが、すでに人影は消えていた。 ただの通行人か、それとも――

ゆいは椅子に戻り、何気ないふりをしてカップを口に運んだ。

「この世界では、誰がどこで見てるかわからない。気を抜かないこと。覚えておきな」

「……ああ」

カフェの空気が、少しだけ冷たくなった。 拓真も黙り込んで、心なしか背筋を正して座り直す。

ゆいが空気を換えるように明るい口調で口を開いた。

「最初に鉄パイプを取ったとき、具体的には何が見えたの?」

「……見えたというか、流れ込んできた。重さ、形、重心の位置。どう振れば一番効くか、全部」

「ふーん。無意識の技術補完型。接触による戦闘支援ってところかな」

「……そんな分類があるのか」

「まぁ何となくね。体質とか、職能系とか、いろいろ。分類をわかってると、スキルの“進化”に影響する」

「進化……?」

「スキルは変わるんだよ。使い続けると。発動の幅が広がったり、精度が上がったり、別の機能が追加されたり……鍛えれば鍛えるほど、自分に合った形に育っていく。大まかに自分でもわかってないとね」

ケイは初めて聞く話に目を細める。

「スキルを育てる……か。そう考えると、ちゃんと付き合っていくべきなのかもしれないな」

「そ。あんたはこの世界で“戦える側”だよ、ケイ」

そう言ってゆいは、いつになく真剣なまなざしを向けてきた。

「それがどんなに貴重なことか、ちゃんと理解しなよ?」

それがどういう意味なのか―― ケイはその時まだ、理解していなかった。 だが、その言葉が静かに胸の奥に沈んでいくのを感じていた。

その夜、三人はそれぞれの思いを胸に、静かに夜のカフェを後にした。

明日の戦いに備えて。


第11話「武器庫の邂逅」

夕暮れの街を抜け、ケイたちは東区の地下区域へと向かっていた。 今回の目的地は「第七兵器庫跡地」。夢の世界に点在する“かつての戦場”の一つであり、現在は「探索型ミッション」の舞台として登録されている。

地下へと通じる階段は、かつて避難用に使われていたものらしく、ところどころに剥げかけた非常口のサインが残っている。 降りるたびに湿った空気が肌にまとわりつき、薄暗い世界へと足を踏み入れるごとに、現実との距離が遠ざかっていくようだった。

「……この感じ、現実じゃないってわかってても、ちょっと怖いですね」

拓真が不安げに呟く。

「夢の中でも、身体はちゃんと反応するってこと」 ゆいは足を止めずに言った。

地下通路は想像以上に長く、壁には錆びた配管がむき出しになっている。所々に打ち捨てられたパネルや破損した備品が転がり、瓦礫を踏みしめるたびに微かに響く音が、不気味な静寂を際立たせた。

途中、曲がり角をいくつか抜けた先に、古びた案内板が立てかけられていた。

『第七兵器庫 →』

矢印に従って進むと、通路の壁には無数の傷跡が残されていた。まるで何かの戦闘があったかのような、激しい衝突の痕。

「ここ……誰かが先に戦った跡ですか?」

拓真の声が震えていた。

「かもね。探索型ってことは、過去に何度も挑んだ奴がいたってこと。成功率が高いとは限らない」

ケイは周囲を見渡しながら、無意識のうちに足音の反響を数えていた。 静寂のリズムの中に、わずかな乱れ。 それが不安を増幅させる。

やがて、三人の前に、重厚なシャッターが立ちはだかった。 手動でしか開かないようで、三人がかりで押し上げると、金属の悲鳴のような音とともに、空間が現れた。

内部は広大だった。 鉄くずが散乱し、構造のほとんどが崩壊しかけている。兵器庫というより、爆撃された後の廃墟に近かった。

「……ここが武器庫……?」

拓真が目を丸くする。

「戦争の名残。夢の中とはいえ、何かが確かにあった場所だ」 ゆいがぽつりと呟く。

ケイは散乱した部品の中に、半ば埋もれた銃のフレームを見つけて手に取った。

「分解途中のパーツ……でも、構造はまだ使える」

触れた瞬間、例の“流れ込む”感覚が身体を走る。 重さ、材質、内部構造、破損箇所、そして修復方法。 まるで、無意識が機械を読み解いていくような感覚。

(やっぱり……道具である限り、スキルが反応する)

パーツをそっと戻すと、ふと空気が変わった。

――ギギギ……。

奥の通路にあったもう一枚のシャッターが、勝手に開いた。 開いた隙間から、ゆっくりと音が近づいてくる。

「……何か来る」

ゆいがカッターを抜く。

姿を現したのは、四脚の機械兵だった。

その姿は異様で、現実の技術とは隔絶した存在感を放っていた。全高は2メートルを超え、漆黒と鈍い銀色の外装は夜の闇に溶け込むような質感をしていた。鋼鉄の外殻には無数の擦過痕や焼け跡が刻まれ、まるで歴戦の戦士のような風格をまとっている。鋲で固定された装甲板の隙間からは、時折、内部の赤く脈打つエネルギーラインが覗き、機械の「生命」を感じさせた。

関節部は太く頑丈で、各脚の付け根にはショックアブソーバーのようなパーツが付随し、高速移動や衝撃吸収を意識した設計思想が垣間見える。膝にあたる部分には鋭利なブレードが格納され、接近戦を想定した兵装であることを示していた。

登場の瞬間は、まるで封印されていた兵器が再起動したかのようだった。空気に混じる微かなオゾンの匂いが鼻腔を刺し、機体の各関節がぎしぎしと軋む音が静寂を破る。床に落ちたその足音――金属の爪がコンクリートを叩く律動が、不気味に響き渡った。

頭部には巨大な単眼状のセンサーがあり、赤く回転しながらゆっくりとこちらを捉える。まるで『敵を認識した』という意思を持つかのように、ボディ全体の姿勢がわずかに前傾し、脚部がしなる。

ただの機械ではない。そこには、人間の動きを学習し、模倣し、超えるように作られた“兵器”としての自負すら感じられた。

センサーがゆっくりとこちらを捉えた。 回転する赤い光が、三人の顔を順に舐めていくように移動する。

「これは……戦闘用か」 ケイが低く呟いた。ゆいのこんな顔は初めて見た。盗賊に襲われたときでも表情を変えなかったのに。

「ぼ、僕……僕は、後方で支援しますっ」

拓真は息を詰まらせながらも、なんとか声を絞り出し、震える手でナイフを構えた。

「来るぞ!」 ゆいの叫びと同時に、機体が跳ねるように突進を開始した。

機械兵の動きに一切の無駄はなかった。 まるでプログラムされたとおりに、しかしそれ以上に『獲物を認識した』意志を感じさせる挙動。 その滑るような脚運びは静かで、それでいて確実に殺意を帯びていた。

初動は速い。視線を交わした瞬間には、すでに距離が詰まっていた。 ケイがパイプを構える前に、四脚のひとつが鋭く振り払われる。

「っ……ぐあっ!」

視界が揺れる。 機械兵の脚部が閃いた瞬間、異様な加速で間合いを詰めた機体の一撃が、ケイの腹部に深々と突き刺さるように突き上がる。

身体はまるで紙のように宙に浮き、次の瞬間、背中から鉄板へと叩きつけられた。 重い衝撃が肺を潰し、息が一気に抜ける。

(……速い)

「ケイ!」

ゆいが高く飛び出し、カッターを構えて切りかかる。その刃は迷いなく頭部へと向かう。

しかし、機体はわずかに上体を引き、わずか数センチの余裕でその一撃を回避した。

(かわされた!?)

瞬間、ゆいは舌打ちし、着地後すぐに間を詰め、反射的にカッターを振り直して連撃を加える。 鋭い刃が空を裂きながら、機体のセンサー、関節、駆動軸を狙って高速で斬りかかる。

だが、機械兵はまるで刃の動線を読み切っているかのように、身を低く沈めたかと思うと横へ跳ね、刃を紙一重で回避する。 その直後、反撃とばかりに脚部を回転させながら斜めに振り下ろしてきた。 ゆいは咄嗟に肩をひねり、胴をかすめる寸前でバックステップ。 空を斬った脚が床を抉り、鋭い音と共に金属片が飛び散る。

「全員伏せて!」

叫ぶと同時に、カッターのリーチが異様に伸びる。 カチリという金属音と共に、カッターは全長10メートルほどに展開された。 ゆいの身体が中心軸となり、刃が円を描くように部屋中を薙ぎ払う。

壁、棚、天井――全てが切り裂かれていく。

鋭い風圧が吹き荒れ、ケイも拓真も床に伏せる。 部屋が裂ける音と振動の中、唯一機械兵だけが、まるで跳躍のタイミングを読んでいたかのように宙へ舞い上がる。

「……飛んだ!?」

空中でカッターをギリギリで回避し、機体は床に貼り付くように着地。

「チッ、しぶといな」

ゆいは低く呟きながら、すぐに刃を引き戻す。カッターの接合部が焼け焦げていた。

刃を交換しようとした、その刹那。

「くそっ!」

機体が爆発音とともに瞬時に距離を詰めてくる。その鋭利な脚部が振り下ろされる寸前、ゆいは咄嗟にもう片方の服の袖からノコギリ状の刃を引き抜き、クロスするように受け止めた。

ノコギリを脚部に食い込んでいいる

「だから嫌いなんだよ……こういう脳みそないヤツは!」

脚部に食い込んだノコギリを引き抜きながら削る。ノコギリは精神力を削る。機械相手では全く意味はない。

「……マジで効かねぇな、クソが……!ただの屑鉄のくせに、生意気に動いてんじゃねぇよ!」

ゆいの呼吸が荒くなり、瞳がわずかに濁る。明らかに精神の均衡が乱れ始めていた。

「……あんな長さの刃、相当精神力削られたんじゃ」

ケイが眉をひそめながら呟いた。

新しい刃を使うほど、ゆいの精神は不安定になっていく。それを知っているからこそ、心の奥底で不安が募っていく。 それでも一歩も退かず、ゆいは機械の目前で踏みとどまり、睨み合いを続けていた。

(精神力を削れないならゆいと相性が悪い。)

「……まずいな」

ケイは思わず呟き、ちらりとゆいに目をやった。 あの刃を使えば使うほど精神の負荷が大きい。このままでは危険すぎる――

(……でも、今なら)

機械兵のセンサーはゆいに釘付けだ。 あの一撃を受けてから、機体の注意は完全に彼女へと向いている。チャンスはこの一瞬しかない。

ケイは奥歯を噛み締め、パイプを構え直した。 「今しかない……ッ!」

静かに息を吸い、無音で踏み出す。 機械の死角を突いて、背後から一気に距離を詰めた。

だが――

センサーが赤く光った。 「――バレた!?」

機体が突如、脚部を反転させるように振り上げた。 その軌道はまさにケイの接近を待ち構えていたかのよう。

「っ、ぐっ……!」

脚部の回転が唸りを上げ、機械兵の脚がケイの左脇腹を正確に打ち据えた。 その衝撃で身体が弧を描きながら宙を舞い、脇腹に電流が走るような痛みが走る。 次の瞬間、背中から斜めに吹き飛ばされ、壁材を砕いて半ば埋まるような形で崩れ落ちた。 石膏の破片と粉塵が舞う中、口から短く息が漏れ、肋骨のあたりに鈍い激痛が残る。

「ぐっ……っ、クソ……」 ケイは身体を起こそうとするが、指先に力が入らない。

「……読まれてた……」

ケイの攻撃は届く前に、またもや一撃で弾き返された。 空中に浮いた身体が壁に激突し、鈍い音と共に床へと崩れ落ちた。

機械兵の赤いセンサーが高速で回転し、三人の動きの軌道を読み取っている。 ただの視覚的な判断ではない。

(行動の“先”を読んでる。反応速度だけじゃない、動きを解析して予測している……!)

ケイはその異様な戦いぶりに、まるで自分達が玩具にされているかのような錯覚を覚えた。

再び機械兵が突進してくる。回避する暇もなく、ケイは咄嗟に腕で受ける。 が、質量の差が違いすぎる。身体が弾かれ、壁に背中をぶつけ――そのまま壁を貫通して、後方の隣室へと叩き飛ばされた。

「……っが……っ!」

鈍い音とともに床へ崩れ落ちるケイ。鉄くずと埃が舞う中、全身が痺れたように動かない。指一本さえ持ち上がらず、息もまともに吸えない。

(……マジかよ……何も……動かせない)

脇腹から鈍い痛みが全身に広がり、視界は霞み、音が遠のいていく。

(死ぬのか……俺、ここで……)

だがそのとき、腹部に走った衝撃の名残から、確かに“何か”が皮膚に触れていた感覚があった。

(……触った。……わかった)

骨格、回路、駆動軸、モーターの配列、冷却効率、負荷領域……。 まるで立体的な設計図が脳裏に浮かび上がる。 それは言葉ではなく、構造として“理解”される感覚だった。

(相手が人じゃない、機械……道具だ。だから、わかる)

「脚部の第五関節、支柱からの反転トルクで応力集中……こいつ、そこが限界点……!」

ケイは深く息を吸い込み、床に手をついて立ち上がる。腹部は血にまみれ左手は粉砕骨折でもしているのだろう ピクリとも動かない  手に取ったパイプを逆手に構えた。

「見えたぞ……弱点が!」



【あとがき】

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を込めて――

この物語に少しでも何かを感じてもらえたなら、それ以上の喜びはありません。

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