こんにちは☆
tomoです。
今日は2回目のブログを書いてみようと思い、ここに書き始めます。
テーマは決まっていないので、近況のなかで感じたことなんかを書こうかなと思っています。
先日、お花を見に、市内の公園に出かけました。
僕は北海道なのですが、ミモザが咲いていました。
いくつかの写真とともに、お話していきましょう。
※写真はレタッチ等まったくしておらず原画像なので、お見苦しい点はご了承ください。
今年は北海道も春が早く、雪解けが進んでいて、心もなんだか解放されたような心地です。
雪解けと同時に、車のスピードも速くなり、事故も増えていますが…笑
読んでいる皆さんもお気を付けくださいね。
ミモザのほかにもいろいろな花がありました。
ちょうど半分で色が分かれているお花でした。(名前は忘れました)
とてもかわいいお花でした。
そして僕が面白いと感じたのはこのお花でした。(これも名前は忘れてしまいました)
写真が横向いてしまっていて申し訳ありません。
実は、縦の写真なんです。
縦で見ると、キツネの顔に見えることから、お花の名前にはフォックスが入っていたと記憶しています。
そして、角度が違うと全然キツネには見えないのです。
「見る角度」って、面白いなと思ったお花です。
心理学や福祉の世界では特にだと思うのですが、「多角的」に物事や人を見ていく事が求められます。でもそれって、専門家だけの話ではなく、日常生活、社会生活、子育てなど様々な場面で活用できる考え方だと思っています。
「相手の立場に立って考える」
前はできていたのに、できなくなってきたと感じ、反省されている方も多くいるのではないでしょうか。
それはあなたが悪いわけではないんですね。
そもそも社会が忙しい。それは人々の生活にも影響します。
そして、良くも悪くも自分を大切にする時代。
自分を大切に考えることはとても大切なこと。でも、自分だけを大切にするという意味ではないと考えています。人と違うことあるいは同じことを互いに尊重しあい、無条件にそれぞれの「人」が尊重される。
それが個を大切にする本質だと考えています。
放置や放任、無関心ではないと思うのです。
しかしまたそれも、僕の考え方の一つでしかない。
これも事実。
花も、同じ鉢・土に咲いていても、顔がみんな違うんですね。
人は、個々を見ても、ほかの花と合わせた全体を見ても、
美しい・かわいいと感じます。
でもきっとその中にはつぼみや、つぼみにもなっていない花、虫に食われた葉、虫そのものもいたり、葉っぱの一部はかれていたり、何かの病気だったり、いろいろなことが隠れている(見えていない)わけです。
それでも美しいと感じるのにはきっと理由がある。
それをわざわざ矢面に否定することは、不毛ではないかと思うのです。
それが僕の考えです。
僕は実際生活の中でも、否定的な態度や言葉がとても苦手です。
必要なこともある、それは理解していますが、
不要な否定は感情的で、相手への押しつけやコントロールを感じてしまう。
それぞれの良さを認め伸ばし、悪さも「その人」として受け入れていけたらいいなと、日々職場でも考え、仲間と接しています。
この花は、隣に並んでいるけれど、
咲いている花、つぼみの花、つぼみ始めようとしてる花、
三者三様です。
これで良いと思うし、これが現実社会なのだから、
それを自分の力でコントロールすること自体がまず、不毛なこと。
きれいな花を見てほっこりするあの気持ちを忘れずに、日々・人をたいせつに生活をしていきたいものですね。
では、また。
tomo☺