魂格の高い者と低い者の関係+コラム「魂の成長度100%になるとどうなる?」

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前回、魂格の高い者(以降、魂格者と略す)は物事に囚われないため、そのことが魂格の低い者にとって辛く感じるということを記したが、それは「実際の魂格が高くても、その者の人格(の評価)も高いとは限らない」そのメカニズムについて解説したに過ぎない。

人間関係の衝突は、互いの価値観をぶつけなければ起きない。犬好きと猫好きが普段争うことはないが、「家で飼うことができるのはどちらか一匹だけ」という状況下で、どちらの派閥も譲ることができないときに、対立と衝突が起こる。

魂格者は自分の価値観を相手にぶつけることがないため、衝突自体が起こらないのだ。

魂格に差がある場合は、魂格者が、魂格の低い者の価値観に歩み寄る形になることが多い。ただ、歩み寄るという言葉は正確なニュアンスを表していない。
その人の価値観のテリトリーに深く関わらせていただいてる、その人の価値観という制限の中で自分自身を成長させていただいてると捉えて、感謝と尊重の意識が強い。魂格者は人との違いを楽しむことができるのだ。

私たちは魂を磨くため、この地球に生まれて重力と肉体の制限を受けて修行をしているようなものだが、そこにさらに相手の価値観が加わっていると考えるとイメージがしやすい。(ただし、魂格者にとって修行=辛いという意識はあまりない)


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《コラム》
「魂の成長度100%になるとどうなる?」

私の話になりますので調を変えます。理論や説を書くとき格式を高めていますが、私個人の話は緩く聞いてくれたらと思います。

Hakuhoさんから「大学を卒業した人が再び大学受験しないようなもので、あなたは魂の課題を免除されています。もうこの世界に生まれてくることはありませんね~。」と言われて魂の成長度、魂格という概念を知りました。

「免除ということは実は僕の成長度低かったりします……?」と聞くと「100%ですよ笑」と返ってきてホッとしたのを覚えています。自分自身を振り返ったときに成長度100%ではなかった時期がなんとなくわかるので、その意識の差を書いておきます。

もともとの私は正義感と、自分の内側から響く声や感じたことに忠実であろうというのが強すぎて、相手に自分の価値観をぶつけて、結果人が離れるということが若いころ(10代~20代後半)に不定期にありました。今回の記事でいうと、衝突の原因を自分で作り出していた、と。

魂格が最大まで上がるとは、魂の成長度が100%になるということですが、この状態になってからは、相手の魂にも天(神性)が存在すると感じられるようになり、相手の中にある考えや価値観を大事にしたいという気持ちになりました。

私に残された課題がたまたまそれだったのか、100%になった人だけが感じられる境地なのかは断言できませんが、自分自身の神性に気づくという段階がプロセスの最終点にあるとすれば、相手の中にある神性を感じる力は成長度100%以降に、自ずから気づくのではないかと仮説しています。もしくはそのような心掛けが、魂の成長に繋がったのかもしれません。

相手の中にある神性は、いわば相手の世界における重力のような物理法則なので、コントロールできるようなものではありません。良い悪いという判断自体がなくなります。それは自分の世界から見た感想に過ぎないからです。

もちろん、魂を磨く上での良し悪しはありますが、その人にとって必要な経験をまさにしているところだから、「これこれ人の悪口ばかり言ってたらいけないよ」とこちらからわざわざ説くようなことはしません。

人と生きていくには、お互いにそれぞれの世界観をよく知り、歩み寄っていくしかありません。相手の世界観を知るということは、漫画を読んだり、映画を観たりする感覚に似て楽しいです。そして面白いなと思った考え方は、自分の世界観に反映させていきます。これは私に関わらず、多くの人も無意識にされていることでしょう。

私の場合は特定の人だけの世界観を認めるのではなく、全方位で尊重し面白いと思えるところが変なところです。

人の数だけ別の世界があると心の底から感じられることは、とても面白いことです。それは自分の中にたくさんの価値観を収集し保存できるということなのですが、場面場面で採用する価値観によって自分の考えていることが世間から離れて自由すぎたり、考えてから行動するまでが早すぎたりして、関わっている方がついていけず、距離が近い方だとお互いのフィールドを重ねて生きているわけで、時には自分の採用する考えそのものが相手を傷つけてしまうことがあります。

こうなると相手の価値観を大事にしたいという自分自身の信念と矛盾してへこみます。「しまった採用する価値観を間違えた!」となるんですね。人ってそんなに簡単に価値観を取り外しできるものなの?と思うかもしれませんが、大変困ったこと(?)に私はできます。だから自分自身でも中身が空っぽだなと思うわけです。このあたりの話はプロフィールをご覧ください。

成長度100%であっても落ち込むときは落ち込むのですが、主体性がなければ魂は磨けないという構造上、こういった心理は当然といえば当然です。

嬉しいことも悲しいこともまとめて「生きる」醍醐味であって、孤独ではない恵まれた証拠なのだと思います。魂格は自分で上げるしかありませんが、一人だけで成長していくことは難しいですから。

それでも、魂の成長度100%だと楽しいことのほうが圧倒的に多いです。面白く生きていきたいなら、ノウハウで生きるのではなく、魂格を上げて存在で世界を照らす生き方をお勧めします。

コラムは楽しんでいただけたでしょうか。コラムでは、実体験を軸に話を書いていきますね!

(この記事は私が執筆サイト『オーラ理論 from Rusic』からの転載です)


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