[本文をお読みになる前に] この記事に掲載されている画像は、私アンディが2023年10月から90日かけて撮影したものを掲載します。カバー写真のサントリーニ島「イアの絶壁街」も同じくわたしが探して撮影しました。「海外ノマドのリアル」を語ります。内容もさることながら、その時のギリシャの風景も、お楽しみくださいませ!
*免責事項
本文に出てくる企業・団体名・個人名などは、個人情報保護の観点から一部省略・変更をしております。あらかじめご了承くださいませ。
それでは本文をお楽しみください!
島を歩く
その日は、歩いてパリキアまで行くことにした。
いつもならバスに乗る。
ここはパロス島コストス村、標高200メートルの山あいにある。中心の集落のはずれにある四階建ての大きな家。ここがわたしが寝泊まりした宿だった。家主の家族が遠出するからという理由で、わたしは何故か家の管理を任されていた。ここから、パロス島の中心街パリキアまではバスで20分か、それ以上かかる。チケットの定価は1ユーロ80セント、運転手から買うと2ユーロになる。いつもパリキアで乗車券を余分に購入していた。
今日もパリキアへ行く。

*パリキア港からパリキアの市街地を眺める
当時、村ではコスモテの基地局の不具合が続いていて、宿のWifiが繋がらない状態だった。オンラインの仕事もしていた自分にとって、Wifiは「あれば便利」というものではない。仕事をするために必要なものだった。だから、村からバスに乗ってパリキアの街まで行き、カフェで仕事をする。仕事が終われば、またバスに乗って村へ戻る。
それが、その頃の生活だった。
ただ、その日は珍しく天気が良かった。
冬のパロス島は、思っていたより寒い。気温は十度前後。曇っていることも多く、強い風が吹けば、まともに外へ出る気にもならない。そんな日が、ずいぶん続いていたから、久しぶりに空が明るいと、それだけで少し外を歩きたくなった。
「今日は、バスではなく歩いて行こう」
宿の建物から出て、村の階段を下りる。すると、いつもの猫たちが寄ってくる。足元に身体を擦りつけてくる。餌が欲しいのか、ただ構ってほしいのか。その両方なのだろうと思う。しばらく村で暮らしていると、猫たちとの距離も少しずつ近くなっていた。

歩き始めると、何匹かが後ろからついてくる。
けれど、村の入り口にある教会まで来ると、そこで猫たちは足を止めた。
この教会は「聖アタナシオス・オ・パリオス教会」という。
「パロスのアタナシオス」
神学者かつ教育者を祀るとされている教会だ。聖アタナシオスは、ここコストス村で生まれたそうだ。
後に、ギリシャ正教会において1995年、正式に聖人として列聖されたという。そのゆかりで、彼の生誕の地であるコストスにこの教会が建設された。初めてコストス村にきた頃、この教会を見て「きっと古い教会なんだろうな」だと思って検索してみた。すると、
「1996年9月に基礎が築かれ、2005年6月25日に奉献式(開堂式)が行われた」
という記載を見た。
「ああ、新しい教会だったんだ」
その教会の手前にはバス停がある。
学校や集落の中心にも近く、道も広い。バスが村の中を通るときにも使われる場所だ。

猫たちは、その先へはついて来なかった。別に、猫たちにとってそこが村の境界だと聞いたわけではない。
ただ、いつもそうだった。
自分たちが村の外へ行くとき、猫たちはそこまでついてきて、そこで諦める。たぶん、餌をもらえる可能性が低くなることが分かるのだろう。こちらとしても、猫たちに見送られたような気分になる。
聖アタナシオスを祀る、その教会を過ぎると、そこから先は、長い坂道が続いている。
ヘアピンカーブを曲がり、その後も上り坂を歩いていく。ギリシャの道は、歩きやすいとは言えない。舗装されていても、ところどころでこぼこがあったり、ガタガタしている。足元を見ながら歩かなければならない。転倒の恐れがあるからだ。それでも、急ぐ必要はなかった。周りの景色を見ながら、少しずつ歩いた。
ゴツゴツとした岩山。
乾いた土地。
地中海性気候のギリシャらしい景色。

その中に、白い壁と青い窓枠の家がある。リタイアしたマクロ経済学者の家だ。名前はクリストスさんだった。クリストスさんは、長らくギリシャの経済や産業について政策に関する有識者の公聴会で話すほどの偉人だったが、勤め上げた今は、この山中、ビザンチンロードも走る山岳部で奥さんと二名で暮らしている。わたしたちはパリキアで出会った。ある公園のマーク・ザッカーバーグのような胸像を見ていたら向こうから、この人物についてわたしに説明するため、声をかけてきたのだ。
ここには大理石の石切場もある。大理石は、パロス島の特産品でもある。

ビザンチンロード
コストス村の隣にはレフケス村があり、そこからハイキングコース「ビザンチンロード」と呼ばれる道がハイキングコースとなっている。

このコースは、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の時代に建設された。パロス島がビザンチン帝国の支配下にあった10世紀〜11世紀初頭、その時代の名前をとって「ビザンチンロード」と呼ばれている。島に残る大理石の舗装路である。
往時、エーゲ海の島々は常に海賊の略奪の脅威にさらされていた。そこで沿岸部に住むのを避け、島民たちは海から見えにくい山奥のレフケスにという防衛拠点を築くことになった。このレフケスと、他の集落を繋ぎ、人や物資、ときには軍隊を素早く移動させるために敷かれたのがこの大理石の道だとされている。

なぜ、大理石で舗装されているのか?
先ほど言ったように、パロス島は、古代から世界最高峰の透明度と品質を誇る「パリアン大理石」の産地として有名だ。聞くところによると、大理石の使用は青銅器時代に遡り、紀元前六世紀には切り出し採掘量が相当あったという。「ミロのヴィーナス」や「サモトラケのニケ」もパロス島の大理石で作られたという。島で豊富に採掘できたため、贅沢にも大理石を敷き詰めて強固な道路を造ることができた。
そして、その頑丈さのおかげで、1000年以上経った今でも崩れずに私たちが歩けるハイキングコースとして残っている。

わたしはそんな歴史的にも深いパロス島の山間部にいた。
時は常に止まっている。
産業革命以前の世界。
村を出て、坂を上っていき、峠を越えれば下り坂。
しばらく歩くと、景色の中に少しずつ緑が増えてきた。
パロスに来てから、土の色や岩山の茶色、そしてエーゲ海の青はよく見ていた。
でも、その日は違った。
冬の土地に、鮮やかな緑が広がっていた。
その中に、黄色い花が咲いている。

クローバーのような葉の間から、小さな黄色がいくつも顔を出していた。
「なんか、綺麗だな」
最初は、それくらいだった。けれど、少し考えてみると、この景色が見られるのは、たぶん今だけだった。
寒くて、曇っていて、風の強いパロスの冬。
その冬に、珍しく晴れた日。
荒れたように見える土地の中で、緑が広がり、その上に黄色い花が咲いている。
なんだか、運がいい。
仕事のことばかり考えていたら、たぶん気づかなかった。その日も仕事はしなければならない。収入のためには、働かなければならない。日本を離れてギリシャの島まで来ても、その現実は変わらない。パソコンを開けば仕事がある。仕事をしなければ、お金は入ってこない。そんなことを考えながら日々を過ごしてきたし、その日も途中まではそう考えていた。
それでも、せっかく島にいるのだからと思い、立ち止まって写真を撮った。
しばらくして、峠のほうまで来た。
そして、前方にパリキアの湾が見えた。
「あ、パリキアの湾だ」
すでに一時間以上、結構歩いていた。けれど、歩いている途中では、まだそこまで来ていることに気づかなかった。
見えたことは嬉しかったけれど。
「……まだあるんかい」
ここまで歩いたのだから、もう少しで着くのかと思っていた。けれど、見えてしまったことで、むしろ残りの距離が分かってしまった。
それでも、海は綺麗だった。
斜面の向こうに広がるパリキアの湾を眺めながら、また歩き始めた。

その頃の自分は、こんなふうに歩くことを、それほど特別なことだとは思っていなかった。Wi‑Fiが繋がらないから、仕事をするために街へ行く。今日は天気がいいから、バスではなく歩く。途中で猫についてこられて、教会のところでサヨナラをする。
坂道を上って、花を見つける。写真を撮る。そして、また歩く。
ただ、それだけだった。

なぜギリシャにいたのか?|フリーランスのリアル

日本を出てから、しばらく経っていた。自分が日本を離れたことを、もう特別なことだとは思わなくなっていた。日本に戻りたいとも、あまり思わなかった。ギリシャで暮らしている。仕事をして、お金のことを考えて、酒を飲んで、猫を撫でて、海を眺める。そんな生活が、少しずつ自分の日常になっていた。ただ、その日常も、最初から予定されていたものではなかった。
この島に来ること自体は、決まっていた。けれど、長くいるつもりはなかった。もともとの予定は、一週間だった。
一週間だけ。
それが、いつの間にか二か月になった。そして、ギリシャにいた時間は、全部で九十日になった。
なぜ、そんなことになったのか。
そこまで時間を戻してみたいと思う。
日本を出て、もう一度日本へ戻り、北海道へ行った。
そこで仕事を辞めた。
そのあとには、すでに予定されていた仕事があった。
そこが、ギリシャのパロス島。
たった一週間の予定だった。
僕は、その島へ向かった。
そして、一週間では終わらなかった。
聖アタナシオス教会で猫たちとサヨナラしててから、二時間ちょっとが過ぎていた。やっとパリキアの市街地の真ん中にあるカフェまで歩いた。振り向くと、ゴツゴツとした岩山が広がっている。日本で見る山とは、どこか違う。そして反対には、パリキア湾の紺碧の濃い青色が目に焼きついて眩しかった。
乾いた褐色の山地に緑が映える。

地中海の青色。
それが、始まりだった。

予定表に書かれていた島
北海道を出た夜、私は暗闇のなかを歩いていた。
晴れていた。街灯のない道を、ひたすら先へ進んだ。業者の人間に見つかったらどうしよう。追跡されたらどうしよう。そんなことばかり考えていた。足を止めることができなかった。
[本文をお読みになる前に] この記事に掲載されている画像は、私アンディが2023年10月から90日かけて撮影したものを掲載します。カバー写真のサントリーニ島「イアの絶壁街」も同じくわたしが探して撮影しました。「海外ノマドのリアル」を語ります。内容もさることながら、その時のギリシャの風景も、お楽しみくださいませ!
*免責事項
本文に出てくる企業・団体名・個人名などは、個人情報保護の観点から一部省略・変更をしております。あらかじめご了承くださいませ。
それでは本文をお楽しみください!
島を歩く
その日は、歩いてパリキアまで行くことにした。
いつもならバスに乗る。
ここはパロス島コストス村、標高200メートルの山あいにある。中心の集落のはずれにある四階建ての大きな家。ここがわたしが寝泊まりした宿だった。家主の家族が遠出するからという理由で、わたしは何故か家の管理を任されていた。ここから、パロス島の中心街パリキアまではバスで20分か、それ以上かかる。チケットの定価は1ユーロ80セント、運転手から買うと2ユーロになる。いつもパリキアで乗車券を余分に購入していた。
今日もパリキアへ行く。
*パリキア港からパリキアの市街地を眺める
当時、村ではコスモテの基地局の不具合が続いていて、宿のWifiが繋がらない状態だった。オンラインの仕事もしていた自分にとって、Wifiは「あれば便利」というものではない。仕事をするために必要なものだった。だから、村からバスに乗ってパリキアの街まで行き、カフェで仕事をする。仕事が終われば、またバスに乗って村へ戻る。
それが、その頃の生活だった。
ただ、その日は珍しく天気が良かった。
冬のパロス島は、思っていたより寒い。気温は十度前後。曇っていることも多く、強い風が吹けば、まともに外へ出る気にもならない。そんな日が、ずいぶん続いていたから、久しぶりに空が明るいと、それだけで少し外を歩きたくなった。
「今日は、バスではなく歩いて行こう」
宿の建物から出て、村の階段を下りる。すると、いつもの猫たちが寄ってくる。足元に身体を擦りつけてくる。餌が欲しいのか、ただ構ってほしいのか。その両方なのだろうと思う。しばらく村で暮らしていると、猫たちとの距離も少しずつ近くなっていた。
歩き始めると、何匹かが後ろからついてくる。
けれど、村の入り口にある教会まで来ると、そこで猫たちは足を止めた。
この教会は「聖アタナシオス・オ・パリオス教会」という。
「パロスのアタナシオス」
神学者かつ教育者を祀るとされている教会だ。聖アタナシオスは、ここコストス村で生まれたそうだ。
後に、ギリシャ正教会において1995年、正式に聖人として列聖されたという。そのゆかりで、彼の生誕の地であるコストスにこの教会が建設された。初めてコストス村にきた頃、この教会を見て「きっと古い教会なんだろうな」だと思って検索してみた。すると、
「1996年9月に基礎が築かれ、2005年6月25日に奉献式(開堂式)が行われた」
という記載を見た。
「ああ、新しい教会だったんだ」
その教会の手前にはバス停がある。
学校や集落の中心にも近く、道も広い。バスが村の中を通るときにも使われる場所だ。
猫たちは、その先へはついて来なかった。別に、猫たちにとってそこが村の境界だと聞いたわけではない。
ただ、いつもそうだった。
自分たちが村の外へ行くとき、猫たちはそこまでついてきて、そこで諦める。たぶん、餌をもらえる可能性が低くなることが分かるのだろう。こちらとしても、猫たちに見送られたような気分になる。
聖アタナシオスを祀る、その教会を過ぎると、そこから先は、長い坂道が続いている。
ヘアピンカーブを曲がり、その後も上り坂を歩いていく。ギリシャの道は、歩きやすいとは言えない。舗装されていても、ところどころでこぼこがあったり、ガタガタしている。足元を見ながら歩かなければならない。転倒の恐れがあるからだ。それでも、急ぐ必要はなかった。周りの景色を見ながら、少しずつ歩いた。
ゴツゴツとした岩山。
乾いた土地。
地中海性気候のギリシャらしい景色。
その中に、白い壁と青い窓枠の家がある。リタイアしたマクロ経済学者の家だ。名前はクリストスさんだった。クリストスさんは、長らくギリシャの経済や産業について政策に関する有識者の公聴会で話すほどの偉人だったが、勤め上げた今は、この山中、ビザンチンロードも走る山岳部で奥さんと二名で暮らしている。わたしたちはパリキアで出会った。ある公園のマーク・ザッカーバーグのような胸像を見ていたら向こうから、この人物についてわたしに説明するため、声をかけてきたのだ。
ここには大理石の石切場もある。大理石は、パロス島の特産品でもある。
ビザンチンロード
コストス村の隣にはレフケス村があり、そこからハイキングコース「ビザンチンロード」と呼ばれる道がハイキングコースとなっている。
このコースは、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の時代に建設された。パロス島がビザンチン帝国の支配下にあった10世紀〜11世紀初頭、その時代の名前をとって「ビザンチンロード」と呼ばれている。島に残る大理石の舗装路である。
往時、エーゲ海の島々は常に海賊の略奪の脅威にさらされていた。そこで沿岸部に住むのを避け、島民たちは海から見えにくい山奥のレフケスにという防衛拠点を築くことになった。このレフケスと、他の集落を繋ぎ、人や物資、ときには軍隊を素早く移動させるために敷かれたのがこの大理石の道だとされている。
なぜ、大理石で舗装されているのか?
先ほど言ったように、パロス島は、古代から世界最高峰の透明度と品質を誇る「パリアン大理石」の産地として有名だ。聞くところによると、大理石の使用は青銅器時代に遡り、紀元前六世紀には切り出し採掘量が相当あったという。「ミロのヴィーナス」や「サモトラケのニケ」もパロス島の大理石で作られたという。島で豊富に採掘できたため、贅沢にも大理石を敷き詰めて強固な道路を造ることができた。
そして、その頑丈さのおかげで、1000年以上経った今でも崩れずに私たちが歩けるハイキングコースとして残っている。
わたしはそんな歴史的にも深いパロス島の山間部にいた。
時は常に止まっている。
産業革命以前の世界。
村を出て、坂を上っていき、峠を越えれば下り坂。
しばらく歩くと、景色の中に少しずつ緑が増えてきた。
パロスに来てから、土の色や岩山の茶色、そしてエーゲ海の青はよく見ていた。
でも、その日は違った。
冬の土地に、鮮やかな緑が広がっていた。
その中に、黄色い花が咲いている。
クローバーのような葉の間から、小さな黄色がいくつも顔を出していた。
「なんか、綺麗だな」
最初は、それくらいだった。けれど、少し考えてみると、この景色が見られるのは、たぶん今だけだった。
寒くて、曇っていて、風の強いパロスの冬。
その冬に、珍しく晴れた日。
荒れたように見える土地の中で、緑が広がり、その上に黄色い花が咲いている。
なんだか、運がいい。
仕事のことばかり考えていたら、たぶん気づかなかった。その日も仕事はしなければならない。収入のためには、働かなければならない。日本を離れてギリシャの島まで来ても、その現実は変わらない。パソコンを開けば仕事がある。仕事をしなければ、お金は入ってこない。そんなことを考えながら日々を過ごしてきたし、その日も途中まではそう考えていた。
それでも、せっかく島にいるのだからと思い、立ち止まって写真を撮った。
しばらくして、峠のほうまで来た。
そして、前方にパリキアの湾が見えた。
「あ、パリキアの湾だ」
すでに一時間以上、結構歩いていた。けれど、歩いている途中では、まだそこまで来ていることに気づかなかった。
見えたことは嬉しかったけれど。
「……まだあるんかい」
ここまで歩いたのだから、もう少しで着くのかと思っていた。けれど、見えてしまったことで、むしろ残りの距離が分かってしまった。
それでも、海は綺麗だった。
斜面の向こうに広がるパリキアの湾を眺めながら、また歩き始めた。
その頃の自分は、こんなふうに歩くことを、それほど特別なことだとは思っていなかった。Wi‑Fiが繋がらないから、仕事をするために街へ行く。今日は天気がいいから、バスではなく歩く。途中で猫についてこられて、教会のところでサヨナラをする。
坂道を上って、花を見つける。写真を撮る。そして、また歩く。
ただ、それだけだった。
なぜギリシャにいたのか?|フリーランスのリアル
日本を出てから、しばらく経っていた。自分が日本を離れたことを、もう特別なことだとは思わなくなっていた。日本に戻りたいとも、あまり思わなかった。ギリシャで暮らしている。仕事をして、お金のことを考えて、酒を飲んで、猫を撫でて、海を眺める。そんな生活が、少しずつ自分の日常になっていた。ただ、その日常も、最初から予定されていたものではなかった。
この島に来ること自体は、決まっていた。けれど、長くいるつもりはなかった。もともとの予定は、一週間だった。
一週間だけ。
それが、いつの間にか二か月になった。そして、ギリシャにいた時間は、全部で九十日になった。
なぜ、そんなことになったのか。
そこまで時間を戻してみたいと思う。
日本を出て、もう一度日本へ戻り、北海道へ行った。
そこで仕事を辞めた。
そのあとには、すでに予定されていた仕事があった。
そこが、ギリシャのパロス島。
たった一週間の予定だった。
僕は、その島へ向かった。
そして、一週間では終わらなかった。
聖アタナシオス教会で猫たちとサヨナラしててから、二時間ちょっとが過ぎていた。やっとパリキアの市街地の真ん中にあるカフェまで歩いた。振り向くと、ゴツゴツとした岩山が広がっている。日本で見る山とは、どこか違う。そして反対には、パリキア湾の紺碧の濃い青色が目に焼きついて眩しかった。
乾いた褐色の山地に緑が映える。
地中海の青色。
それが、始まりだった。
予定表に書かれていた島
北海道を出た夜、私は暗闇のなかを歩いていた。
晴れていた。街灯のない道を、ひたすら先へ進んだ。業者の人間に見つかったらどうしよう。追跡されたらどうしよう。そんなことばかり考えていた。足を止めることができなかった。