最近、お気に入りのユーチューバーが「自分が作り上げた動画をパクられた」と動画で言っていました。
そのユーチューバーは、それこそ手間暇を掛けて資料を丹念に調べ上げていて、それが観ていてるだけで分かるほど。とても丁寧に作っていてとても好感を持っているのでとても気に入ってまして。
その制作物が他のユーチューバーに無断使用されているとなれば、相手を非難する気持ちにもなるよな〜と。労力をかけたものであればあるほど、パクられたことが分かった時の落胆は大きいものだろうとも思います。
で、始末が悪いことにパクリ指摘されたユーチューバーも、自分がお気に入り登録していたチャンネルだった・・・。う〜ん、後味悪すぎ。
パクったと言っても、数あるうちの数本の動画だったりするから全てではありません。しかし、一度こういうことが露呈すると『他の動画もパクってんじゃないの?』と言う印象が根付いてしまって、純粋に楽しんで視聴できなくなります。
◆ パクるリスク
やっぱり、パクリが露呈した時のリスクってデカいよなーって改めて思いましたよ。それこそYoutubeなんて、自分が試聴している動画の類似チャンネルを勝手にリストアップしてくるから、視聴者層が重なってることも多いわけで。そうなるとパクられた側が告発すると、早い段階で情報が拡散します。
露呈した時のリスクは、
◉ 批判コメントの増加
↓
◉ チャンネル登録者の減少(視聴数の減少)
↓
◉ 訴訟リスク
こんなところかな?
まず「批判コメント」に対応していたら時間も労力もかかるし、放置していたらこれまた批判の対象になってしまいます。
次に「チャンネル登録者の減少」。これまで動画を更新し続けてきて少しずつ増やしてきた登録者が一挙に離れていくのだから心理的なダメージは大きいですよ。何よりYoutubeの広告収益が減少すれば、それこそ自分の生活にも影響しかねなません。
そして最後に「訴訟リスク」。明らかな権利侵害があれば訴訟リスクもつきまとうわけで、訴訟されるかどうか不安を抱えたり、いざ訴訟となれば弁護士費用のことも考えなければならなくなります。
良いことなんて一つもないんだけど、パクる側の気持ちも分からなくもありません。
◆ パクる側の気持ち
Youtubeって、動画がどれだけ視聴されるかで広告収益に影響するから、それこそ興味を惹く動画を更新し続ける必要があります。
と言うことは、その動画のネタを構成して、素材を集め、編集をする。この作業をひたすら繰り返していくわけですよ。
クリエイターの立場からすれば、ネタを量産し続けるプレッシャーもあるでしょう。ネタ切れになる恐怖もあるかもしれない。他のユーチューバーのバズってる動画を見て焦りを感じることも。
そうなると、他のチャンネルを見ていて「おっ!これは使えそう」となることもあるでしょうし。ただここからが問題。
他チャンネルからインスパイアを受けるまではいいんだけど、自分が楽したい気持ちと、新たにイチから調べるとなると時間もかかる・・・自然と素材や情報・構成まで同じようなものを作ってしまいます。
結果パクリです。
そして動画を挙げてひとまずホッとするのも束の間。今度は『いつかバレるんじゃないだろうか?』『バレた時はどう言い訳しようか?』なんて雑念に覆い尽くされるでしょう(人格がマトモであればあるほど)。
◆ 他人のものから拝借するときに必要なこと
そもそも指摘されている動画が丸パクリと言うわけでもないようなので、著作権や肖像権を侵害しているわけではないみたいです。しかし法的な問題ではなく、パクリ元となった動画作成者に対する真摯さが足りないと思うんですよ。
しかも一般視聴者は法的な正しさで判断するわけじゃないですし。冒頭にも書いたように「印象(イメージ)」で判断してしまいます。だからこそ、相手にリスペクトを持った対応が大切だと思うんです。ではリスペクトを持った対応とは何か?
それは、
⇨ 相手の作成労力に対する敬意
⇨ 許可を得るための行動
⇨ 作成したものに参考資料として示す
たったこれだけのことです。しかしこれだけのことを行わなかったがために、余計な労力と心的ストレスを抱えることになるのです。
もちろん許可が必ず得られるわけではありません。しかし、それを行うことで自分の行動を自制し、パクると言う行為を未然に防ぐこともできると思うわけです。
今の世の中、自分がゼロから作り上げるものって少ないと思うんですよ。どのようなものにも元となる素材があったり、影響を受けたり、要素を使わせてもらったり。
それを総合して、自分の解釈を加えて自分のセンスで作ることで、それが自分の制作物として認知されるわけです。
Youtubeなど何かを生み出していくクリエイターは大変なこともありますが、参考元の著者・製作者に対してオマージュ・インスパイア・リスペクトの気持ちを忘れずに作っていって欲しいと思います。
なぜならクリエイターにとって、自分が作り上げたものは「魂」そのものなのですから。