序章「はじまり」
2050年5月。季節外れの黄砂が窓を曇らせる午後、俺はカップ焼きそばの湯切りに失敗していた。
「あっつ……またかよ……」 フリーター生活も5年目に入った。
バイトは週3、あとは家でYouTubeか、最近はよく寝てる。
人生に“起伏”という文字はなく、代わりに“既読スルー”だけが積み重なる。
そんな俺の部屋に、不釣り合いな音が鳴った。
「ピンポーン」 インターホンの音。こんな時間に? 宅配は何も頼んでない。Amazonもヨドバシも、何も― ドアを開けると、そこには小さな段ボール箱。
差出人不明。伝票も白紙。宛名だけが、手書きでこう記され ていた。
「未来のあなたへ」
このときの俺はまだ知らなかった。この箱が、“時間”を揺るがすスイッチになることを。
第1話「目覚め」
目を覚ました。
――いや、たぶん、ずっと起きていたのかもしれない。
時間は、午前2時47 分。 部屋の照明は落ちたまま。
外は雨。 そのくせ、空気は妙に明るく、どこか光が滲んでいるようだった。
雨音は小さく、やけに遠い。 まるで自分の部屋が、音のない水槽の中に沈められているような感覚。
耳鳴り とまではいかないが、世界の音が一枚膜をかぶっているような違和感が、静かに皮膚の内側を撫でてくる。
カーテンの隙間から街灯のオレンジが漏れて、 流しに落ちたカップ焼きそばの麺が、乾いたままへばりついていた。
まるで数日放置されたかのような、くすんだ色味と乾燥具合。 実際にはほんの数時間前に、俺はこれを作ろうとして、湯切りに失敗したはずだった。
「……あれ、湯切り……」
つぶやいた声が、異様にクリアに部屋の壁に反響する。 晩飯を食べようとしたときの記憶。確かにミスった。
でも、そこからの記憶がない。 寝落ち……にしては変だ。
目覚めたとき特有の、あの背中の汗も、首のこりも、どこにもない。
むしろ、目だけが冴えすぎている。 気味の悪さを押し込めるように、ソファの背にもたれて大きく息を吸い込む。
空気の匂いもいつもと違う。 部屋の匂い……ではない。 外気が入り込んでいるような湿っぽさ、でも雨の匂いでもない。
表現しづらい が、“無臭の違和感”とでも言えばいいのか。 そのとき、スマホの通知音が鳴った。
あの、LINEの“ピコン”という音。 でも、どこかで聞いたことがあるは ずなのに、耳に引っかかる。
(通知?)
なんとなく画面を開く。無意識だった。 指が勝手に動いたような錯覚すらある。 目の前の光に吸い寄せられ るように画面をタップする。
差出人は「システム」。 アイコンはグレーの歯車。 ふだんなら、怪しいスパム扱いで即ブロックするところ だが、なぜかこのときは、
“それが来ると知っていた”ような気がした。 そして表示された内容が、思考の流れを一気に止めた。
【N:ARK接続完了】 【ランク:E】 【所持通貨:52,347円】
その瞬間、 目が一気に冴える。 52,347円。 俺の現実の 銀行口座残高と、完全に一致している。 アプリでも、登録した覚えのあるサービスでもない。
なのに、“寸分違わない金額”が、ここにある。 財布の中身を足しても、ほぼこの数字に合致する。
たまたま――というには、あまりに正確すぎる。 誰かが 俺の口座を覗き見たかのような精度。
「……は?」 無意識に漏れた独り言。 その音が、まるで別人の声のように耳に響いた。 音が部屋に“張り付く”感じがする。
本来、声というのは空間に溶けていくはずなのに、この部屋ではどこにも吸収されず、ただ壁に当たって返ってきているだけのような……そんな妙な音の密度。
立ち上がって、部屋を見回す。冷蔵庫を開けてみる。 中には麦茶のボトル、前に買った納豆、少しだけ残ったレタス――すべて現実の通り。テレビのリモコンを押す。
番組は深夜帯の通販番組。昨日見たタレントが同じ商品を紹介している。 「現実」だ。 どう見ても、どう聞いても、これは現実の部屋だ。
でも“現実の気配”が、ない。 なんというか―― この空間そのものが、俺の記憶から再現された“ハリボテの部屋”みたいな感覚が、胸の奥 でジワジワと広がっていく。
いつもなら聞こえるはずの上の階の足音も、外を走る車の音も、通り過ぎる人の気配も、何もない。
「……夢、なのか?」
けれど、その言葉だけが、今の俺にしっくりきてしまっていた。
第2話「空白」
序章「はじまり」
2050年5月。季節外れの黄砂が窓を曇らせる午後、俺はカップ焼きそばの湯切りに失敗していた。
「あっつ……またかよ……」 フリーター生活も5年目に入った。
バイトは週3、あとは家でYouTubeか、最近はよく寝てる。
人生に“起伏”という文字はなく、代わりに“既読スルー”だけが積み重なる。
そんな俺の部屋に、不釣り合いな音が鳴った。
「ピンポーン」 インターホンの音。こんな時間に? 宅配は何も頼んでない。Amazonもヨドバシも、何も― ドアを開けると、そこには小さな段ボール箱。
差出人不明。伝票も白紙。宛名だけが、手書きでこう記され ていた。
「未来のあなたへ」
このときの俺はまだ知らなかった。この箱が、“時間”を揺るがすスイッチになることを。
第1話「目覚め」
目を覚ました。
――いや、たぶん、ずっと起きていたのかもしれない。
時間は、午前2時47 分。 部屋の照明は落ちたまま。
外は雨。 そのくせ、空気は妙に明るく、どこか光が滲んでいるようだった。
雨音は小さく、やけに遠い。 まるで自分の部屋が、音のない水槽の中に沈められているような感覚。
耳鳴り とまではいかないが、世界の音が一枚膜をかぶっているような違和感が、静かに皮膚の内側を撫でてくる。
カーテンの隙間から街灯のオレンジが漏れて、 流しに落ちたカップ焼きそばの麺が、乾いたままへばりついていた。
まるで数日放置されたかのような、くすんだ色味と乾燥具合。 実際にはほんの数時間前に、俺はこれを作ろうとして、湯切りに失敗したはずだった。
「……あれ、湯切り……」
つぶやいた声が、異様にクリアに部屋の壁に反響する。 晩飯を食べようとしたときの記憶。確かにミスった。
でも、そこからの記憶がない。 寝落ち……にしては変だ。
目覚めたとき特有の、あの背中の汗も、首のこりも、どこにもない。
むしろ、目だけが冴えすぎている。 気味の悪さを押し込めるように、ソファの背にもたれて大きく息を吸い込む。
空気の匂いもいつもと違う。 部屋の匂い……ではない。 外気が入り込んでいるような湿っぽさ、でも雨の匂いでもない。
表現しづらい が、“無臭の違和感”とでも言えばいいのか。 そのとき、スマホの通知音が鳴った。
あの、LINEの“ピコン”という音。 でも、どこかで聞いたことがあるは ずなのに、耳に引っかかる。
(通知?)
なんとなく画面を開く。無意識だった。 指が勝手に動いたような錯覚すらある。 目の前の光に吸い寄せられ るように画面をタップする。
差出人は「システム」。 アイコンはグレーの歯車。 ふだんなら、怪しいスパム扱いで即ブロックするところ だが、なぜかこのときは、
“それが来ると知っていた”ような気がした。 そして表示された内容が、思考の流れを一気に止めた。
【N:ARK接続完了】 【ランク:E】 【所持通貨:52,347円】
その瞬間、 目が一気に冴える。 52,347円。 俺の現実の 銀行口座残高と、完全に一致している。 アプリでも、登録した覚えのあるサービスでもない。
なのに、“寸分違わない金額”が、ここにある。 財布の中身を足しても、ほぼこの数字に合致する。
たまたま――というには、あまりに正確すぎる。 誰かが 俺の口座を覗き見たかのような精度。
「……は?」 無意識に漏れた独り言。 その音が、まるで別人の声のように耳に響いた。 音が部屋に“張り付く”感じがする。
本来、声というのは空間に溶けていくはずなのに、この部屋ではどこにも吸収されず、ただ壁に当たって返ってきているだけのような……そんな妙な音の密度。
立ち上がって、部屋を見回す。冷蔵庫を開けてみる。 中には麦茶のボトル、前に買った納豆、少しだけ残ったレタス――すべて現実の通り。テレビのリモコンを押す。
番組は深夜帯の通販番組。昨日見たタレントが同じ商品を紹介している。 「現実」だ。 どう見ても、どう聞いても、これは現実の部屋だ。
でも“現実の気配”が、ない。 なんというか―― この空間そのものが、俺の記憶から再現された“ハリボテの部屋”みたいな感覚が、胸の奥 でジワジワと広がっていく。
いつもなら聞こえるはずの上の階の足音も、外を走る車の音も、通り過ぎる人の気配も、何もない。
「……夢、なのか?」
けれど、その言葉だけが、今の俺にしっくりきてしまっていた。
第2話「空白」