【電話してやろうかしらん?】

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コラム
 今日は、またまた恥を忍んでの自己開示。
 「関西いのちの電話」の養成員受講講座、
 面接で落とされて受講ができなくなった。
 人数制限があり、諸々の事情を考慮した
 上で、幾人かはその憂き目を見るのだが、
 自分がその中に入ったのは実に情けない。
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 これは、何もスキルの問題ではないのだ。
 人数制限がある中で、先方の都合に合致
 する人材を優先しようとすれば将来的に
 開業を志している私などは、活動に集中
 することが困難であると勝手に判断され、
 本来は、誰もが参加できることが建前の
 こうしたボランティアからでさえ爪弾き
 にされてしまう。もっとも、面接の際に
 恐らく先方が私に抱いた印象以上に私が
 先方に抱いた印象が悪かったので、多分
 そうなるだろうし、それでよいと思って
 はいた。しかし、実際にこうして落ちて
 みると、希望者が参加できないこうした
 ボランティアには意味などないようにも
 思えてくるし、試しに自分自身が電話を
 して、「いのちの電話」に今抱いている
 不満をぶちまけてやりたくもなってくる。
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 そもそも、私は面接が苦手だ。何につけ、
 面接を要するとなると途端に受かる気が
 しなくなる。あまり正直過ぎて言う必要
 のない不利なことまで言ってしまう自分。
 自分を良く見せられない自分。真の力を
 伝えられない自分。面接ではそんな自分
 しかいない。そして、一度きりの面接で
 私の価値を見抜ける優れた面接官になど
 滅多にお目にかかれるものではないのだ。
 かくして、私の不遇の時はまだまだ続く。
 次の募集の時に私が応募できるかどうか
 分からないが、もしも応募するとしたら、
 前回爪弾きされていること、そのことで
 傷ついていることを訴え、優先的に講習
 を受けさせるように要求したいところだ。
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 と、これだけならただの愚痴に過ぎない。
 しかし、「学びは歪んだ環境の中にこそ
 ある」というのが私の持論であり、この
 タイトルで電子書籍第二弾を現在執筆中。
 手前味噌だが、ここまで世間から爪弾き
 にされなければならないほど価値のない
 自分だとはどうしても思えず、本来なら
 評価されてしかるべき実力を見逃されて
 いるというのが私自身の見解なのである。
 これまでも、仕事の力自体はありながら、
 周囲の目が曇っていたために評価されて
 こなかった。以前に最終面接までいった
 電話相談員や今回の「いのちの電話」も
 同じこと。自分が評価されるように努力
 するのと同様に、周囲の見る目も必要で、
 周囲に曇った目で間違った評価をされて
 いる今の歪んだ環境の中で何を学ぶのか。
 これが、今の私にとっての大きな課題だ。
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 駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
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