敵に塩を送った日

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コラム
 昨年5月に母が急死して以来、毎週末は、
父の様子を見に実家を訪れている。仕事も
生活も安定せず、敷居が高いのが本音だが、
母より高齢で足腰も弱っている(要介護2)
とあっては放ってもおけないのだ。
 実家への交通手段はいくつかあるのだが、
昨日は思うところがあり、帰りに遠回りを
して近鉄電車に乗り、大和西大寺駅へ。
 安倍晋三元首相が狙撃され命を落とした
この駅前には、現在、献花台が設けられて
おり、その死を悼んで大勢の人々が訪れて
いるというので、私も比較的近くに住んで
いる以上見て見ぬふりもできず、ライフで
買った花束を携えて立ち寄ったのである。
 断っておくが、私は自民党の支持者では
ないし、安倍晋三という人は評価できない。
国葬にも反対だ。総理として在職期間中に
多くの疑惑が持たれ、十分な説明もない中、
命を絶った人や、昭恵夫人同様、大切な人
を失い涙する人まで出している。憲法改正
についても国民が納得できるだけの十分な
説明がなされているとは言えず、その意図
は別にして、日本が「戦争する国・戦争が
できる国」になるのではないかという不安
を多くの人々に抱かせ、全国各地で反対の
デモ行進などが盛んに行われている。私も
嘗てはその行進に参加する一人であったし、
今も、どんな理由であっても、人間同士の
殺し合いには断固反対である。そういった
国を守るためと称するエネルギーは、世界
のどの国にも武力で物事の解決をさせない、
「武器を持たない、持たせない」努力へと
向けてもらいたいものだと思ってさえいる。
そういう立場であるから、不幸な死に方を
したからといって日頃抱いていた不快感・
憤り、その他諸々の複雑な気持ちは消せる
ものではないし、税金を使っての国葬にも
疑問を持ち、反対なのだ。但し、ここまで
書いてきたことは、あくまで私個人の見解。
人それぞれにライフロール(人生役割)が
あり、相手によって見え方が違い、正義の
定義も立ち位置で異なる、ことは先刻承知。
確かに献花台には行ったが、自身の立場や
思いはこうだと説明させていただいたまで。
 そうした心情は兎も角、日曜日だからか、
曜日に無関係かは定かでないが、献花台を
訪れる人の数の多いこと多いこと。とても、
「長蛇の列」などという生易しいものでは
ない。「長大蛇の列」でもまだ物足りない。
下手をすればバス停一区間分はあろうかと
いう距離をくねくねと曲がって最後尾まで
たどり着いたことを考えれば、「長竜の列」
とでも言うのが妥当かも知れない。それ程
凄い人出だったということである。
 これだけ多くの人々の全てが安倍元首相
に心酔していたのかどうかは分からないが、
死を悼み、献花に訪れるということは一定
或いはそれ以上の評価をしている人達だと
いうことには違いなかろう。この私ですら、
人物は評価しないまでも、この列に加わり、
たとえ安物の花でも手向けようとしている
くらいなのだから。
 私は、生前の安倍晋三という人を個人的
には徹底して嫌い、反対の立場であったが、
当然ながら、犯人のように「殺してやる!」
という発想はなかったし、功績を評価する
人がいても、自身はそうではないがそんな
見方もあるのだろうという認識はしてきた。
自分自身、今回何故献花台に花を手向ける
気になったのか不思議に思うこともあるが、
死ねば人は皆仏。「敵に塩を送る」という
気持ちなのだと自身を納得させている。
 「長竜の列」だっただけに、二時間待ち
だろうなどという周囲の声もあり、炎天下
で長時間並ぶことを覚悟したのだが、心配
するほどのこともなく予想以上に早く進み、
30分程で献花台の前に立つことができた。
支持者でないだけに複雑な心境であったが、
難しいことを抜きにして一人の人間の死を
ただ悼み、「敵に塩を送って」きた。
 私の前の列は親子連れで、小さい子供が
一緒だったのだが、事情も分からず母親の
付き合いで炎天下の市道に並ばされている
のかと思うと、終わった後で食事に連れて
行ってもらったり玩具を買ってもらえると
いうようなことがあったとしても可哀そう
だな、という気がしてならなかった。
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