【もしもメールができたなら】

記事
コラム
 今から四半世紀以上昔になるが、当時の
 私は、ワーク・ライフ・バランスなどは
 どこ吹く風。脇目もふらずに仕事に精を
 出していた。自己肯定感の低いアダルト
 チルドレンだけに、自分から告白をする
 ことはないが、向こうも私を好きでいる、
 ということも職場内であったようである。
────────────────────
 私の恋愛パターンは、ほぼ決まっていて、
 いつも見る方向を違える、というものだ。
 私がAさんを好きでいる時に、Bさんが
 私を好きでいる。だが、私はAさんしか
 見ておらずBさんの気持ちに気づかない。
 かくして、私は、Aさんへの恋は叶わず、
 Bさんには、私への恋が叶わないという
 悲しい思いをさせ、後には何も残らない。
────────────────────
 十代から二十代にかけての若かりし頃は、
 このようなことが何度かあったようだが、
 四半世紀以上昔、職場であった淡い恋の
 顛末は、一生忘れられないし悔いも残る。
────────────────────
 初めて二人で食事し、初めてクリスマス
 プレゼントを贈り、初めてバレンタイン
 に手作りクッキーをもらった彼女。あれ
 ほど私との交流を自分にとって好ましく
 大切なものとして積極的に求めてくれた
 人は他にはいない。殺伐とした業務の中、
 甘えられたり、食事に誘われたり、心が
 温まるメッセージを書いたメモをそっと
 渡してくれたり、どんなに慰められたか。
 ひょんなことから彼女の気持ちは知って
 いたので、自分の方でも憎からず思って
 いるのだから、お互いの思いを打ち明け
 合う機会を作ればよかったのだが、自己
 肯定感の低さから、それができなかった。
 迂闊に動いて関係が壊れるのが怖かった。
────────────────────
 あの頃は、誰もが携帯電話を持っている
 時代ではなかった。メールやLINEも
 勿論ない。当時は仕事が忙しくて彼女と
 向き合う時間が持てなかったが、今なら
 こうしたサービスを利用して、何とでも
 やりようはある。もしも、あの頃メール
 だけでもできていれば、当然アドレスを
 交換して毎日やり取りしていただろうし、
 LINEにしても同じこと。今の若者は、
 少なくともその点において恵まれている。
 私も、あの頃、メールやLINEで毎日
 彼女とやり取りできておれば、お互いの
 気持ちもスムーズに伝えられ、前向きに
 関係を深められただろうし、そうなって
 おれば、我が人生も今とはかなり違って
 いた筈だ。少なくとも、彼女には想いが
 叶わない悲しみを味わわせずに済んだし、
 私も、出世街道を外れて職を転々浪々の
 挙句、躁鬱病を患ったりカウンセラーに
 なるようなこともなかっただろうと思う。
────────────────────
 若かりし頃の一つの恋の行く末が、後の
 人生を大きく変えた。何より、彼女には
 どんなに詫びても済まないことになった。
 あの頃、もしもメールができたなら……。
────────────────────
 もしもメールができたなら
 (「もしもピアノが弾けたなら」替え歌)
 もしもメールができたなら
 アドレス交換直ぐにして
 言葉毎日交すだろう
 気持ち言えないその時や
 仕事に疲れた真夜中や
 顔の見れない寂しい日
 だけど あの頃メールはない
 想い伝える術もない
 心の扉は閉じたまま
 言いたい言葉が出てこない
 あああ ああ あああ ああ
 ああああ 出てこない
 もしもLINEができたなら
 互いのコードを読み取って
 コミュニケーション図るだろう
 朝な夕なに挨拶や
 気持ちのこもったスタンプや
 何気に撮った写真など
 だけど あの頃LINEはない
 想い言い合うこともない
 互いの心は最後まで
 伝わることなく涙する
 あああ ああ あああ ああ
 ああああ 涙する 
────────────────────
 駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
替え歌12.jpg

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す