資質なき選考・人事評価

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誰しも人生には波があると思うが、私の場合もご多分に漏れずに、人並みの、いや、人並み以上の荒波に翻弄され続けてきたと 言っても過言ではない。 
 特に、仕事においては、やっとこうして心理カウンセラーとして世のため人のために尽くそうと志すまでには、「上司からのパワハラを社長に訴えたら当該上司に謝罪するか退職するかの二拓を迫られた」だの、「横領して失踪した前任者の後始末を何のレクチャーも協力もなく丸投げされた挙句に全てを自分一人の責任にされて下の者に泣かれるなどして心身ともに病んだ」だの、「自分が席にいるのに自分にかかってきた電話に勝手に応対したことに対する注意を逆恨みされてコミュニケーションにおいて長年他者と差別化され続けた挙句に勝手な言いがかりをつけて追放同然に契約終了とされた」だの、「求人票は正社員で事前に何ら説明がなかったにも関わらず試用期間終了後に誤った評価で業務内容と雇用形態を一方的にアルバイトに変更された」だの、理不尽と不条理が続いた結果、何度も失職、ハローワーク通いを余儀なくされてきた。  
 そこで止む無く多くの会社に面接に行くことになるのだが、後を絶たないのは行く先々での面接官の不適切な言動である。 「独身か?」「子供はいるのか?」の他、本籍・住居及びその環境・家族構成や家族の情報・資産・思想に関する質問や、男女雇用機会均等法に抵触する質問等は、就職差別に繋がる恐れのある不適切な質問だと厚生労働省やハローワークが厳しく禁じているが、今でも面接でその類の質問は日常茶飯事で、私自身、「何故、八尾に住んでいるのか」「月に幾らあれば生活できるか」の他、不適切な質問に苦言を呈して「俺に意見をするのか!不採用だ!帰れ!警察を呼ぶぞ!」、果ては、「身長が低いことが気になる」とまで言われてきた。  
 こうしたことは、労働局や他の公的機関に訴えても概ねなしのつぶてで、その結果、「相手はやりたい放題、自分はやられ放題」という図式が我が人生の至る所で成立することになるのである。 
 そもそも、社員や応募者の能力や人物を正当に評価できずに、あたら惜しい人材を手放したり採用しなかったりするようでは、人事担当者・管理職としての資質に著しく欠けていると言わざるを得ないし、前述の不適切な言動や、退職に至ったあるまじき事情に関しては言語道断である。 
 些か手前味噌ながら、常に真摯に仕事に向き合ってきたにも関わらず、我が人生においては、こうした言わば外的要因による不可抗力的な災難があまりにも多すぎる。 
 大体が、自身の行状とは無関係に、その時々で相対してきた数々の人間達の資質の欠落のつけを全て我が身に押し付けられてきた、と言っても強ち間違いではあるまい。 
 事実、ここで挙げた面接での例のようなことは至る所で起っているし、メールでのやり取り一つをとっても、ものの言い方を知らない管理職が多い。 
 以前、「残念ながら選考から外れました。残念ではございますが、ご了承下さい」とメールをしてきた某企業の経理部長がおり、「そのような文面には、甚だ不愉快な響きがあり(逆の立場になって考えてみることです)、もっと応募者に寄り添った文面の書き方がある筈で、その点、ものの言い方を勉強なさるべきと感じましたし、それで選考などとは片腹痛く、採用担当としての資質を疑わざるを得ません。それを踏まえ、今回の選考結果は恐らく眼鏡違いだろうと思われますので、このような水物の評価をもって、私自身の力不足だということでは断じてないと断言します。採用担当者なら、もっと人の心に寄り添った言動を心がけること」と返信をすると、「ご忠告、有難うございます。以後、注意いたします。勉強になりました」と返してきたことがあった。大抵の場合、企業の採用担当者といえども、所詮その程度のレベルでしかないのだ。 
 採用担当者として職を得ているこうした低レベルの人物達と、真摯な奮闘報われず求職者の立場に追いやられている人達との間に人としてどれほど差があるというのか。職を維持している者が是で、求職者という立場に追いやられている者が非ということでは決してなく、憚りながら自分も含めてそこいらの採用担当者より優秀な求職者は世間にいくらでもいる。ただ、巡り合わせが悪いに過ぎない。だが、その分、人間に幅がある。これが実際のところだろう。 
 「良妻を得れば幸せになれるし、悪妻を得れば私のように哲学者になれる」とかのソクラテスは言ったというが、だとすれば、「職場で、良い巡り合わせを得れば平穏な生活が送れるし,悪い巡り合わせを得れば優秀な求職者になれる」という格言が今の世では成り立つだろう。これが私なら、「求職者」が「心理カウンセラー」に置き換えられるということになるが……。

閑話休題。

 いつまで愚かで残虐な侵攻は続くのか?
 侵攻される側には、「国を守る」という強い意志で包まれた熱い心と世界各国の支援があるが、侵攻する側にとって、その代償は莫大な出費と限りない非難だけである(事を起こした張本人は、そうは思っていないだろうが)。
 こうなると、侵略されている人々のことは勿論、侵略している者たちのことも、愚かさと道理に気づけないという点において気の毒に思えてくる。この場合におい博愛の精神というのもどうかと思うが、不真面目でなく、到って真摯な気持ちで以下の小唄(「かわいそう小唄 ロシア編」)を作ってみた。

ロシアのプーチン かわいそう
勝手な理屈で ウクライナ
侵略しといて 制裁を
受けても道理が 分からない
かーわいそう かわいそう
ロシアのプーチン かわいそう

ロシアの人たち かわいそう
国の指導者 プーチンが
秩序を乱して 侵略を
するから国ごと 村八分
かーわいそう かわいそう
ロシアの人たち かわいそう

本家「かわいそう小唄」を参考に是非ご唱和ください。

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